人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

西欧における神の理解が、よくわかりません。

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:学習・教育
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答1号

神といっても、宗教によって祀られる神は違うので、質問の「西欧における神」というのが曖昧ですが、多くの国が思想の根底に宗教を置いているということについてお話したいと思います。

まず宗教観においては、世界的に見て日本が特殊なんだと思います。

海外では価値観の根底に宗教観がある国や民族がほとんどですが、日本は価値観と宗教観が独立して存在している特殊な国だと思います。このことについては、新渡戸稲造という人が武士道と本を書くきっかけになったと言われています。

政教分離が古来から日本にあった訳ではありませんが、大和朝廷時代に伝来した仏教を受け入れるために神仏習合が行われた経緯から、早くから政治思想と宗教を独立しやすい環境はあったと思います。それでも政治家の宗教観に政治が振り回されてきたことがあるのは、人間の考え方のどこかに宗教観がある証拠かもしれません。

新渡戸稲造の話に戻ります。

日本では永く道徳というものが重んじられてきましたが、宗教よりも道徳が重んじられる国は世界的に稀だと思います。なので、海外で道徳が思想の基盤になっていると説明しても、なかなか理解されません。最初、新渡戸は「道徳」という言葉を使って説明をしようと試みましたが、これを改めました。なぜなら「道徳」という言葉が持つ印象が、各国のものと日本のものとで大きな差があるからです。そこで新渡戸が持ち出したのが「武士道」という言葉でした。

つまり、日本人は徳を持って善しとする心を宗教とは別に大事にする高潔の民族であると説明するにあたり、武士道という言葉を外国人に押し付けたのです。これはむしろ海外の人々には分かり易かったようで、大きな反響を呼びました。それまでは、日本人すら武士道という言葉を用いる事はほとんど無かったのですが、武士道は今では普通に通る単語になりました。

さて、海外で日本人の倫理観が理解されにくいのは宗教との結びつきが弱いからですが、その逆も言えると思います。西欧における神を理解するには、国を絞って、あるいは宗教を絞って考えなければなりません。宗教観を難しくしているのは、古い宗教の場合、色々な宗派があることですが、宗派が異なれば別の宗教と考えた方が理解が進むかもしれません。その意味では、各宗教の神を理解するには、その宗教がどのような背景で出現したのか、またどのような歴史を辿ったのかを調べる事が重要だと思います。


匿名回答1号さんのコメント
質問をされるときには、その質問や疑問が何故生まれたのか、その背景やきっかけなどを書かれると、良い回答を得られると思います。

匿名回答2号さんのコメント
ありがとうございます。例えば、スピノザは、実体は神であり、完全性であり、無限であるといいます。なぜ完全性が神と結びつくのか、日本の場合、逆に、完全性は、無と結びつくような気もするのですが、いずれにしても、西欧では、具体的イメージの神が連想されるので、その気持ちがわからないのです。イスラム教では、神のイメージそのものが否定されていますが、しかし、頭をかしずく行為などを見ると、具体的イメージがあるような気がします。 日本の場合の手を合わせる対象とは違った気がします。 そこらへんを知りたかったのです。

