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a-kuma3 ●50ポイント ベストアンサー |
最終選考まで行って落ちた、と記憶にある人は、落選が一回だけの人しか、ぱっと出てこなかったので、ちょっと探してみました。
# ちなみに、東野圭吾、宮部みゆき、福井晴敏。
# 有名作家で、賞に落選したけど、というひとはたくさんいるはず。
とりあえず、ひとり。
――そうするとあちこちに応募したわけですね。
その人の素顔|堂場瞬一( 作家) ×池上冬樹( 文芸評論家) 対談 「読まないと書けない。今でも大量に読むし、それは後に血肉になる」
堂場 しましたね。江戸川乱歩賞を獲って、華々しくデビューするつもりだったんですけど(場内笑)、乱歩賞は1回、最終選考まで行って落ちました。それと新潮ミステリー倶楽部賞という厳しい新人賞ですね。なにが厳しいかというと、最終選考の場に呼ばれるんです。選考が終わるまで待ってなきゃいけない。最終選考と授賞式を一緒にやってしまうので、おあずけ食った人間は、隅のほうで指をくわえて見ているしかない。その新潮ミステリー倶楽部賞は2回、最終候補に残りました。いずれなにかの賞を獲るだろうと思っていたんですが、3回も続けて最終で落ちてしまうと、疲れましたね。それで気晴らしのつもりで出した小説すばる新人賞が、なにかのまちがいで獲れてしまったわけです。
桐山真一という人の「名探偵、あつまれ」という本の後書き。
僕の文学修業は茨の道でした。
http://books.google.co.jp/books?id=RnAalLRk59kC&pg=PA339&lpg=PA339:title
「コバルト・ノベル大賞」1次予選通過。
「パレット・ノベル大賞」2次予選通過。
「新風舎出版賞」3次予選通過。
しかし、最終選考まですら残れず、何度も作家をあきらめかけました。
こちらは、質問の意図とは外れてるけど、「何度も落ちたけど何とかデビュー」関わりで。
新聞社勤務などを経て、2013年『見えざる網』(投稿時のタイトルは「アンフォゲッタブル」)で第33回横溝正史ミステリ大賞を受賞し作家デビュー[2]。2009年から2011年まで3回連続で江戸川乱歩賞の最終候補、2010年には松本清張賞の最終候補に残っていた。
伊兼源太郎 - Wikipedia
2002年から8年連続で江戸川乱歩賞に応募し、2006年「ライダーズ・ハイ」で、2007年「聖クレーマーの憂鬱」で、2008年「ハーネス」で、最終候補作になる。2010年『再会』(応募時のタイトルは「再会のタイムカプセル」)で第56回江戸川乱歩賞を受賞し作家デビュー。
横関大 - Wikipedia
第6回日本ラブストーリー大賞にて見事大賞に輝いたのは、中居真麻さんの『星屑ビーナス!』。中居真麻さんは第1回からの常連応募者で、二次選考に二度、最終選考に二度残るほどの実力の持ち主。2009年に『ハナビ』(宝島社刊)でデビューしていますが、才能は認められながらも無冠だった彼女が、このたびついに大賞を受賞する結果となりました。
日本ラブストーリー&エンターテインメント大賞 » 第6回『日ラブ』大賞
作家デビューの後の受賞だから、質問の意図とは、ちょっと違うか。
まだ芽が出てない方についても。
吉秒匠というペンネームのお方。
回によって最終選考前の選考が第三次であったり第四次であったりするので、最終選考に到達して落選したものはそれを明記しました……してみて気づく、最終選考落選の数の多いこと……
『とかげの月/徒然』 『ウィングス小説大賞で最終選考に残る方法』その1。
編集部期待作、二回。
最終選考通過、一回。
最終選考落選、十一回。
一応、妄想ブログでは無さそう。
→ http://ranobe-mori.net/prize/wings.php
2006年のブログの記事だったので、もう、諦めているのかと思ったのですが、あにはからんや。
http://yoshinogi.blog.ocn.ne.jp/tokage/2011/11/42_f7ab.html
最終選考が、第三次なのか、第四次なのかが分からないのですが、かなりコンスタントに進んでます。
最新の状況が、これ。
http://yoshinogi.blog.ocn.ne.jp/tokage/2013/11/44_a608.html
多分、今年も応募されるのでしょう。
斯波耕之介というペンネームのお方。
【応募履歴】 (一次選考通過以上)
斯波耕之介のプロフィール:So-netブログ
2013年 1月 第59回江戸川乱歩賞/一次選考通過
2012年 1月 第58回江戸川乱歩賞/二次選考通過
2011年 1月 第57回江戸川乱歩賞/一次選考通過
2010年 5月 第 3回 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞/一次選考通過
