「天皇家はヴァチカン(ローマ教皇庁?)が認めた現存する唯一の皇室」であるという話があります。

このことについて、経緯や事実が明確に示されている文献(ソースが示されている場合は、サイトでも可)を知りませんか?
もし知っていたら、ぜひ教えて下さい。お願いします。

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  • 終了:2006/04/29 11:12:53
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id:nofrills No.4

回答回数874ベストアンサー獲得回数159

ポイント50pt

「ヴァチカンが認めた」というと満州国を連想するのですが。。。私が勘違いしすぎかもしれませんが、質問者さんの知り合いの外国人の方は、ひょっとして満州国と勘違いされているということはありませんか? あるいは、1920年代、昭和天皇が皇太子だったころの欧州歴訪でヴァチカンを訪問していることが、1930年代の日独伊の関係およびヴァチカンと欧州のファシスト政権の関係とごっちゃになっているとか。。。?


ともあれ、

> もしかして、「ヴァチカンに認められた」っていう言葉の解釈が違っているんじゃないでしょうか。

私もそう思います。「認めた」は本来は英語でいうrecognizeの翻訳で、「アフガニスタンのタリバン政権を認めていたのは、パキスタンなどわずか3ヶ国だった」というときの「認める」である可能性が高いのではと思います(その場合、その国家に対し、国際法上の国家としての地位を認める、ということです)。


試しにGoogleで「vatican emperor recognize」で検索したところ、次のページが見つかりました。検索結果から50件くらい、サマリーだけ目を通したのですが、「ヴァチカンが認めた(ヴァチカンによって認められた)」という記述は次のページと、それによく似た内容の記述を含むページだけでした。

http://www.fsmitha.com/h2/ch18.htm

In 1934, Pu-yi, China's former boy-emperor (of Last Emperor fame) was officially crowned as monarch of Manchukuo - while Manchukuo remained recognized only by Hitler's Germany, Mussolini's Italy, a few rightist Latin American regimes and the Vatican.

概要:

1934年、正式に溥儀が満州国君主となったが、満州国はヒトラーのドイツとムッソリーニのイタリアといくつかの南米の右派政権とヴァチカンにしか承認されぬままであった。


もう1件、「ホワイト・タイ」についてです。(元の質問とはズレてしまうのですが、興味を持ったので。)


1970年の天皇訪米の際のホワイト・タイの写真を探してみました。空港での写真は、既に別な回答者さんがリンクしているもの(ダークスーツに色ネクタイ)のほかには見つけられませんでしたが、ホワイトハウスでの晩餐会のものがありました。(1975年の昭和天皇訪米の際のホワイトハウスでの晩餐会の折のものです。)

http://www.whitehouse.gov/history/photoessays/crosshalls/06....

http://www.isop.ucla.edu/eas/images/hirohito-ford.htm


写真では2点とも、その場にいる男性全員が制服の人を除いてはホワイト・タイですので、単に「最もフォーマルな形」、つまり形式として天皇を国家元首として待遇した(State visit)ということではないでしょうか。(「象徴」天皇が外国では「国家元首」として待遇されている、したがって日本でも・・・という主張は、私も見たことがあります。ネットがなかったころのことです。多分選挙公報だったと思います。)


ところで、男性のホワイト・タイ(燕尾服に白い蝶ネクタイ)は基本的に女性のイヴニング・ドレスと対応するもので、晩餐会や舞踏会などの非常にフォーマルな催しの際に身につける礼装です。よって、その服装で空港に出迎えというのは考えづらいように思います。


Wikipediaにはwhite tieについて、英国と米国での事情が次のように説明されています。State dinners(国賓を迎えての晩餐会)は筆頭で挙がっていますが、Arrival Ceremony(到着時の出迎えの式典)で着用するという記述はありません。

Appropriate occasions

Like black tie, evening dress is generally only worn after 6 p.m. *snip*. Occasions that require white tie are increasingly rare, but in the United Kingdom these still include:

* State dinners (e.g. dinners with visiting heads of state)

* Some Commemoration balls and May balls at the Universities of Oxford and Cambridge

 *長いので英国での例は略*

The situation is similar in the United States, where "white tie" must be specified on the invitation. Occasion that may still require white tie in the US include:

* State dinners

* Balls and cotillions

* Weddings

* Artistic premiers or the opening of an art season in large cities, such as the Opera or Ballet.

さらにご参考までに、2003年にブッシュ大統領が英国を訪問した際(State visit)、バッキンガム宮殿での女王の晩餐会はホワイト・タイです。(写真を見ると、女王夫妻はサッシュをつけていますし、エジンバラ公は勲章をつけてます。)

http://www.whitehouse.gov/infocus/england/photoessay2/03.htm...


