法学の基礎ですね。よくある話です。
訴えるということは、AさんはBさんに今後ある行動をしてもらいたいと求めるわけです。
BさんがAさんにお金を払えば納得するなら損害賠償の訴えを起こす。
Bさんが牢屋に入れられて罰を受ければいいと思うなら警察経由で訴えを起こす(もちろん弁護士もつけていいとおもいます)。
他にも名誉毀損で公的謝罪を要求したり、責任の不在確認請求でBさんのしつこい求めにAさんが応じないことを公的に決定してもらったり、Bさんが地位を利用して不正をしたなら二度と出来ないように社会的地位から解任する…といった決定を「請求する内容」として揚げることができます。
ただ、一番倫理的な問題で一番多いのは「ただ個人的に、心の底から、私に謝って欲しい。私が納得するまで。」なのです。
これは、法律ではどうしようもないので、放置されています。(心の底なんてだれにもわからないし、納得する程度もわからないから)
弁護士は、それを法律に乗っかる形に修正させようとします。
「迷惑かけられた分とつりあうくらいのお金をとりあげてしまえばBさんも不自由ですから身に染みて反省してくれますよ」とか
「Bさんを牢屋に閉じこめるのはどうですか。なんとかこの似ている法律を使えば…」とか。
それで、似ている法律で訴えて、それはたぶん当然Aさんが負けますが、地方裁→東京高裁と控訴をくりかえして最高裁までいければ、とうとう「これは日本国に法律がないのが悪い。立法府である国会は新しく法律をつくりなさい」という判断を下してもらえます。
そうしてできた法律も多いとおもいます(結果、ものすごくややこしいですが)。
そこまでがんばれる体力と気力と資金力がAさんにあればの話なのですが、よほどひどい例ならそれに人生を掛けることに意味はあります。Aさんは、社会がかわって、もう第二第三のBさんが現れない(現れたらしっかりと罰してもらえる)こと。それとBさんが少なからず社会的地位を失うことで満足することになるでしょう。
今までそれで公害問題や、個人情報保護法などいろんな問題が法律で後追いでフォローされました。その法律ができるまでは、川に毒を流すことはさほど重い罪ではなかったし、個人情報リストをかってきて迷惑なメールをじゃんじゃん送りつけることも違法ではなかったわけです。
社会=法律を変えるには、最初の被害者が声を挙げることが大事ですね。