神といっても、宗教によって祀られる神は違うので、質問の「西欧における神」というのが曖昧ですが、多くの国が思想の根底に宗教を置いているということについてお話したいと思います。
まず宗教観においては、世界的に見て日本が特殊なんだと思います。
海外では価値観の根底に宗教観がある国や民族がほとんどですが、日本は価値観と宗教観が独立して存在している特殊な国だと思います。このことについては、新渡戸稲造という人が武士道と本を書くきっかけになったと言われています。
政教分離が古来から日本にあった訳ではありませんが、大和朝廷時代に伝来した仏教を受け入れるために神仏習合が行われた経緯から、早くから政治思想と宗教を独立しやすい環境はあったと思います。それでも政治家の宗教観に政治が振り回されてきたことがあるのは、人間の考え方のどこかに宗教観がある証拠かもしれません。
新渡戸稲造の話に戻ります。
日本では永く道徳というものが重んじられてきましたが、宗教よりも道徳が重んじられる国は世界的に稀だと思います。なので、海外で道徳が思想の基盤になっていると説明しても、なかなか理解されません。最初、新渡戸は「道徳」という言葉を使って説明をしようと試みましたが、これを改めました。なぜなら「道徳」という言葉が持つ印象が、各国のものと日本のものとで大きな差があるからです。そこで新渡戸が持ち出したのが「武士道」という言葉でした。
つまり、日本人は徳を持って善しとする心を宗教とは別に大事にする高潔の民族であると説明するにあたり、武士道という言葉を外国人に押し付けたのです。これはむしろ海外の人々には分かり易かったようで、大きな反響を呼びました。それまでは、日本人すら武士道という言葉を用いる事はほとんど無かったのですが、武士道は今では普通に通る単語になりました。
さて、海外で日本人の倫理観が理解されにくいのは宗教との結びつきが弱いからですが、その逆も言えると思います。西欧における神を理解するには、国を絞って、あるいは宗教を絞って考えなければなりません。宗教観を難しくしているのは、古い宗教の場合、色々な宗派があることですが、宗派が異なれば別の宗教と考えた方が理解が進むかもしれません。その意味では、各宗教の神を理解するには、その宗教がどのような背景で出現したのか、またどのような歴史を辿ったのかを調べる事が重要だと思います。
西洋で神といえば、ギリシャ文化を除いて、唯一の絶対的存在です。日本人は、冠婚葬祭といずれも統一されていない宗教で儀式を行いますが、それは、到底、日本人以外には理解できないことで、絶対という観念が分からない民族です。小室直樹氏が主張しているように、数学の集合論が理解できないのが日本人です。反対に面白い話ですが、日本の会議は必ず満場一致が原則ですが、ユダヤ人は、満場一致を嫌い、わざと、一人だけが反対するみたいですよ。日本がキリスト教の三大不毛地の一つであるのは、唯一神も八百万の神のひとつとみなすからで、全てを相対化する民族だからです。一般的に無神論だというのが日本人の大多数ですが、本当の無神論者はいません。唯一歴史上の無神論者が、織田信長で、戦で殺した敵のしゃれ頭でお酒を飲んだという逸話がのこっています。通常の感覚としたらタタリがあるのではと感じて到底できないことです。あと、切実な願いがある時、別に信仰しているわけでもないのにお祈りする気分になったりしますよね。だから、日本人は、無宗教でありながら宗教心を持っている民族です。日本教という言葉がありますが、全ての宗教で日本人は、キリスト教系日本教、仏教系日本教、創価学会系日本教です。大学レベルの解析学という数学を勉強しましょう。別に小学校の算数でも構いません。答えにたどり着くまでのコースは人それぞれで、到達点は皆同じ。