匿名回答1号さんのコメント
イスラム教の神については誤解があるようです。もう少し教典とかを調べられほうが良いと思います。調べれば誤解も解けるでしょう。 それと各宗教がいうところの神は、共通した特徴を持っていますが、同じものではありません。どの神様も同じというと、宗教家たちに睨まれてしまいます。 ここからは個人的な意見が大半を占めていますので、ご了承ください。 基本的にどの宗教でも神=根本原理であって、それを分かり易くするために人の姿をとったり、予言者の言葉をかりて具象化しているように思います。その過程で、色々と解釈の余地が生まれたり、ときには矛盾が出ているように思います。が、どの宗教も基本的に神の概念は変わらないように思います。語弊があるかもしれませんが、根本原理は誤りのない完璧なシステムで、その意味では実に数学的な存在ではないかと思います。それを擬人化して説明しようとした段階で、いろいろと無理が出てくるのだと思います。 日本で例として分かり易いのは、神道の神様達です。それぞれが、根本原理の側面の代表格として存在していますが、人の形をとった時点でかなり無理があるように思えます。 仏教に関していえば、神=完全と言えないように思われますが、やはりブラフマーのような存在がいるので、同じと見る事もできると思います。仏教で言うところの天という存在は神ではなく、人の修行の成果と見た方が良いように思います。ブラフマーに関しては色々と意見が分かれる所だと思いますが、ここでは議論については省かせてもらいます。 整理しますと、どの宗教でも神は完全なもので疑う余地はないという存在であることは間違いないと思います。日本も同じだと思います。それに無という概念そのものは、完全性とは独立した概念だと思います。無は疑う余地の無い概念であるというところから完全であると結びついたのかもしれませんが、完全であるということは無であるということでは無いので、両者は独立した存在だと言えると思います。ですが西欧に限らず、多くの宗教では、神は完全であり完全なものは神しかないと考えるkとから始まっていると思いますがいかがでしょうか。 それからスピノザの考えが、一般的な西欧の人の考えには思えません。どちらかと言えば、そこまで突き詰めて考えている人は、一般にはいないと思います。正しいとも間違っているとも言いませんが、偏った考えの部分があるので、公平に物事を考えるときには影響されないように注意した方が良いと思います。

匿名回答2号さんのコメント
「多くの宗教では、神は完全であり完全なものは神しかないと考えるkとから始まっていると思いますがいかがでしょうか。」なせ、そこから始まるのかが、腑に落ちないのですが。 人間の歴史において、常にそこで、神の存在の説明が終わるように思われるのですが、あまりにも私としては、なぜそうなるのかがわかりません。神、完全性、唯一生、永遠。西欧の人々は、なぜ、そこに真実を見出すのかがしっくりしません。

匿名回答1号さんのコメント
「イワシの頭も信心」という諺をご存知でしょうか。 宗教は理屈ではない所があり、そこが哲学的に面白いところだと思います。 >神、完全性、唯一生、永遠。西欧の人々は、なぜ、そこに真実を見出すのかがしっくりしません 真実と宗教は、別の概念なので、宗教の中に真実を見いだしている訳では無いと思います。なので、しっくりしないのは当然だと思います。 >神の存在の説明が終わるように思われる 神の存在論についていえば、西欧の人たちに限らず多くの学者が、数学や物理と神が両立できる可能性を示唆しています。神=コスモ、つまり物理的な宇宙のシステムが神だとすれば、物理学が新しい理論で現象を解明しても、必ず未知の領域が残ります。神を擬人化しないことが、生き残れる宗教の形であると言えると思います。 これらは全て私個人の意見なので、否定していただいても結構ですよ。

匿名回答1号さんのコメント
もうひとつ私の持論があります。 日本は、古来様々な宗教に関して寛容であったと思います。もちろんキリシタン弾圧などもありますが、世界的に見ると寛容な方だと思います。おかげで、自由に宗教観をぶつけて議論する事が出来ます。 でも最初から宗教に寛容であったわけではありません。このようになった背景には、聖徳太子が関わっていると考えています。聖徳太子は、そのころ政治と密着していた神道を政治から切り離しました。仏教を取り入れるためです。完全ではありませんが、政教分離の最初の一歩を踏み出したのが聖徳太子だと思います。 もし聖徳太子がいなければ、現在の日本の地位も無かったかもしれません。

匿名回答1号さんのコメント
日本と海外の価値観の大きな違いは、次のようなものだと思っています。 多くの国が、宗教を使って国を統一し、また侵略を行ってきました。もちろん宗教は利用されたに過ぎず、宗教の目指したものではなかったかもしれません。残念なことではありますが、争いの陰には宗教が見え隠れしていたと思います。 日本では、聖徳太子以来、宗教を政治の道具に利用する事が、海外ほどでは無かったと思います。もちろん無かった訳ではありませんが、政治的な争いの道具として利用される事は(海外に比べて)少なかったと言えるのではないでしょうか。 おかけで宗教観にとらわれずに、価値観を変えることが日本人は得意になったと思います。 多くの国では宗教を否定されることは、自分の価値観を今的から否定される事になるのは、政治と宗教が強く結びついているからだと思います。または、近年まで結びついていたからだと思います。 もう一度、wikiを見てください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%95%99%E5%88%86%E9%9B%A2%E5%8E%9F%E5%89%87 政教分離を法律で謳っている国の少ないことに驚きます。日本では、明確に政教分離を謳ってはいませんが、604年には、その原型的な憲法が定められています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%83%E6%9D%A1%E6%86%B2%E6%B3%95 これを原型というのは少々乱暴ですが、これによって神仏習合が行われ、さらには話し合いが政の中心になったと言え、結果的に宗教色の薄い政治が行われるようになったと思います。もちろん天皇中心の政治ですから、全く宗教観が排除された訳ではありませんが、早い時期からこうしたことに注目する人がいたのは驚きです。 話はそれましたが、宗教と政治と思想を分離できている国は、とても少ないと言えるのは事実だと思います。

