(1)当時、喝食になるには、どういう手続が必要だったのでしょうか? どのお寺を選ぶか(どの宗派を選択するのか、ということから始まって)、この点も大切だと思います。 また、費用(修行費用)はどうなのでしょうか? (2)足利学校へ遊学するためには、どういう手続き(選抜)が必要だったんでしょう? 学費(宿泊費も)は不要だったのでしょうか? 禅宗関係の僧でないといけないのでしょうか? この人は、大変すごい人だと思いました。
宗派の宣伝だとは思わないのか?
なぜそのような記録が残されたのかを考えて欲しい。
当時は紙は貴重品だったし、字を書ける人も少なかった。