人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

徳川次郎三郎源朝臣家康という名前ですけれども、豊臣秀吉の場合は、どういうふうになりますか?「木下藤吉郎豊臣朝臣秀吉」でしょうか?

次郎三郎とは、松平家での長男の通り名だったようですが、「藤吉郎」というのは、どういうものでしょうか?
(「藤吉郎」というのは、木下家の名前でしょうか。しかし、
木下家という家はもともとの彼の生家の名でもないと思いますけれども。)

●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● 匿名回答2号

羽柴誠三秀吉・・・ じゃなくて
豊臣朝臣羽柴秀吉 だとおもいます。

ちなみに、
征夷大将軍になるのは源氏の嫡流でなければならないという不文律
ってのは「源氏長者」と混同してる気がする。

信長は平氏名乗りで征夷大将軍やってんか、といわれてるし、鎌倉時代も後半は源氏嫡流でない公方様いますし。

似たような話だと、秀吉は、関白になるために近衛さんの養子になって藤原氏を名乗ったりしてる。


匿名回答1号さんのコメント
信長は征夷大将軍にはなっていません。 むしろ朝廷を否定する武力集団の頭目だった。 公家ではなく武家の出で将軍になるには平氏か源氏の嫡流だった・・って知らないだろうな。 朝廷の警備役の官位が歴史的に色々あって、当時の官位として「征夷」つまり外向けに軍事力を使う役職として公認されていたのが征夷大将軍。 朝廷の本来の方針としては武力の全廃だったから、穢れ役を容認していたって言うのが実情に近い。 軍人の序列は朝廷では低いが、大っぴらに軍を動かせるというのが権力への必要条件だった。 平氏は滅びたから、必然的に源氏になる。 もっと言えば、武官の位は穢れ役だから、藤原氏とかにとってはどちらかと言えばなりたくない官位だった。 当時のお公家さんは武士の捨て扶持で養ってもらっていたんだけどね。

匿名回答2号さんのコメント
>信長は征夷大将軍にはなっていません そうですよ。 でも朝廷から将軍職を平信長にオファーされたのは事実です。 ※「源氏でなくても征夷大将軍になる資格があるかどうか」なのであって、朝廷を否定していたのかどうかは論点ではありません。 また、信長が平氏を名乗っていたのも事実。 >平氏は滅びたから、必然的に源氏になる。 事実上滅んでいたのは、河内源氏嫡流も同じことです。 ゆえに摂家や調停から鎌倉に呼びよせて将軍としたのです。

匿名質問者さんのコメント
三職推任問題は、現在も論争中でしょうか。 また、公家も武官にはなっていますね。近衛府や衛門府の役職名を名乗っています。 羽林家というのは、まさに、近衛府の大将になるぞ、という名前ですね。 また、鎌倉時代は摂家将軍(九条家)、宮将軍、が出ており、南北朝時代は、親王が征夷大将軍だとか征西大将軍とか、公家が鎮守府大将軍(将軍ではない)についています。 源平交代説というのは、当時すでにあったのか、どうか、興味深いところですね。 信長なら、源平交代説など笑い飛ばす、そういう英雄であってほしい、 ・・・と話がそれました。申し訳ありません。 ***************** 皆さま、いろいろとご教示ありがとうございました。 ●豊臣朝臣羽柴秀吉なのですね。 或いは、羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀吉ではだめでしょうか。 「苗字+通称+氏+姓+諱」 という風に整理したかったのです・・・ ●木下藤吉郎豊臣朝臣秀吉ではない、ということですね(きっぱり)。 豊臣朝臣をもらった時点では、 木下という苗字は、羽柴という苗字にすでに切り替えているということですね。 この理解で大丈夫でしょうか。

質問者から

武官は、穢れであるという話を頂きました。大変、興味深いです。
いろいろ考えさせられます。

そういう意味では、検非違使とか弾正台も穢れに関係しないかな、と思ったりします。しかし、弾正台の長官は、親王の指定席だったりします。


関連質問

●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