努力と才能はアンカウンタブル。どれだけ練習してもどうしてもできない人がいる。
たとえば、ある外科医の息子は、どうしても緊張する場面で手が震えて、テスト用紙に自分の名前を書くにも苦労していたため、親がものすごく希望してお金をかけるにもかかわらず外科医に不向き(手術時にも手が震えてメスで切ってはいけない動脈を切るといった医療事故を容易に起こすことが想定される)であった。
もし努力を客観基準とのおおざっぱな比例により近似する場合は、2種類考えられ、金と時間。
まず「努力=訓練に費やす個人の時間」と定義するならば、
この例の子どもを無理に外科医にさせようとすると、分母にあたる「努力=訓練に費やす個人の時間」が無限大に近づくし、もしなれても医療事故訴訟のリスクも高まるため、この子だけ収入/努力という割り算の答えが(達成できればかなり高収入であっても)ゼロやマイナスに漸近してしまう。でも手が震えるなど阻害要因がなく頭がよい、手先が器用などといった才能がある人であれば医者、とくに外科医になれば学費の元が取りやすいというのは常識。
なお努力と同じように、才能も個人差が大きすぎ、ものさし(学歴)が直接役にはたたない。
もし「努力=親が払う学費」と定義するならば、学費と生涯賃金の調査は世間でもよくやられている。
学歴と生涯賃金の関係 [学費・教育費] All About
2/3 子供を育て上げるのに3000万円!? [学費・教育費] All About
医者は大学が4年ではなく6年。理系も修士まで行く6年制、文系でも司法試験に2年かけて合格が標準となりつつあり、すなわち期待される生涯賃金が高い職では「時間的努力や、学費的な努力」を多めにかけてもよいと候補者に判断されている。こちらのほうが肌感覚としてではあるが詳しく検証が繰り返されていると思う。特に親の出せる学費が私立大医学部の学費より少ない場合は、定員が少ないのに人気のある国立大学医学部を狙うため、子供の個人的時間という意味の努力で補うことになる。
一方で理系ポスドクとなると自殺者・行方不明者が多いと問題視されて国内アカデミック職はかなり不人気となっている。(本気のアカデミック志望者は海外で箔をつけるため余計に学費がかかる)
「平均(メディアン)的努力」と「平均(メディアン)的期待値」で算出しても、他のジャンルの進路(=他の職種)より期待値が劣る場合。著しく他職種との不均衡があればどの進路ジャンルでも非常に大きな問題となる(今はそれが理系ポスドクの番である。翻訳家を育成するための外国語のような、大学から専攻科目が存在しなくなりつつある職業もあるし、珠算こみの経理なども消えて久しい。期待値が低くなったから消えたといえる)。
結局、社会的、人材市場の需給圧力により人材市場は自動的に調整されている。収入の期待値が低い職(キツくて体を壊しやすい職、応募者が多すぎ競争率が高い職、多大な親のサポートを要する職種)は、よほど才能や資金源があり有利な者以外、選択しようと思う希望者が自然と減る。音楽家、スポーツ選手、漫画家、小説家などの職種はこれに属するとかんがえられる。
塾や予備校の価値はどのくらいか - 月刊木村:清須市で営む塾での日々 あまり細かくない、肌感覚の期待値計算。