相手を理解したいとおもうことはいいことですが、そのために相手と同じ経験をしなければいけないという考えはおかしいです。
だいたいツライ目にあっている人の話をきいていると、こちらが建設的なアドバイスをしても「あなたにはわからないよ、わたしの気持なんて!」とキレてきて呆れるものです。その叫びは「あなたも私と同じ経験をすればいい」という意味ではありません(口では実際そういうかもしれませんが)。人間はもともと、他人の気持なんてわからないものなのです。それでいいんです。
このセリフの裏にある気持は、黙って愚痴だけでもきいててほしい。そうしたら自分で整理できるから。ということです。お節介と自分で書いていますが、お節介というのは悪い呼び名です。よけいなことをいう人ということ。ネガティブな気持がいっぱい吐き出したい、くつろいでしばらく話したいという気持には、アドバイスはお節介です。だから、相づちを打って、相手の気持をひろいあげてあげましょう。「つらかったんだね」とか「それってやっぱり大変なの?」とか。ここまでは普通の学生生活でもできることです。それプラス、相手に受け入れる余裕がありそうなときには、こういう相談室とか、こういう虐待防止電話があるらしいから、かけてみたら。ということもできます。
もう一歩すすめるなら、愚痴を存分に聞いた上で、相手のネガティブに巻き込まれずにいてほしいということです。まず自分が経済的、時間的に自立しなくては相手を助けることなどできません。
少々お小遣いに余裕があって、時間にも余裕があれば、ようやく何かをすることができます。
それは、実際に困っている子がだれか(それこそ現在通っている学校のスクールカウンセラーでも)に会いに行くときにつきそってあげたり、とにかく「友人」「もうひとつの目」として振る舞うことです。
楽しいことがなくて無駄足になるとおもうでしょうし、自分も自分のことだけに専念するひまが減って損をします。成績が下がるかもしれません。だからまず自分がしっかりして、友達にかまう余裕をつくることが大事なのです。
もし余裕があれば、できるかぎり付き添ってあげてください。そばに「友人」というもう一つの目があるだけで悩んでる人をさらに悩ませる事柄は減っていくものです。
いきなりスクールカウンセラーを目指すのではなく、よい友人になることからはじめてはどうでしょうか。
ただ、まわりに困っている子がいっぱいいるということですが、そういう「役に立つ」友人役をするのは一度にひとりかふたりしか不可能だとおもいます。人間のキャパシティーはそんなものです。困ってる人全員の「役に立つ友人」には、なれません。一人の問題がうまく解決したら別の友達にいこうというつもりで。また、解決した友人から見返りを求めるのもいけません。(いつまでも友達でいてねとか強制するのもよくない)あなたが得るのは自分の満足感だけですが、それでよければ。
>私の友達には、精神科に行こうとしている子や、
虐待を受けている子、いじめられている子、不登校の子など
大きくも小さくも問題を抱えている子達がいます。
まず,問題を大小に分けてはいけません。
”精神科””虐待””いじめ””不登校”をどのように思われていますか?
そして,どのようにすれば,助けられると思いますか?
偏見を持っていれば,患者から避けられます。
この人は理解してくれないと…
まずは,傾聴を知って下さい。
また,経験しなければわかりません。
カウンセラーは理想論を語る場所ではありません。
理想通りに行かないから問題が起こるのです。
また,カウンセラーは当事者と当事者の間に入るものではありません。
特に,虐待といじめは,犯罪行為です。
通報しなければなりません。
今,貴殿にできることは,当該事実があれば,公的機関に通報すること位です。
相手方が男性の場合,プライドがありますので,心を開いてくれません。
喧嘩の仲裁は,貴殿が心配です。
学校はもみ消す可能性があるため,公的機関に通報することです。
カウンセラーになったら,傾聴し,患者の重荷を少しでも減らしてあげることです。