なお、当方の関心領域は、日本における英語公用語化問題、ニ言語併用状態、第二母国語の習得問題などですが、糟谷啓介・三浦信孝編『言語帝国主義とは何か』(藤原書店、2000、ISBN4-89434-191-3)に扱われている範囲でしたら、他の事項でもかまいません。
よろしく御願いします。
東大下です
無効URL
同所よりこんなのが
・・・とはべつに、、、、冷戦終了後、「帝国主義」という語の意味というか使われ方というか用法というか、明らかに変容していきていますね。映画「スターウォーズ」やネグリの「帝国」もありますが、自由主義経済、世界資本主義、グローバリズムなどと同じような意味で使われていますよね。そうすると「大日本帝国」時代の日本の沖縄や朝鮮半島や南方諸島に対する国語化政策なんかのページも、言語侵略主義的観点から入ってくるかとも思います。
あと森有礼の「英語」というと、どうしても(第二次大戦敗戦直後の)志賀直哉の「フランス語」も思い出されます
このあたり、まさに小熊英二が『日本人の境界』で論じているところだと、思うし、森有礼の「日本語廃止論」以来の論争が今また再燃していると思います。
さきほどの『消滅する言語』のあとがきにおいても、著者がニ言語併用を無条件に「望ましい言語使用のあり方」とすることに訳者は不快感を示しています。「弱小言語の話者が自分たちの民族・文化的独自性の象徴たる母語に自信を持っていれば、その母語と優位言語とのニ言語併用状態を維持することができる」という主張なのですが、日本人自体、英語ができなければ世界で生きていけないという強迫観念にさいなまれ、母語に自信を失っているのではないか、日本語も危機言語の一つではないのかという危惧を訳者は表明しています。
もうすこし色々な方の意見などお聞きしたいので、明日の朝ぐらいまで回答受け付けます。
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/TOKIEDA/Gengoteikokushugi.htm...
「言語帝国主義」と云ふ偏見に基く時枝誠記批判の誤り
これなんかどうでしょうか。参考にどうぞ
このサイトにリンクしている「川島正平のページ」に取り上げられた「言語過程説」は面白いですね。
ちなみに『言語帝国主義となにか』は「まとめのひとつ」として挙げただけで、各筆者の立論、小熊英二氏の主張に全面的に賛成しているわけではありません。
日本において英語を公用語とする事は、日本を植民地化する事にもつながりそうなので、余り好ましくないとのことです。
多言語社会研究会関係の論文が多いですね。他のサイトはないのかな?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569617271/hatena-q-22
Amazon.co.jp: 日本語は生き残れるか―経済言語学の視点から (PHP新書): 井上 史雄: 本
サイトというか、本の紹介です。言語に経済的な視点を絡めたことについては、おもしろかったです。言語政策も経済に関わってきますよね。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4469211818/hatena-q-22
Amazon.co.jp: ことばの経済学: フロリアン クルマス, Florian Coulmas, 諏訪 功, 大谷 弘道, 菊池 雅子: 本
クルマスのことばの経済学。これも、かなり参考になります。
『日本語は生き残れるか』−既読です。森有礼の観点からそれほど進んでいるとは思えません。経済性だけを考えたら、日本語が英語に負けることは自明の理と思います。
『ことばの経済学』−未読。面白そうですね。経済学といいながら、すべてが経済学で価値判断できろという内容ではなさそう。こちらは読んでみたいと思います。
本音が出た報告、というところでしょうか。
中公新書の新刊『消滅する言語』(ISBN4-12-101774-9)においても、訳者の一人が「言語危機(地球上において、2週間に一つの割合で少数民族の言語が消えつつあること)の原因は英語の世界的展開にあるのに、危機言語を使用する共同体を説得し、言語救済を試みるべき」という著者(ディヴィッド・クリスタルといイギリスの言語学者)を「キリスト教の布教を絶対の善として「野蛮人」たちを次々と改宗させていった昔の宣教師になぞらえて、批判していますが、圧迫される言語の側の感覚は、英米人には理解されないだろうという諦めはありますよね。