なお、星亮一『山川健次郎伝―白虎隊士から帝大総長へ』、久野明子『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』は既読ですので、書籍を紹介してくださる方はそれ以外で御願いします。
山川家、ということで検索しました。
「山川家の先祖は信州高遠の出で、代々治大夫を襲名した松平氏の世臣であった」
「捨松は幼名咲子[さきこ]、1860(万延元)年2月24日、会津若松市東栄町八番付近に当たる当時の若松城下本二之丁山川大蔵[おおくら](後の浩[ひろし])の末妹に生まれた。兄弟は二男五女あった。
咲子が生まれたとき、父の山川尚江重固は1ヵ月ほど前に病死していた。このため咲子は祖父山川兵衛重英[ひょうえしげひで]と母えん(雅号唐衣[からころも])に育てられ、中途から15歳年長の長兄大蔵が父親代わりとなり、次兄健次郎が賢兄であった。
山川家は信州高遠時代から代々保科松平家に仕え、祖父兵衛は300石の勘定奉公で身を立て、幕末会津藩の財政を担当し、1000石の家老にまでなった理財の才のある人であった。」
「現在の会津酒造歴史館駐車場東側より、会津酒造組合にかけての一体が旧会津藩家老職山川家の屋敷跡であった。」