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岩宿遺跡は『相沢忠洋が打製石器を発見。日本に旧石器時代があったことがわかった。』『長野県野尻湖』は『ナウマンゾウの骨と打製石器が同時に発見された』という、発見の意義についての質問です。
相沢青年が見つけた打製石器から、日本にも旧石器時代があった事が分かった。というのは分かるのですが、では野尻湖から打製石器(とナウマン象)がセットで発見されたという事からは、何がわかるのでしょうか? 岩宿と同じように、日本にも旧石器時代があった という事が分かる という理解でいいのでしょうか? ナウマン象骨から、日本列島が大陸と陸続きが想定される点は理解しております。打製石器も見つかっているという事実から、推定される事をお教え下さい。
あと、発見年代のことですが、野尻湖ナウマン象が昭和23年で、相沢青年の昭和24年よりも1年も早かったのですよね。それでも、日本に旧石器時代があったことを最初に発見したのは相沢青年である、とされている理由は何でしょうか? 昭和23年にはナウマン象化石が見つかっただけで、その時点(昭和23年)では野尻湖で打製石器はまだ見つからなかったから、いう理由からでしょうか?

●質問者: summerkarasawa
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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1 ● sibazyun
ベストアンサー

発見の年代ですが、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E5%AE%BF%E9%81%BA%E8%B7%A1 によると、
相沢さんの発見自体は昭和21年だが、学術的に旧石器と認められたのは昭和24年。

一方、野尻湖については、http://www.avis.ne.jp/~nojiriko/ayumi.html によると、
ナウマン象の発見こそは昭和23年だが、発掘は昭和37年からで、昭和39年に、同じ地層から初めて打製石器が発見された。つまり、その年にはじめて、ナウマン象と、
旧石器時代の人間が同時にいたことがわかった、ということでしょう。


summerkarasawaさんのコメント
早速に、教えていただきありがとうございます。発見された時期と、○○と認定される時期、というのも異なってくるのですね。 やはり、相沢さんの発見が(旧石器時代についての)第一発見、ということが分かりました。 また、野尻湖については、(ナウマン象とセットではあるが)旧石器時代についての発見であるということが分かりました。どうもありがとうございました。
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