いい人というのは、相対的なものだから、あいまいとなってしまうのです。
自分と比較して いい人と判断したりしますからね。
絶対的な基準があればいいのですが、それは 決めかねるものです。
また、いい人と そうでない人を区別するのも 差別になりかねないので
あまり良いことでは ないかもしれません。
そうです。
人は皆、損得で判断します。
この損得には、お金だけでなく尊徳もあります。
ですから、自分に都合よく判断するのは当然のことなのです。
おそらくあなたは、もっと尊をしろと言っているのでしょうね。
世の中いろんな考えがあるからおもしろいと思うけど、都合よく考えるのも人間のエゴだと思って受け入れなければいけないと思うわ。
世の中そう単純じゃないから・・・
人に感情がある限り、自分に不利益を及ぼす相手を「いい人」と呼ぶ社会は実現しないでしょう。
まれに、それが体現できる人はいますが、それを社会の大多数の人が実行することは不可能です。
例えば、自分の地位を脅かす人を「邪魔者」扱いする人を、あなたが「良くない人間だ」と評価した途端、あなたは自分の価値基準から外れる人にレッテルを貼る人間になってしまいます。才能や能力も、今現在の社会の価値観にたまたまフィットしただけで、普遍的にすばらしい物でもありません。
そんな素敵な人がいっぱいだったら、うれしいですよね!無理ですが…
バカと天才はうり2つっていいますし対照的でありながら、同じような人とも、とらえれますよね!
これと同じでよくない人もいい人も、対照的でありながら、同じなんですよ
結局いい人間や悪い人間の判断はできないということですね!