最近は、TV新聞ネットと情報が溢れています。でも、実際自分に本当に必要な情報なんて殆どなく、9割以上のニュースはまったく知る必要のない情報、しかもいやな気分になるニュースが大半だと気がついたんです。
例を出すと、秋葉原のニュースで知っておくべきポイントなんて「秋葉原 通り魔 被害者多 気をつけよう」だけでいいんです。事故のニュースなんて知ってなにもなりません。どこでどんな事故や殺人が起きようが、自分と周りに気をつけることには変わりないですし。
現代社会に生きている以上、修行僧のように世俗を断つわけにはいかないでしょう。
号外になる程のニュースをまったく知らないのはいけないでしょうし、政治家の発言をまったく知らないのも選挙権を持つものとして無責任です。ですが、情報はあくまで自分からアプローチするもの、もしくは私に対して与えられたものでありたいのです。
皆様の中に、周りに、意識的に情報を減らすよう努力している方はいらっしゃいますか?
また、どういった方法をとられているでしょうか。利点や欠点があれば教えてください。
よろしくお願いします
回答していただきありがとうございました。
皆さんの回答で、まずは自分の心の持ちようと姿勢を見直すことにします。
TVニュースを悪者のように扱っていましたが、そもそもTVスイッチを入れたのは自分なのに…。
とりあえずは、明らかにいい気分にはならないだろうな、というニュースは意図的に避けて
だらだらネットサーフィンしたり暇だからという理由で無意識にTVをつける癖をやめたいと思います
恥ずかしながら、秋葉原の事件報道に首を突っ込んでいたのは私自身でした。
野次馬根性でじっくりしつこくニュースにかじりついていたのは自分ですね。
TVなんて消してしまえばTVニュースは見れないんですし・・・。
自分の行動から見直すことにします。
考え方は、あとからある程度ついてくるでしょうし・・。
ありがとうございました
確かになにげない情報が必要になる時ってありますよね。
情報は窓を開けるから入ってくるといわれてなるほどと納得しました。
結局、ネットでだらだらニュースを探しているのは自分ですし
TVでニュースを望んでみているのは自分です。
流行を追うかどうかは、流行という言葉自体ものすごく広義なので答えにくいですが
仕事によってなにを最低限の知識にするかなんて違ってきますので
結局は自分で選びとるしかないんですよね。
世代時代が違ったら考え方が違うのは当然です。
一人の人間が意識無意識にかかわらず受け取る広告の数。
1970年代は約560件、2000年に入ってからは平均3000件以上というデータがあります。
(アメリカでのデータですが…)
大なり小なり、言われるがままに受け取っていたらパンクしてしまう時代です。
ただ、他の人の意見で考え直したのですが、インターネットで実際に検索するという手段を取らなくとも
テレビのスイッチをつけた時点で、自分から情報を取りに行ったことになるんですよね…。
情報に必要か不必要かなんて判断は出来ないです。
面白くない、ためにならないのならきればいいです。情報は窓を開けるから入ってきます。
生活や生きていくのに必要なことはもとからしっているだろうし、必要なら本を読めばいい。
しかし、それで円滑なコミュニケーションは取れないでしょうから、
NHKあたりの無駄のないニュースを朝か晩に一度見れば十分でしょう。
理系や研究職ならそれでもいいと思います。
ですが人と話す職業なら、対人スキルを上げるためにも広範な知識は必須です。
流行を追わないといけないですし。
情報があれば世間に詳しく、人付き合いも円滑。
知らなければ世間知らずだが、自分や仕事にあてる時間が増える。一長一短ですからご自由にお選びください
> 情報はあくまで自分からアプローチするもの
> もしくは私に対して与えられたものでありたいのです。
ゆとり世代(30代後半より若い、広義の「ゆとり世代」)に多いですね、こういう考えの人って。
さらに、情報源をインターネットに限定すれば、自分から情報を取りに行かない限り情報は入ってきませんから、お望みのライフスタイルに近づけるのではないでしょうか。
私には実践できませんけどね。
好きな野球チームが負けたり、サッカーチームが負けたりすればテレビ、新聞、ラジオ、ネットを自らシャットアウト(見ざる、聞かざる、尋ねざる!)これだけでも充分世の中のことに付いても疎くなりますが・・・
テレビを見ないで新聞も読まず、ネットもニュースサイトを見なければびっくりするくらいに世間知らずでいられますよ。
私は逆にそれが不安なので朝の1時間だけはテレビをつけるようにしていますが、フジテレビだし身支度をしながらなんとなく聞くだけなので秋葉原の事件も「秋葉原」「25歳」くらいしか聞き取れず、会社で話題にでたので同僚から簡単に説明を受けました。
自分から取りにいかなければ別に情報はそう多く舞い込んでこないと思いますよ。
食堂などで見て、初めて岩手・宮城の地震を知ったり・・・(汗)
けれど、報道されない様々な大きなこともあるのですよね。
センセーショナルな事件ばかり報道されますが
じわじわ決議される法律や社会現象など、
もっと知っておく必要があることが沢山あるのにと思います。
(後期医療・・・なんて、決議されたのは前年の話なのに。
審議中には大して報道せずに、
今更になってお祭りのようにわいわい報道し出したマスコミは何なのだろう?と思います、まったく。)
あと、こういっては何ですが
もっと身近に気をまわしておくべきことは沢山あるのでは、とも思います。
大衆芸能人の話をさえぎることで、
ご近所や通う駅や道路での話や、近くの公園などの花鳥風月の美しさが身に染みてくるものです。
自分の親や子供、祖父母や親戚、ご近所やお友達のこと、学校や会社の同僚のことを知っておくことや
近所のお店や公共施設(道路なども)の動向を知っておくこと
自分を大切にして自分をゆっくり見つめること(あるいはぼーっとしたりゆっくり寝ること)と、
特別な興味にない芸能人をチェックすることと、どちらに時間を割きたいでしょうか?
と私も思います。
友人の情報収集に余念がなくなったり
友人からのニュースに突っ込みを入れて、友人にもマスメディア報道の不完全さを感じてもらえたり、と
きっとメリットを享受できますよ。
回答ありがとうございました!
私の言葉が拙かったせいで、いまいち皆さんに言いたいことが伝わらず、早々に質問を終わらせてしまい申し訳ありません。
そうですね、対して興味のない大衆芸能人や、あとは猟奇的殺人事件の詳細など、
自分から遮らないといけません。
笑い話ですが、私は地元のおいしい店よりも、東京の大人気店の店名の方が詳しいんですよね。
なんだかおかしな話です。
それに、世間での話題は、お話し好きな友人から仕入れるというのは目から鱗です。
確かに、すべて自分で知っていなくてもよいですよね。
お話し好きの友人にとっても、それを知らない相手、しかもうんうんと興味深そうに聞いてくれる相手に
お話をするのは楽しいんじゃないかなと思いますし、私と友人、双方がいい気持ちになりそうです。
人にはそれぞれ得意分野がありますよね。情報リサーチと取捨選択が上手な人に、
情報を教えてもらうというのは素敵です。
私は、今まで典型的なメディアに踊らされていた人間なので、まずは、多少情報に疎くおくれた人間になったとしても
まずは自分の周りの人間や、今生きている地域、自分の興味のあることをじっくり掘り下げていこうと思います。