しかし晩餐会ではなく「ようこそ」式典のときは、女王夫妻もブッシュ大統領夫妻も「ダークスーツに色ネクタイ(女性はひざ下丈のワンピースまたはツーピース:コートも同じ丈)」です。

http://www.whitehouse.gov/infocus/england/photoessay2/06.htm...


ちなみに、空港への出迎えはエリザベス女王ではなく皇太子が行なっており、皇太子も大統領も「ダークスーツにネクタイ」です。

http://www.whitehouse.gov/infocus/england/photoessay2/11.htm...


※1998年の天皇訪英のときの写真があれば比較できるのですが、見つかりませんでした。


ともあれ、天皇訪米(1975年)でフォード大統領がホワイト・タイで出迎えた、という説は、私には疑問です。30年前と今とではドレスコードが変わっているかもしれませんが(段々略式になってきている)、「ホワイト・タイ(燕尾服)」は最もフォーマルな場で身につけるものであり、出迎えのセレモニーは「最もフォーマル」な場とはいえませんし。。。この点は、服装やマナーの専門家に訊いてみるのがもっと確実かと思います。

id:yuu_su27

満州国。。。

そうかもしれません。今度あったときに聞いてみよう。。。

確かに、言われてみると一番印象に残る「出迎え」でホワイトタイではおかしいですよね。

そもそもこれ自体が間違ってるような気がしてきました。

よく考えてみると、TVで「○○が××を訪問・・・」というニュースなんかがありますが、出迎えでホワイトタイなんて見たことないですね。。。

英語は「読めるけど使えない」ので、こういう解答は嬉しいですね。

ありがとうございました。

2006/04/24 08:12:45

その他の回答7件)

id:jo_30 No.1

回答回数656ベストアンサー獲得回数53

こういう話はなるほど、探してみるとこんな所にも出てくるので、結構出回っている話なのですね。

天皇家はヴァチカンが認めた現存する唯一の皇室で、靖国参拝も教皇庁公認である。

「魔女っ子戦隊パステリオン・外典」

これについては、たとえば神道の一問一答ページにこんな記述がありました。

カソリックの最高峰であるヴァチカン法王庁が、異教(神道)の施設である神社参拝を公認することは、本来は考えづらいことです。にもかかわらず、現在そうなっているのは何故なのでしょうか。

明治以降、神道が日本の国教になるに伴って、靖国参拝も国民の義務になりましたが、日本人キリスト信者にとってそれは大きな問題でした。異教の施設を参拝するのは背信行為になるのではないかという懸念です。

ヴァチカンは昭和7年、当時の文部大臣に質問状を出しました。文部省が推進している神社参拝について、日本のカソリック学校関係者が苦慮しているが、それはいかなる物なのか。教育的理由であるなら良いのだが──と。

返事はすぐにあり、愛国心育成のための、教育的理由であるというものでした。

ヴァチカンに対して日本の教会は、神社が事実上の宗教絡みの物であることと、天皇は現人神とされていることは伝えていませんでした。公式には「神道は宗教にあらず」が日本政府の見解であったというのが、その言い訳です。

そのこともあり、「宗教目的ではないと日本政府が断言した。天皇を敬うのも問題ない」ということで、ヴァチカンは承認の返答をしてしまったのです。

戦後に事情を知った今でも、その承認は生き続けています。一度発した訓令を、容易く撤回するべきではないというヴァチカンの意思です。よって、天皇はヴァチカン法王庁公認の唯一のエンペラーであり、靖国を含めた神社参拝は、ヴァチカン法王庁公認の行為となっているのです。

「靖国神社参拝は法王庁公認」

というわけで、この昭和7年の質問状をめぐるやり取りがその根拠とされ、戦後もそれが撤回されずに来ている…ということのようですが、この間の事情を更に詳しく述べてあるのがこちらのサイトで、これを見ると単に平穏に「質問」をし、それに文部省が「返答」した…というよりも、上智大学の学生の行動をめぐる事件の収拾策として、苦し紛れに出された見解というのが真相のようです。

というわけで、これを読むと、この事実をもって「天皇家は法王庁のお墨付き」みたいに喧伝するサイトというのが少々恥ずかしい感じがしますね。過去に起こったことの経緯などを冷静に考え、今改めて政治に左右されない信仰のあり方のようなものをそれぞれが見つめ直すべきではないかと個人的には思います。(別に私はカソリック信者でもなんでもありませんが。)

id:yuu_su27

この辺りの事は自分で調べた時に見つけたんですが。。。

靖国参拝のことも知ってました。

しかし、天皇家が認められたというのは、この件とは全く関係ないと思います。

このとき承認したのは、「カトリック教徒の靖国神社参拝」であり、「宗教目的ではない、天皇を敬うという行為」であり、「天皇家が認められた」とは無関係です。

この件は別のソースがあったはずなのですが。。。

2006/04/22 21:32:35
id:Randa No.2

回答回数156ベストアンサー獲得回数0

そもそも現存する皇帝というのは、もう天皇家しか残っていません。

世界各国の王室には、格があります。

イギリスの女王は『王』で、日本の天皇の『皇帝』より格が一段低いです。

 ※日本の天皇は海外で『Tenno』で通じますが、皇帝(Emperor)と変わりありません。


昔は多くの皇帝がいましたが、天皇家以外は絶えました。

東ローマ帝国の流れを汲むロシア皇帝はロシア革命で滅び、神聖ローマ帝国(西ローマ)の流れを汲むオーストリアのハプスブルク家とドイツ皇帝も第一次世界大戦で滅びました。

