①キリスト教は同性愛をどうしてだめなものとしてしているのか。
②現在、キリスト教と同性愛はどういう関係にあるのか。
(プロテスタントとカトリックとの状況の違い、国や地方ごとの違いなど、キリスト教はキリスト教でも考え方にズレはあると思うのですが…たとえばイギリスなんかでは同性婚を認めましたよね。あそこはキリスト教国のはずなのに…なぜ??)
イギリスに限らず、できるだけいろいろな例をあげてほしい詳しく教えてください)
また、ネットでも本でも良い文献があれば教えてください。
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/9559/gayhistory4.htm
My Morgue/�������̗��j�@���L���X�g���ɂ����铯����
①キリスト教は同性愛をどうしてだめなものとしてしているのか。
「キリスト教では、同性愛を禁じている。その根拠として聖書の中に、それが”神に対する冒涜”として述べられている逸話が記載してあるためである。」
②現在、キリスト教と同性愛はどういう関係にあるのか
「聖書に忠実な原理主義者は、非生殖的なセックスには嫌悪感をいだいています。けれども、ユダヤ=キリスト教社会である西洋詣国では受け入れらつつあります。
聖書に同性愛が出てくるのは一箇所だけで、旧約聖書のノアの箱舟の原因の一つとされており、その都市はソドムという都市だったため、同性愛関係を言い寄って同性愛者化することをソドマイズと言い、その罪をソドムの罪と言っていました。
しかし、教皇ヨハネパウロ2世は『同性愛者であることは選択肢(チョイス)だ』と言っており、同性愛が生まれながらにして生じていると考えている本質主義者には反発されています。」
http://www.kt.rim.or.jp/~pinktri/afghan/islamandgay.html
現代イスラーム世界における同性愛者弾圧
②’イスラーム社会と同性愛者
「同性愛者たちは「地上における堕落者」の烙印を押され、多くの人々から指さされた挙げ句、殺されていったのです。」
http://www.bible.or.jp/read/index.html
聖書を読む|トピックス
URLダミーです。検索結果に直接リンクできないので。
1.聖書のなかに端的に同性愛を禁止する個所があるからです。これは新約・旧約ともにかわりません。旧約にあるユダヤ人の戒律(律法)では同性愛は死罪とされていました。(レビ記20:13など)
2.行為としての同性愛を罪として考える立場をほとんどの教派は維持しています。カトリック・東方正教会などはそうです。ただし保守的な教派でも、同性愛者自体を排除するところは現代では減っています。上にあげた二教派のなかで多い考え方は、そのような傾向(罪としての)が自分のなかにあることを認めて、かつ神の助けによってそうした傾向性にしたがって行為としての同性愛を極力行わないようつとめ、万一行った場合には罪をみとめて再び繰り返さないようにすべきである、という考え方があります。一方プロテスタント教会のなかには、同性愛者自体を、そのままの状態で教会のなかに受け入れようとする考え方をもつひともいます。一部の教会では同性愛者の聖職者をも認めようとする動きがあります。これは聖書にある同性愛拒否を歴史的制約として考える立場に基づいています。また、一方である国家ないし地方政治の立法論からいえば、団体宗教と政治を分離する(政教分離)立場が現代の主流であり、そこからは、宗教的戒律を理由にして法を定めるべきではないとする考え方もあるため、ある国でキリスト教人口が多いことは、そのままキリスト教的戒律が法律によって支持されることを意味しません。
聖書の中で、どうして同性愛はだめなものとされているのでしょうか??
そこまでいくとかなり宗教的な話になるか…
同性愛者事態を排除しようとするところは減っているのですね!弾圧をしているところもあるのでしょうか?
あーなるほど政教分離ですね!!
そんな簡単なことに気付きませんでした。
回答、ありがとうございました。感謝です。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~sbranch/PLNGO/next/douseiai3.htm
�N���X�`�����̂��߂̓������ɂ��Ă̎����Ɩq���I�w�j
①について
神の意志に背く行為であり、禁止された行為なので、それを犯せば罪となる、という考えで。
http://mizushima-s.pos.to/lecture/2002/020605/020605_04.html
早稲田大学法学部水島ゼミ ホームページ
②について
同性婚はいま-世界の動向-
一部の西欧諸国においては、キリスト教と政治・市民生活は分離して考えられているようです。
http://www.geocities.jp/showahistory/history5/33c.html
ï�����¤��ۤ虜�롡Ʊ�����ξ��»�
ちなみに、日本における考察です。
1つ目、凄く良い文献で何度も納得させられました。
聖書が同性愛を言及する範囲の箇所はとても勉強になりました。
なるほど新訳も旧約も、現代の同性愛の問題といっしょくたんにして考えるのはなんかずれてるのですね。
大事なのは性的指向の問題なのかな…
聖書において、同性愛は婚前、婚外性行為と同じ罪とされているのはポイントですね。
2つめ、まさに政教分離ですね
3つめ、この考察とても勉強になりました!!
