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現代日本の、世界史もしくは日本史の教科書に載っている、「一番の小物」を教えてください。

ダメな例・・・ヒトラー(悪いほうでは超大物)、○○首相(首相になれるなら立派です)、ダライ・ラマ(次のダライ・ラマへの奇跡的な確率を引き当てた点で既にえらい)、ジョン・ウィルクス・ブース(リンカーン米大統領の暗殺犯)

良い例を挙げるのが難しいのですが、「なるほどこいつは、他に比べて小物だ」と思わせてくれれば高評価です。「もしかしたら自分でも、特に自分の人生を棒に振らなくても、ギリギリ教科書に載れるかも」と思わせてくれれば素晴らしいです。力作、お待ちしています。

●質問者: lionfan2
●カテゴリ:政治・社会
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

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1 ● a-kuma3

質問を見て、まず、頭に浮かんだのは、小早川秀秋です。

学生のころは、歴史は不得手だったので、教科書の内容なんて、まるで覚えていないんですが、教科書に載っているとしたら、関ヶ原の戦いで、どっちつかずの態度を取っていたところを、東軍から銃でいかけられて、あわてて東軍として参戦した、というところだと思います。

歴史小説のイメージしかないんですが、優柔不断、キレやすい、臆病、というイメージがあります。
羽柴家の養子となった後に、秀頼が生まれたという不運もあったのでしょうが、戦国時代の武将の中では、武勲らしいエピソードもなく、関ヶ原での裏切りのイメージだけが付いていると思います。

基準があると、他の回答が付きやすいんじゃないかと思うので、とりあえず書いてみました。
# 後、四回、チャレンジできるし :-)


lionfan2さんのコメント
ありがとうございます!! さすがa-kuma3、なかなかセンスのいい答えでした。 ちなみにこちらの頭に真っ先に浮かんでいたのは、小野小町(美人というのは伝聞にすぎず、歌がうまいだけで、他に特にとりえがない)や、トマス・モア(妄想満載のトンデモ本「ユートピア」を書いた)だったのですが、前者は「歴史の」教科書に載っているかは疑わしく、後者は調べてみたら、けっこうまともな人だったみたいなので。

a-kuma3さんのコメント
『小物』というのは、「人間としての器が小さい」というよりも、「教科書に取り上げられるほどのことは無いんじゃネ?」という意味合いの方が、強いんですかね。

lionfan2さんのコメント
はい。要は「こいつでも載れるくらいなら、ひょっとしたら俺でも載れるんじゃね?」感の強い人ほどOKです。

lionfan2さんのコメント
小野小町について参考まで。 http://www.nurs.or.jp/~lionfan/mainichi_2003_171.html

2 ● riko

面白いので考えてみました。

山上憶良、歌人として百人一首にも入ってませんし、政治で活躍したというわけでもありませんが、歴史の教科書の「奈良時代の農民の貧窮」とか「防人制度」の項目で必ず紹介され、テストにも頻出です。
単に歌で庶民の代弁をしただけで、特に自分で何か改革をしたとかいうわけでもないと考えると、わりと小粒な感じがします。(もちろん万葉集にたくさん歌が収録されてるのですから、偉大といえば偉大ですよ!相対的にという意味です)

余談ですが、コメントで挙げられている小野小町は歌がうまかっただけですが、さすがに「六歌仙」って言われてるぐらいですから、国語の教科書に載る人としては、十分大物としてよさそうです。「世界三大美女」とされているのは、むしろ後世に彼女を題材にして生まれた作品群(能や謡曲など)の豊かさによるものじゃないかとは思います。

日本にも美女とされる人は多くいましたが、あとあと伝説が生まれるほどの美女はこの人だけかも? 政治にかかわるとどうしても「女傑」って感じになってしまいますね。


lionfan2さんのコメント
リコ様、ありがとうございます。小野小町は、たしかに有名でイメージもたいへん良いので、山上憶良のほうが、より小粒という感じでいいですね!! ありがとうございます。だいぶハードルが上がって(下がって?)きましたが、次の方、がんばってください。