2009年 5月 第 2回 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞/最終候補
2008年 5月 第 1回 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞/一次選考通過
2006年10月 第17回 鮎川哲也賞/最終候補
2006年 7月 第27回 横溝正史ミステリ大賞/一次選考通過
2006年 1月 第52回 江戸川乱歩賞/二次選考通過
2005年10月 第16回 鮎川哲也賞/最終候補
2005年 3月 第18回 小説すばる新人賞/一次選考通過
2005年 1月 第51回 江戸川乱歩賞/一次選考通過
2003年10月 第14回 鮎川哲也賞/一次選考通過
2002年 8月 第10回 日本ホラー小説大賞/一次選考通過
2002年 5月 第20回 サントリーミステリー大賞/一次選考通過
第2回 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞のときの、島田荘司の選評がこちら。
http://fukumys.jp/senpyou-2.html
第59回乱歩賞後の、ブログの記事がこちら。
http://kohnosuke-shiba.blog.so-net.ne.jp/2013-04-22
今年(2014年)の、乱歩賞(第60回) には、応募したのかしらん。
こちらは、真偽のほどが分からないやつ。
で、現在は「アベンジャーズ」に萌えて、オリジナルBLを書いているわけです。
no title
過去にとある新人賞に応募していた時期があり、3回連続最終選考までは残る程度の腕でした。
ま、他の賞に応募もしていたわけですが、とある批評に納得いかない部分が。
参考には、ならんかな。
北重人(きた しげと)
えっ、時代小説歴史小で何度も受賞を逃す? -時代小説でござる
1948年生まれ。妻や友人の勧めにて何度か文学賞に応募するも、最終候補に残りながらあと一歩で受賞を逃しました。
1997年、第77回オール讀物新人賞に短編「陽ざかりの棗(なつめ)」で応募し最終候補まで残るが、決選投票でのちに直木賞を受賞した作家・山本一力の作品「蒼龍」に敗れる。
2001年、第8回松本清張賞に「蒼火」で応募し最終候補作となるも、三咲光郎の「群蝶の空」に敗れる。
2004年、第11回松本清張賞に「天明、彦十店始末」で応募し最終候補作となるも、決選投票で山本兼一の「火天の城」に敗れる。
山本一力と山本兼一という同じ山本姓の二人に敗れたのは偶然?
しかし、第11回松本清張賞の選考委員・大沢在昌と伊集院静の強い推薦により、「天明、彦十店始末」を「夏の椿」と改題出版し異例の作家デビュー、「蒼火」も出版となる。
学生時代の新宿を背景書いた短編「超高層に懸かる月と、骨と」で、1999年、第38回オール讀物推理小説新人賞を受賞。その後「蒼火」は2007年に第9回大藪春彦賞を受賞。
嶋中/潤
Amazon.co.jp: 代理処罰: 嶋中 潤: 本
1961年千葉県生まれ。東京工業大学大学院修了。リクルートグループを経て、宇宙関連企業で国際宇宙ステーション関連業務に従事。現在、宇宙関連団体に在籍中。1999年の第3回日本ミステリー文学大賞新人賞から応募し続け、8回の最終候補に残った。『代理処罰』で受賞となる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
日本ミステリー文学大賞新人賞を取ったのは、2014年の第17回。
http://www.kobunsha.com/company/scheherazade/mistery_new.html
ぼくより年上で、文壇デビューだ :-O
新人賞に応募しては落ち、応募しては落ちの日々が続き、倒れそうになった決意を何度も立て直した。もしかしたら作家にはなれないかもしれない、と頭をよぎったことは数知れず、結果の出ない人生に焦りさえ感じるようになった。
菊池寛作家育成会 | 菊池寛作家育成会出身作家
最終候補まで残って、かどうかは、分からないです。
何故、この方を挙げてるかというと、「読書が好き」から「作家になりたい」を経て、デビューするまでの気持ちと言うか、考え方が書いてあり、質問の答えにはなってるのかな、と思って。
清水義範は、落ちまくった、と書いていた。
スティーヴンキングも、死ぬほど落ちたと言う。
宮部みゆき(既出ですけど)へのインタビュー http://www.osawa-office.co.jp/old/qa/qa_miyabe-05.html
自分も宮部さんのような推理小説家になりたいと思い説新人賞に応募したのですが、2次選考で落ちてしまいました。
ところで、宮部さんの『我らが 隣人の犯罪』は、宮部さんにとって生まれて初めての応募だったんでしょうか?(海豹)
Q63 「我らが隣人の犯罪」で賞をいただいたとき、オール讀物推理小説新人賞への応募では3回目でした。
