病床で作られた歌とのことです。きっと毎日毎日寝ていて、今のように娯楽もなかった時代では枕もとに生けられた花くらいが気晴らしだったと思います。藤の花って高いところから長く垂れ下がってるイメージがあるけれど、実際花瓶に生けられたそれは思ったより短かったんでしょうね。届きそうで届かないものを、治したいのに治らない自分の病状と重ね合わせたんじゃないかしら、と思いました。自分は精一杯手を伸ばしているのに、ほんの数ミリしか離れていないのに触れない時って、逆にすごい距離感を感じてしまいますよね。絶望っていうと重すぎますが、叶わない運命なのかなと考えたり。あと、藤=不治とかけてるようにも思いました。かなり自分なりの読みというか、感想ですが。
http://homepage1.nifty.com/RED-SILVIA/tanka&hyoronbun1.htm
討論+評論文の指導 〜小林幸雄氏の追試〜
学校ではこんなふうに指導するんですね。
こちらはずいぶん深い解釈ですね。
こんなふうに解釈する方もいらっしゃいます。
病床からの視点とういことらしいですが、わたしにはその藤の花房の長さが気になります。
とにかくいろいろありますからその長さによってもいろんな解釈が可能なのではないでしょうか。
いろいろなリンクありがとうございます
参考にしたいと思います
まだまだ回答受け付けていますので
よろしくお願いします!!!
以上のような解釈をされているものがありました。私も、子規が病床にいた事を考えると、藤の花ってこんなに短いものだったかなぁ、というしみじみとした感慨深い思いが伝わってくるような気がします。
私は「藤の花」であったことに注目したいと思います。藤の花は花言葉にもあるように、「恋に酔う、歓迎」という華やかなイメージがあり、春を代表する花であります。しかし、「藤波の 花は盛りに なりにけり 奈良の都を 思ほすや君(大伴四綱)」という歌にもあるように、華やかさだけでなく、どことなく寂しさも併せ持っているのを、紫の花の群れをごらんになったことが有る方ならばわかるのではないでしょうか。
この歌の歌われた明治34年の五月からは病状悪化しており、おそらく死さえも望むような状況下(死は恐ろしくはないのであるが、苦しみが恐ろしいのだ「仰臥漫録」)で詠まれたものだと思われます。すると、藤の花は、懐かしい華やかな時代の象徴であるとともに、おそらく自分にはもう2度と巡ってはこない時代を感じさせるものだったのではないでしょうか。
動くこともできず、横たわる子規、視界に入る藤の花、それは華やかであった頃を思い出させる。しかし、今、自分がいるたたみに藤の花が届くのは、それが枯れ落ちたときだけです。
・・そして、藤の名の由来は「風散(ふぢ)」とも言われているのです。
「ガラス玉に金魚を十ばかり入れて机の上に置いてある。余は痛みをこらえながら病床からつくづくと見て居る。痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗じゃ」
痛い事も痛いが綺麗なことも綺麗。わたしはこれがとても心に残りました。
また、ここには「ほんとは画家になりたかった」らしいことも書かれていて思わずはっとします。
「瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり」は、詠んだ瞬間に「花瓶にさした藤の花房が短くて畳には届いていないなあ」と、ただそれだけの一枚の絵として正岡子規の中に保存されたように感じます。
ありがとうございます 大変参考になります
ほかの解釈も聞きたいのでどなたかよろしくお願いします