匿名回答1号さんのコメント
十七条憲法とアメリカ憲法を比べると面白いと思います。そしてその使われ方を調べれば、宗教と政治と思想を分離することがいかに難しいかを知る事が出来ます。 その上で、ヨーロパの文明と宗教について地中海を中心に調べれば、西欧の人々の考え方が分かるようになれるのでは、と思います。

匿名回答2号さんのコメント
神によって、西欧近代が確立されたとするならば、決してそれは神の完全性を証明することにはなりません。つまり、西欧の西欧外への植民地化のために利用されたことになると思うのですが。政教分離とは、あくまで、支配者層の理屈であって、普遍性は持ちません。17条憲法も同じように、すなわち神と同じように、支配者層による理屈であり、大差はありません。私が疑問に思うのは、なぜやすやすと、今でもそうですが、支配者層に宗教が利用されるかということです。神の純粋性(これが私の当初の疑問なのですが)が、なぜもこうも争いのために利用されてきたのかです。それこそ、神の完全性に反したことではないのでしょうか。 貴兄の意見によれば、それで神について納得しているのでしょうか。

匿名回答1号さんのコメント
>神によって、西欧近代が確立された いえ違います。ただ利用しただけだと思いますし、そのように書いたつもりです。 支配者が人の考え方を統制するのに都合が良かっただけだと思います。現実に色々な聖典は、政治に使い易いように政治的に再編されています。オリジナルの聖典ではないものがほとんどです。後に学者によってオリジナルの聖典が発見されて、騒ぎになった事例はいくらでもあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E6%B5%B7%E6%96%87%E6%9B%B8 >決してそれは神の完全性を証明することにはなりません 証明の必要はありません。概念の前提だからです。神が完全であるという前提に立っているだけで、それが正しい訳ではありません。正しいと思っていないものを証明する必要はありません。が、間違っているという証明も無いのは事実です。何も証明されていない、というのが事実です。 >西欧の西欧外への植民地化のために利用さ れた いえ、植民地とは関係ありません。全く関係ないとも言えませんが、政治が宗教を利用する価値は、国内の思想統一にあると思います。 >政教分離とは、あくまで、支配者層の理屈であって、普遍性は持ちません 支配者層の理屈というとことは、ちょっと違うと思います。政教分離は1つの方法論であり、それを実際に達成している国は、現実にはありません。また、政教分離は方法論なので、普遍性で説明する必要はありませんし出来ないと思います。 >17条憲法も同じように、すなわち神と同じよう に、支配者層による理屈であり、大差はありません 17条憲法のどこを読まれたのでしょうか。17条憲法が面白いのは、支配者層内の争いを無くす事にあったと思います。もしこの憲法の理念が現在にあれば、民主党や自民党の票集めは行われず、少なくとも国会が機能し、政府が官僚を押さえて政府による国政が行われていると思います。その結果が良いとは限りませんが、少なくとも国政を国会に戻す事になると思います。 >政教分離とは、あくまで、支配者層の理屈であって、普遍性は持ちません 政権分離は一つの政治手法であって、それと普遍性は関係ありませんし、普遍性である必要もありません。 >私が疑問に思うのは、なぜやすやすと、今でもそうですが、支配者層に宗教が利用されるかということで す。 はい、私もそう思います。 >神の純粋性(これが私の当初の疑問なのですが) 良く理解できませんでした。ここに核心があるのでしたら、もう少し神の純粋性というものを説明していただけないでしょうか。 >神の完全性に反したこと ええと、私は神様を信じていませんし、否定もしません。 >神について納得しているのでしょうか ええと、私の考えとは違うものを並べられていらっしゃるようですが、それで私が何を納得しているとされているのか理解できませんでした。それと、私が納得しているかどうかは、問題としてはどうでも良いことではないでしょうか。 一番の問題は、あなたが神についてどのように考えるかだと思います。違いますか? でも、それは私には何もしてあげられません。なぜなら、あなたは勉強不足だと思うからです。 先に書いた通り、西欧の神について知るためには、西欧の複雑な歴史をひも解くことが必要だからです。例えば、ギリシャ神話はとてもよい題材だと思います。もともとギリシャ神話は、ひとつの民族のものではなく、地中海にちらばる民族のものでした。そしてそれぞれの民族が独自の神を崇めていました。それがすこしづつ国が統合されて行くにつれて、それぞれの宗教が、そして神が統合されて、ギリシャ神話を形作っています。 これは個人的な意見ですが、日本の神道も同様の歴史の中で、神様が増えたと思っています。 そうしたところを調べれば、自ずと答えが出ると思います。私の知識は、大したものではありませんから、もっと深い見識で、もっと素晴らしいものを発見できることを願っています。 今、慌てて答えを出す必要は無いと思いますがいかがでしょうか。 じっくりと調べてください。 そして神について何かを見つけたら本にしてください。 私はその本を必ず見つけるでしょう。そして興味深く読まさせていただきます。 答えにならず、申し訳ありませんでした。