3 ● たけじん

杉田玄白はいかがでしょう。
みんな知ってる「解体新書」と「蘭学事始め」を書いた人ですが、ほかはただの医者。解剖行為(腑分け)は山脇東洋が量も質も抜きんでているので、玄白の功績はないです。
それに、オランダ語を独学で翻訳と言っても、長崎ではきちんとした翻訳者がいたのに、素人仕事で医学書を翻訳。図は原著のままとしても、医学用語とかはちょっと不安という出版。蘭学事始めもすごい本とは言い難い。
平賀源内の知り合いということで少し世に出ているのでしょうが、大したことはしていません。


lionfan2さんのコメント
たけじん様、ありがとうございます。確かに、能力が非常にあった人というよりは、大志を抱き、実現に向かって努力した人、という感じです。ありがとうございます!!

4 ● a-kuma3

二枚目のカードを切ります。


ぼくが推すのは、奈良原喜左衛門さんです。
教科書には「薩摩藩、島津久光の供回りの藩士」としか出てないはずです。
「生麦事件」の際に、最初に切りかかった藩士とされています。

今の感覚では、人ひとりに致命傷を負わせているわけですから、大それたことをしでかしたような感じですが、当時の武士としては、お勤めを忠実に果たしただけの、一介の地方公務員なわけです。
なのに、幕府を巻き込む国際問題にまで発展してしまいました。
事件は一応の解決を見ましたが、薩英戦争の端緒を作ったとも言われ、その後の日本の行く末にまで大きな影響を与えることになりました。

「いや、犯人扱いって。あのときの私にどうしろと……」


lionfan2さんのコメント
a-kuma3様、ありがとうございます。生麦事件の犯人の名前、はじめて知りました。 サラエボ事件→第一次世界大戦を引き起こした、セルビア人の青年、プリンツィプを思い出しますね!

5 ● meefla

皆さんが日本史からチョイスしているので、ここは意地でも世界史からと思って探してみましたが、なかなか適切な人がいません。
間違った計算と思い込みで黄金の国ジパングを目指したあげく、西インド諸島を発見して、死ぬまでアジアだと信じて疑わなかった クリストファー・コロンブス を調べてみたのですが、「コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」という評価もあるくらい極悪非道の人だったので却下。
「コロンブスより1年早い1491年に到達した」と虚偽の主張をして(諸説あります)、大陸にその名前を残した アメリゴ・ヴェスプッチ を候補としてあげるにとどめます。

さて本題です。
日本史の方で、大抵の教科書には載っているという観点から、山口尚芳を推します。
この写真の人です。

f:id:meefla:20120816120200j:image:w600

岩倉使節団 ですね。
左から2人目が山口尚芳で、他の4人は 木戸孝允(桂 小五郎)岩倉具視伊藤博文大久保利通 です。
実際に中学の教科書に載っている、という 証拠写真

山口尚芳 は岩倉使節団の副使で、帰国後に元老院議官や貴族院議員になったりはしてますが、官職としては初代の会計検査院長だけで、しかも在任していたのは1881年5月28日から1881年10月21日のわずか5ヶ月弱です。
同じ写真に写っている他の人達が、総理大臣やら外務卿(外務大臣)やら 維新の十傑 であるのに比べると、「大物」と言うには語弊があるでしょう。
つか、国費で1年10ヶ月も外遊しておいて会計検査院ですよ。
会計検査院って、外遊経験は必要ないと思いませんか?

NHK の大河ドラマ『篤姫』で岩倉使節団が出た時には、

区長さんは ドラマ篤姫に大久保や木戸、岩倉が出たので使節団の一員として・・尚芳も出るのではと・・・楽しみにしてたが・・残念だったと

花島公民館にて・・範蔵まつり。山口尚芳が亡くなって115年。

という事だったようです。
大河ドラマ的にも「その他大勢」扱いだったわけですね。

Google のヒット数を見ても、

で、a-kuma3 さんの奈良原喜左衛門よりヒット数が少ないです。

というわけで、偉い人達と一緒に記念写真に写っていれば、抜きん出た業績がなくても教科書に載れる、という一例でした。


lionfan2さんのコメント
meefla様、ありがとうございます。 山口尚芳という名前自体、はじめて知りました。 写真を見ても、いかにも印象の薄そうですね。 さまざまな説得力のある議論、ありがとうございます。 暫定一位です!

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