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映画ゼログラビティについての質問(疑問)です。

ラストシーンでライアンが湖から立ち上がるシーン。立ち上がるまさにそのときに水滴が飛んでカメラのレンズにつきます。

これだけ映像処理をしている映画で、まさか「水滴が飛んでしまったけど、うまく撮れてたから採用」なんてことはないと思うので、何らかの意図があると思うのですが、皆さんどう思われますか?

●質問者: nya---nya
●カテゴリ:書籍・音楽・映画
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

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1 ● hkwgch
●60ポイント

映画は、観客が気にならないのなら画面に変なものが映っていても構わないということだと思います。
重要なのは「何が映っているか」ではなく「どう見えているか」。
ヒッチコックは「観客が映画に夢中になっていれば、画面に象が映っていても気づかない」と言ったとか…。

フィクションの世界では存在しないはずのカメラの存在を感じさせるものが写ってはいけないということが厳密に行われているかといえば、太陽やライトにカメラを向けた時に写るゴーストやハレーション、魚眼レンズの収差や色収差なども、肉眼では見えないレンズならではの映像で、レンズについた水滴もそれらと同じ「気にしないで見過ごすことができる」の扱いでいいと判断したのだろうと思います。


nya---nyaさんのコメント
ありがとうございます。 うーん。それがですね、ついてしまったどころではなくって、 画面のど真ん中にかなり大きく、主人公の全身の1/3から1/2ぐらいかぶっちゃってるんです。 水滴のつく瞬間も、若干わざとらしい感じだったので、たぶんCGでわざと付けたんだと思うんです。

hkwgchさんのコメント
かなり多めに水がかかっていたので、人物のすぐそばにカメラを置いて撮影することを重視して、それでレンズが濡れても構わない、と推測したのですが、タイミングまでは気に留めなかったですね。 わざとレンズを意識させるようにしたとすれば、モキュメンタリーに見せたかったのかというと、全体的にモキュメンタリーっぽさはなかったのにラストだけそうするのも不自然だし…。

hkwgchさんのコメント
どうしてもわざわざレンズを濡らす意図が何か思いつかないので、ちょっと調べてみました。 おそらくVFXの関係もあって、大半はALEXAというデジタルカメラで撮影されたのですが、ラストだけはリアリティを出すために65ミリカメラで撮影されたようです。 http://www.imdb.com/title/tt1454468/trivia?ref_=tt_ql_2 使われたカメラは、アリフレックス 765で、65ミリなので重さは32Kg。 http://www.nacinc.jp/filmdigital/common/pdf/765_catalog.pdf 以下まったくの想像ですが、何故滅多に使われない65ミリカメラを使ったかと言うと、35ミリより高い解像度で生々しい質感を出すためで、そのために更になるべく人物に近づいて撮ろうとすると、どうしてもはねた水がカメラにかかりやすくなり、カメラも重いので余り自由に動かせず、結局カメラワークの方を重視して、レンズに水がかかってしまうのを許容したのではないか?という説の方が有力のような気がします。 故意の演出説は、意図が解らないのが今いち信じられない理由です。 あと、CGよりは撮影中に水鉄砲でレンズを撃つ方が簡単だと思うけど、今では映像のディテールまでは覚えていないので何とも言えません。

eggiさんのコメント
わざわざお調べ頂いてありがとうございます。 私も気になって調べていましたら、3Dなので「水滴がこっちに近づいてきて、 3Dのメガネに張り付く」という演出ではないかという意見の方がおられました。 残念ながら私の見た環境ではとてもそこまでリアルな3Dではありませんでしたが、環境によってはそこまで再現されているのかもしれません。

2 ● bg5551
●50ポイント

通常映画などではカメラは第三者からの目線として撮影されることが多く、その為演者はカメラに対して目線を置きません。
あえてカメラ目線を使う時は出演者目線又は観客へ向けてのものです。
この映画は多く評価される一方で色々と現実とは違うという評価も多くありますが、この水滴については観客目線への演出ではないかと思います。
現場でレンズに水滴が付くというような初歩的なミスはしないと思いますので、恐らくCG等での演出だと思います。


nya---nyaさんのコメント
ありがとうございます。 はい。私も演出だと思います。 何のための演出かという所、この演出は必要か?という所をお聞きしたいです。 (もしくは演出ではないという意見もありかと思います。)

bg5551さんのコメント
個人的な意見ですがあの様な演出で観客目線を物語の中へ潜り込ませるのだと思いました。

3 ● あまいメロン
●20ポイント

演出の一つだと思います。人間や社会が持つ「冷たさ」を象徴していると考えます。この映画のテーマが逆境を乗り越えることだと思うので、もしかしたら関係があるかもしれないです。


4 ● エネゴリ
●20ポイント

おそらくこの映画は3D映画のため、視聴者と一体化するためにつけられた演出だと思います。
http://www.jtnews.jp/cgi-bin/rv_21458.html%3FSELECT=26599
http://ameblo.jp/taro07o2/entry-11735139291.html
ほかの水滴の場面では逆境に立ち向かう主題を"映画"として撮ることだそうです
http://matome.naver.jp/odai/2138711893874993901
http://www.team-lens.com/backstage/oh_please/2013/2013_034.html


5 ● くまっぷす
●50ポイント

僕はあれにはいくつかの意図があったと思います。どれも「死の世界から生の世界に還ってきた」という印象付けなんでしょうが…
1. あの水滴はライアンじゃない何かによって飛ばされたもの。(水中でもがいてるシーンでカエルが泳いでたんでカエル?それとも魚か何か?)→宇宙では彼女一人しかいませんでしたし生命体すら他にはいませんでした。完全な孤独から他の存在が溢れている世界への帰還の象徴。
2. 宇宙の無重力の世界では水は球状になってぷかぷか浮くか表面張力でどこかに張り付くかです。ああいう風にレンズにかかって下に垂れるというのはまさに「重力(Gravity)」の存在を意味します。無重力空間に長期滞在していたからか単に疲れていたからかはわかりませんがライアンがなかなかしゃきっと立てなかった演出とつながっていたと思います。


eggiさんのコメント
映画を通して無重力の状態でも水滴がレンズにつくシーンが一つあったのですが、 そちらは無重力なのでレンズに張り付いたままでした。 仰って頂いた2の説得力が高いように思います。「まさにグラビティ」という演出ですね。 ありがとうございました。
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