しかも、初代文部大臣であった森有礼が、その鏡の裏に書かれたヘブライ文字を確認した、というのです。
「日ユ同祖論」はトンデモ学説の一つかも知れませんが、森有礼が「八咫の鏡」を見たという記事が最初に記載された書物もしくは資料をご存知のかたはいないでしょうか?
大手検索エンジンではキーワードを変えて何回か検索したのですが、ヒットしません。URLでなくても、原典はこれですと指摘していただけるだけでも結構です。
http://www.kamnavi.net/index.htm
神奈備にようこそ index
私も大変興味のある分野の話ですが、原典は判りません。
ただ、上記のサイトにはかなりマニアックな方々が集っていらっしゃるようですのでこのサイトの掲示板でご質問になってみてはいかがでしょうか?ご参考になれば幸いです。
貴重な御示唆ありがとうございます。もうちょっと粘って回答を募集してみます。
http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=2002020722000000000148...
話題通信No.119 [まぐまぐ!]
面白い論説ですね。
さて、森有礼が八咫の鏡を見たという記事ですが、記事そのものはないようです。
では、どうしてその事実が人々に知られるところになったのか・・・
1889年(明治22)2月11日の憲法発布の日伊勢神宮に参拝だそうです。
暗殺されて翌日には亡くなられてますね…
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TZ/C-IL-egami.html
江上波夫氏と三笠宮崇仁殿下/百瀬直也
頼み込んで見せてもらった…
暗殺された理由とされる無礼なふるまいとは遠いですね。どちらかがウソです。
こちらはご参考までに。
伊勢参りをした当日に暗殺され、翌日に死亡。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/204.html?c=0
森有礼 | 近代日本人の肖像
彼が言語学に長けていたこと。
伊勢参りをした日に暗殺されていること。
森氏が鏡をみたかどうか、本当に古典ヘブライ語を理解していたのか、その内容を綴りまでのこして他の人に吹聴する余裕があったのか、すべて疑問ですが、可能性があれば、そこに発生するのがトンデモ学説です。
…鏡のレプリカは誰がつくったんだろ?
私の知らないURLも幾つかあり、ありがとうございます。ただ、原典の確認はやはり無理ですかね〜。
森有礼の後に、矢野祐太郎という海軍将校が八咫の鏡の裏の文字を写しとったという記事も散見され、神政竜神会という神道の団体内でトップ・シークレットとして保管されていたのが、神示によって世に出た、という記述もあり、写しそのもはトケイヤー氏の著書などで見ることもできます。
しかし、これも真偽の確認はできていないようです。
いずれにせよ、ご指摘のように森有礼の伊勢神宮参拝→「不敬事件」として新聞をにぎわす→神道家西野文太郎による暗殺→世間の評価は暗殺者西野に同情的、というあたりで、西野文太郎は単なる狂信者ではない、という感じもして、八咫の鏡の裏の文字を読むというタブーを犯したことと関係がある感じがするのですが。
当時の新聞記事でも徹底的に調べないと駄目でしょうかねー。それはちょっと時間的に無理だな〜。
うーん。これらの本は原典を明記しないで質問のエピソードを引用しているのです。明治時代のもともとの原典はなんでしょうか?