「世界観」という言葉は「世界についての見方・考え方」という意味(これを”意味A”とする)であり、「この作品の世界観」といった意味・用法(これを”意味B”とする)は本来誤用です。このことについて、どう思いますか? 自分の考えに一番近いと思われる選択肢を選んでください。
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コメント(7件)
アンケートに間に合いませんでした。
誤解と知りませんでした。(気付きませんでした。)
例えば「私の世界観」というのは私の場合の「世界とはどのようなものであるか」というものですよね?それは地図とか設計図とかいうようなものだと思うわけです。
ある物語において、制作に関わった人たちの(現実の世界に対する/物語内の世界に対する)世界観が反映されて作品全体としての独自の世界ができるわけですが、するとそこには「世界とはこのようなものだ」という一つの見通しのようなものが・・。
あ、だめだ。わからない。
解説希望です。
意味A=個人の主観
意味B=作品の表現する世界像(これを世界観と呼んではいけない)
蛇足=作者の(現実の世界に対する)世界観が作品の描く(空想上の)世界像に影響を与えることがあっても、表現された世界のことを「世界観」とは言わない。
んーと、たとえば「キリスト教の世界観」とかいうのは?
質問文にもある通り、「世界観」というのは本来「世界についての考え方」という意味であり、「○○の世界観」と書いた場合、○○に入るのは人間(と人間の集団名など)しか有り得ないと思うのです。
例えば「作者の世界観が反映された作品」といった表現は正しいと思うのですが、「作品の世界観」とした場合「作品の世界についての考え方」となり、意味がよくわからない。
もっと言えば、「○○の世界観」としたなら、「○○の世界観は××だ」と書けるはずですが、○○に人間以外の名詞が入った場合××にははたしてどんな文を入れることが出来るのでしょうか。
「意味B」は「世界設定・舞台設定」といった言葉を使うのが正しくて、「世界観」とはやっぱり違うものなんじゃないかなあ、と思うのです。
この場合の「キリスト教」という言葉は「キリスト教徒たちの総称」という意味を含んでいると考えられるので、間違いではないと思います。
だけど例えば「聖書の世界観」とした場合、これは誤用かなと考えます。
「この作品の世界観」とは、「この作品に表現されている作者の世界観」を省略しただけではないでしょうか。