まさに日本の同性愛の歴史という感じですね。
開国によるキリスト教的倫理観の流入というのは調べてたけどなるほど不平等条約も影響していたのですね!
うーん奥が深い。
やはり偏見を強めたのはエイズというものがあるのですね。納得です。
回答、ありがとうございました。感謝です。
私はまともに信仰などしていませんが、
一応かなりオーソドックスなプロテスタントの一員ではありますので、
その立場からお答えをさせていただきます。
1.まず、キリスト教が男色を罪悪視する理由についてですが、
これは旧約聖書に記されたソドムの滅亡などの記述によります。
「男色に満ちた町」であるソドムの滅亡をもって
男色は許されざるもの、と理解するわけです。
これは旧約聖書を聖典と認めるキリスト教、ユダヤ教、回教の
全てにおいて普遍の考え方で、
今日においてもその考え方に変化はありません。
2.しかし、今現在、オーソドックスなキリスト教信徒の多くは、
肉欲的退廃と真面目な恋愛は別物だと考えています。
キリスト教の本質は人類愛であり、
とりわけ福音主義プロテスタントは人々の幸福を重視しますから、
肉欲ではない純粋な愛に対しては、
その様々な愛の形の多様性を尊重します。
今日プロテスタントの多くは、ソドム滅亡は
その肉欲的退廃に起因すると考えます。
したがって、退けられるべきは性の商品化であるとか
恋愛と結びつかないセックスの蔓延といった社会情勢であり、
そういう世の中だからこそ、純粋かつ誠実な愛が
尊ばれるべきだと考えるわけです。
ここにおいて恋愛の対象が異性であるか同性であるか、
ということはあまり大きな問題とはなりません。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jewish_views_of_homosexuality
Homosexuality and Judaism - Wikipedia, the free encyclopedia
こちらはキリスト教と同じく旧約聖書を聖典とする
ユダヤ教における同性愛のとらえかたについて
述べられたページです。
過去においては同性愛が厳しく退けられていたこと、
現在においてはアメリカのユダヤ教聖職者の中央組織が
同性愛者の権利確立を支持しているといったことが記され、
人権意識の高まりと共に、背徳的な欲望としての性行為と
恋愛としての同性愛は分離していく考え方の浸透が見て取れます。
http://tokyo.txt-nifty.com/fukublog/2005/09/post_9bd2.html
Tokyo Fuku-blog: 「巨大ハリケーンは同性愛者への天罰」とキリスト教根本主義団体
今日のアメリカでは、むしろ同性愛に対して強い嫌悪感を持つ集団は
キリスト教社会からは異端視されていることがしばしばです。
それらの多くはいまだ根強い白人至上主義や
好戦的なナショナリズムを信奉する特殊な集団で、
多くの福音主義プロテスタントの目指す平和な社会とは
相容れない主義主張を持つことを特色としています。
http://sukotan.com///news_backnumber/2003/new716.html
�������֘A�j���[�X�^716
むしろアメリカでは、イギリス国教会に近い聖公会が、
同性愛者であることを公表している聖職者を主教に任命するなど、
オーソドックスなキリスト教の主流は、
同性愛の罪悪視を離脱しつつあることを示しています。
いまだ多数の議論はあるものの、流れとしては、
退けるべき退廃した肉欲と守るべき恋愛との切り分けの確立へと、
進んでいるものと思われます。
キリスト教は歴史的に見て原始キリスト教とローマ帝国の国教化された後と大きく変化してますよね。もともと聖書には同性愛についてはそれほど深くかかれてませんが、全体を通して無益な事を行うことは「人間」という存在を作ってくれた神への反逆行為とする考え方が流れになっています。URLに示したオナニーの語源の話は同性愛と同じく「無益案行為」として神の罰を受ける話です。この傾向は旧約聖書に強い・・・つまり、ユダヤ教の影響なんですけどね。もともとユダヤ教の一流派みたいなものだったキリスト教がローマ帝国の国教として世俗に取り込まれ、長い年月をかけて考え方が変化しているのです。
イギリスは、もともと離婚を禁止する教義を持っていたローマカトリックの教えに反して強引に離婚しようとした王が勝手に別の本山をつくってイギリス国教会を作った国ですから・・・例外を認める伝統があるのでは?
すいません、推薦してくださったページは以前質問したときに全て既読しておりました。
回答、ありがとうございました。感謝です。
キリスト教信者の方のお話もぜひ聞きたいです!!