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1960年頃子供向けテレビシリーズで怪傑ハリマオをというのがありました。
私が不思議に思うのは「抑圧される東南アジア(第4部を除く)の人々を解放すべく、正義の使者ハリマオが活躍する」・・・よくこんなシナリオプロットで制作のOKサインが出たなということ。
私の知識でも当時の映画もテレビもそれ相応の政治的配慮や有形無形の圧力はあったはずで、このような戦前・復古的な大義が終戦からわずか15年程度、冷戦下バリバリの状況で戦勝連合国側の潜在的恐怖感をあてこすりながら作られてよいものかと不思議に思うのですがみなさんはいかがですか?もしこの辺の裏事情がオタク系研究本とかに既出していればご教示ください。(「米帝は日中共同の敵」と発言した浅沼稲次郎が刺殺されたのも同じ1960年です)

●質問者: minminjp2001
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● tea_cup
ベストアンサー

1961年当時のテレビは社会的影響力が弱かったのが最大の理由でしょう。
他に理由として考えられるのは、以下の2点でしょう。
・製作の宣弘社はテレビ分野の広告代理店だった為、横槍が入らなかった。
・提供は森下仁丹の一社提供だった為、意思疎通が容易だった。
森下仁丹は、放送終了直後に東京、大阪で二部上場企業になっています。

テレビでのいわゆる”反米報道”に日本政府が”弾圧”を始めるのは、1965年の『南ベトナム海兵大隊戦記』以降です。


minminjp2001さんのコメント
返答おそくなり申し訳ありません 南ベトナム海兵大隊戦記の件の客観的資料を参照していただいたのでベストアンサーにさせていただきます。 当時はまで10年前のインターネットと同じでテレビ自体が新進メディアだったというのは見逃せないでしょうね。ということはネットも今後どうなるか判らないということでしょう。回答ありがとうございました

2 ● Tortuous Capacitor

1960年当時は冷戦下であったからこそ政治的圧力が無かったのです。

  1. 当時の米国は、ソ連とは違って表現の自由を重視していることを世界中に示す必要があった。
  2. 当時の米国は、日本を自由主義陣営に入れておきたかったので、日本の右翼を敵に回したくなかった。
  3. 当時日本と国交のあった中華民国は、中国共産党(中華人民共和国)と敵対していたので、日本を敵に回したくなかった。
  4. 当時の米国・中華民国・英国にとっては、ファシズムの残党よりも、ソ連の核兵器の方が脅威であったし、ソ連を中心とする社会主義・共産主義の方が脅威であった。

minminjp2001さんのコメント
返答おそくなり申し訳ありません 箇条書きでわかりやすいです。 1の件は説得力を感じます。考えてみれば、シャープ兄弟対力道山なんて現代基準からみても過激なギミックですから。3S政策に関してあったのか無かったのか自体議論されているようですが、私の個人的な印象では有形無形大小問わず「かのように機能していた」と思います。 2の件もそこそこ理解できます。 3の件はちょっとよく判りませんでした。 4の件もそこそこ理解できます。 回答ありがとうございました
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