匿名回答2号さんのコメント
丁寧なご回答、ありがとうございました。考えさせられることがたくさんありました。余裕があるときにいろいろな本にあたって見ます。

2 ● 匿名回答3号

西洋で神といえば、ギリシャ文化を除いて、唯一の絶対的存在です。日本人は、冠婚葬祭といずれも統一されていない宗教で儀式を行いますが、それは、到底、日本人以外には理解できないことで、絶対という観念が分からない民族です。小室直樹氏が主張しているように、数学の集合論が理解できないのが日本人です。反対に面白い話ですが、日本の会議は必ず満場一致が原則ですが、ユダヤ人は、満場一致を嫌い、わざと、一人だけが反対するみたいですよ。日本がキリスト教の三大不毛地の一つであるのは、唯一神も八百万の神のひとつとみなすからで、全てを相対化する民族だからです。一般的に無神論だというのが日本人の大多数ですが、本当の無神論者はいません。唯一歴史上の無神論者が、織田信長で、戦で殺した敵のしゃれ頭でお酒を飲んだという逸話がのこっています。通常の感覚としたらタタリがあるのではと感じて到底できないことです。あと、切実な願いがある時、別に信仰しているわけでもないのにお祈りする気分になったりしますよね。だから、日本人は、無宗教でありながら宗教心を持っている民族です。日本教という言葉がありますが、全ての宗教で日本人は、キリスト教系日本教、仏教系日本教、創価学会系日本教です。大学レベルの解析学という数学を勉強しましょう。別に小学校の算数でも構いません。答えにたどり着くまでのコースは人それぞれで、到達点は皆同じ。


匿名回答2号さんのコメント
解析学と、貴兄の主張の流れがよく理解できません。

匿名回答3号さんのコメント
解析学は、理系の大学1年でやる数学なんですが、これは、絶対という観念なしでは理解できないことで、文系の国語なんかの問題は、一つではないじゃないですか。だから、嫌いでしたし、苦手でした、

匿名回答2号さんのコメント
同じ到達点が、神というものでしょうね。

匿名回答3号さんのコメント
そうです。ニュートンもアインシュタインも神の存在を科学的に証明しようとしていたみたですよ。ニュートンの逸話なんですが、自分の部屋に太陽系のモデルを作っていたみたいなんですが、無神論者の友達がニュートンにお前あんなのどやって作ったんだと尋ねてきたら、ニュートンは自然に勝手に出来たんだよって嘯いたそうです。するとその友達は、そんなわけないだろう誰かが作らなきゃあんな代物できっこないじゃないか。そこでニュートンはこう答えたそうです。だったら君は、もっと緻密に構成されている本物の太陽系が自然にできたなんてことを主張するのは、矛盾してるじゃないか、太陽系の創造主をなぜ認めないのか言い返したそうです。

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