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フランク王国(カロリング朝断絶後)のあたりを勉強してますが、教えて下さい。東フランクでは、ザクセン大公(リドルフィング家)やフランケン大公(コンラート家)といった諸侯(大公=ヘルツォーク)が後継者として出てきますが、西フランクでは、パリ伯ユーグ・カペー(伯=コンテ。ただし⇒ドイツ語でなら、グラーフ)が後継者として出てくると認識しています。

下記に引用した「教科書サイト」をみると、
(1)フランク大公とも書いてます。ユーグカペーは、大公(デュク。但し、ドイツ語だとヘルツォーク)でもあったのか。

また、このフランク大公とは、ドイツ語で言えば、フランケン大公となってしまわないか。
(2)もし、なってしまうと、どう考えたらいいのか。コンラート家と かぶってしまいそう。


> 【高等学校世界史B/西ヨーロッパ世界の成立・・・サイト】
西フランク王国(フランス)でも10世紀末にカロリング家の血筋が断絶し、
諸侯たちによってフランク大公(パリ伯)のユーグ=カペーが国王に選ばれた。
しかし、カペー朝はパリ周辺を領有するだけの、弱い王権であった。



●質問者: 匿名質問者
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

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質問者から

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2B/%E8%A5%BF%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B

というサイトです。


1 ● 匿名回答1号

フランス公もしくはフランク大公は用語不統一(統一)の一種です。
むろん、東フランクの部族大公にならってこちらも大公と扱う手もなくはないですが、質問者さんのように混乱を招くだけなので、
この場合のデューク・オブ・フランク、原語で言えばDux Franciae(dux Francorum)
https://en.wikipedia.org/wiki/Duke_of_the_Franks
は素直に「フランス公」か「フランク公」とする方が無難でしょう。

フランコニア大公と紛らわしいというのもありますし、ユーグ・カペーの父親の
Hugues le Grand(定訳はユーグ大公)が
「ユーグ大大公」みたいな謎の呼び方になってしまうという問題もあります。

リンク先にあるようにdux Francorumは大きく三つの別々の概念に使用されています。

1.メロヴィング朝の宮宰「フランク族の総帥にして首長」(Dux et Princeps Francorum)
2.西フランク王国からフランス王国への過渡期、ネウストリア辺境侯と重なるような重ならないような大諸侯の称号
3.フランケン大公

もちろんこれは後世の都合で勝手に区分しているだけとも言えます。
ですが、ducとduxとHerzogは時代によって意味合いが変化する用語なので、
何が何でも一意に訳そうとするよりは、適宜使い分ける方が理解しやすいのも確かです。


匿名質問者さんのコメント
ありがとうございました。 3つあると考えるということでスッキリしました。 フランク王国(メロヴィング朝期)で、宮宰であったカロリング家当主が、フランク大公という称号を持っていた。これが、「?ひとつめ」ですね。 フランク王国がカロリング朝に変わり、分裂したあと、東フランク王国では、ゲルマン部族の集団が残っており、かれらの首長に、大公の称号を与えた。 このうち、現在のドイツのフランケン地域の部族に対し大公を与え、そこがフランケン大公となる。これが「?みっつめ」ですね。 他方、西フランク王国では、ゲルマン系部族の集団というのが目立たず、そのような中で、西フランク王国での大諸侯に、フランス大公の称号を与えた。 これは、メロヴィング朝での前例(先述の「?」)に従ったという面がある。要は、名跡である。これが「?ふたつめ」であるということですね。 この「?」が、今回、私が混乱してしまった「フランス大公」です。 すこし、乱暴かもしれませんが、このように整理してみました。

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