でも、応募回数を気にする必要はないと思いますよ。
桜井晴也へのインタビュー http://yorikanekeiichi.com/techniques-for-winning-the-rookie-of-the-novel-6292.html
桜井:文藝賞は6回くらいです。他の新人賞を入れると、19歳から応募し始めて、8年9年で、20回いかないくらいです。
小説、最終選考の2つのキーワードで検索してTOPに表示されたのが小説宝石だったので、そこを調べてみました。細部まで検証したわけではありませんが、長谷一馬さんという方が2度最終選考に残っている点が目に付きました。第6回(応募総数1179編)と第7回(応募総数998編)の2回です。第7回の最終選考対談を見ると、斎藤亮さんも同じく連続で最終選考に残っているとの事実がさらに拾えました。
http://kobunsha2.com/sho-ho/newcomer/7prize/7saisyusenko.html
長谷一馬さんについては、前回の作品の方が良かったと、新作では評価を下げられています。斎藤亮さんについては第7回を読んだだけでは判断がつかなかったのですが、第6回がA、第7回がBの判定なので、やはり評価が下がっていました。ただし、最終選考に残ったという事実は、すでに100倍以上の倍率の中から選ばれた実力の持ち主である事の証明でもあるので、単に審査員の評価がどうこうという問題として軽々しく論じていい話ではないようにも思っています。一度最終選考に残ったからといって、次の作品もまた最終選考に残れるという保障はどこにもないわけで、応募総数などの要素を無視して最終選考のみに着目するのは、調査基準としての有効性に疑問が残るところでもあります(最終選考にさえ残れなかった人はどうすれば…)。卒論などと違って、一度提出したものを手直しして、受け入れられるまで何度でもチャレンジ…というわけにはいかず、発表のチャンスは1度きり、次作品はまた1から作り直さなければならないという点を忘れてはなりません。
ご質問の意図としては、3度目の正直などジンクスが実在するかどうかを判断するために情報を集めている、といったところなのでしょうか。しかし、No.1の方の回答もNo.2の方の回答も、複数回の応募の事実こそ示していますが、その応募作品が最終選考まで残ったかどうかについてまでは説明していない点にも着目するといいでしょう。つまり、最終選考に残った回数から判断するという手法そのものに無理があるようにも思われるのです。
あと、以下は参考として…
賞の獲得については、作品を発表したタイミングというのもあるでしょう。作品がいかに素晴らしかろうとも、審査員の目にさらに評価に値すると判断された作品が同時期に審査の俎上に乗せられていたのであれば、これはもう不運としか言いようがありません。しかし、上記小説宝石の第3回の例では2人が同時に新人賞を受賞していますし、結局は審査員に実力が認められるかどうかという話なんだと思いますね。新人賞の場合はまずないと思いますが、もっと大きな賞になると、「概等者なし」なんて判定も実際にあるわけなのですから。
http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/archives/literature/naoki.htm
要は審査員がどのような点に着目して審査しているのかを知るために、選考過程を公開しているところがあるのであれば、そうしたところを徹底的に分析し、「どのような書き方が評価を下げられるのか」を理解するのが受賞への一番の近道なんじゃないかと思いますけれども。
つまり私の感覚で言わせてもらうと、最終選考に残るというのは、いかに多くの人々の心を捉えたかという感性に訴えかける評価点部分、言い換えるならば、いかにして読者を引きつけるのかという作家としてのセンスのみであるのに対し、最終選考ではさらに技術面をも加味した、減点方式で審査が行われているのではないかということです。もちろんそうしたセンスは重要であって、センスが無ければ読者が共感する事はまずありません。しかし賞を与えるという事は事実上、「うちの看板を背負わせる」という意味でもあるので、技術面が未熟であると「難あり」とみなされるのではないか、とこういうわけです。
知人でそう言う方を知ってますが、名前は伏せさせてください。
最終選考で「ほぼ出版できる」とお墨付きを貰っていたにも関わらず、発表に彼の名はありませんでした。
その後、ショックで半年ほど引籠ってしまったそうです。(本人談)
現在は、ネット小説サイトで掌編を書くまで復活しましたけど、長編は書いてないみたいですね。
もっとも、有名国立大学の学生で、就職して忙しくなったのも原因かもしれません。
この前会ったときに、もう投稿はしない。みたいな事を言ってました。
もし、なにかの取材等でその後を追いかけたいのであれば、別途連絡をください。