フランスのナポレオンなども皇帝を名乗りましたが、現存しません。

東アジアでは中国の清の皇帝がいましたが、現在中国にはいません。


1902年日英同盟の覚書に「日本国皇帝」と表現されたことでEmperorとなり、世界的に皇帝として天皇が認知されるようになったので、ヴァチカン(ローマ教皇庁)も天皇を皇帝と認めているのでしょう。

他に皇帝がいない以上、「天皇家はヴァチカン(ローマ教皇庁)が認めた現存する唯一の皇室」なのは当然の事だと思います。

皇帝 - Wikipedia

id:yuu_su27

この辺りの事情も知っています。

「天皇がバチカンから皇帝と認められた」という「証拠」がないものかと思ったんです。。。

状況証拠的なものならいくらでもありますし。。。

2006/04/22 21:38:26
id:jo_30 No.3

回答回数656ベストアンサー獲得回数53

ポイント50pt

なるほど。単に「ローマ教皇庁が、天皇制のある日本において天皇を(教徒が崇拝することを)認めていること」のソース、ではなく「天皇が皇帝(emperor)であることは、ローマ教皇庁によって認可されている」という話のソースを求めて居られるということなのですね。

結論から申し上げますが、それは基本的にデマだと考えられます。

…と申し上げても納得されないと思いますので、以下そう考えられる理由を述べます。

まず『emperor』とは何なのか。

語源はラテン語のimperatorで、軍の最高指揮官の意とされています。当然「力による支配者」を意味するわけで、古代ローマの大王シーザーの養子であり初代皇帝アウグストゥスが最初にそう呼ばれた人間です。以後、ヨーロッパにおいて「皇帝(emperor)」位が何を意味してきたかをまとめたサイトがこちらにありますが、大雑把に言えば、「軍司令官→世界帝国の支配者→世界宗教(キリスト教)の庇護者」と移り代わり、14世紀以降は皇帝即位に関する教皇の関与も事実上消滅し、普遍的支配理念を喪失した単なる「支配者の称号」と化した、とあります。19世紀はじめナポレオンがフランス皇帝として即位したときは、確かにローマ法王を招き戴冠式を行いましたが、彼は自分が「ローマ帝国の皇帝」ではないことを示すために、法王の手から冠を奪って自分の手で頭に載せたという話があります。その後「ローマ帝国」自体が歴史の上から滅びてしまうわけで、「ローマ帝国の末裔としての皇帝位」自体が存在しない位になります。従ってつまり現在の教皇庁が恣意的にどこかの国の王を皇帝と認めたり認めなかったりということ自体があり得ないということです。おそらく、いくら探しても「その話のソース」は見つかりません。

ではなぜ天皇は「emperor」なのか。

これは、上に見るように、既に「自称すれば皇帝(emperor)」という状況になっていた20世紀のはじめ、日英同盟(1902)の中で日本が「emperor」という表現を使用したためだと思われます。これ以後西洋世界で「emperor」という訳語が定着していったそうですが、そこには上に見るような「ローマ帝国の末裔」というニュアンスは入り込むべくもなく(そもそも、条約相手国のイギリス自体がバチカンの権威とは別の組織(英国国教会)に属しているわけで)、ここでいう「皇帝(emperor)」は、間違っても「ローマ法王公認」というシロモノではなく単なる自称です。日本の天皇がなぜ「王」でなく「皇帝」を名乗らなくてはいけないのか…ということに関しては、こちらに分かりやすい説明がありますから省略しますが、簡単に言えば歴史的な状況や経緯に基づく「都合」です。ちなみに、現代世界で「emperor」を自称するのは確かにもはや日本の「天皇家」ぐらいのもののようです(参考リンク)が、それがどういうニュアンスかということについてはこういう意見もありますので、冷静に判断した方がいいのではないでしょうか。少なくとも「emperorは世界に唯一日本にしかいないから日本の天皇は世界で一番エライのだ」的な説を述べるサイトについては、眉に唾をつけながら読む方がよいと思います。

天皇権威論を述べるサイトの問題について

検索していると、なるほどそういうサイトを数多く見かけますが、大抵の場合そういったサイトがより所にしているのは

1各国における待遇

2法王が自ら天皇を訪問

の二点のようですね。このうち「待遇論:ホワイトタイの伝説」についてはこちらで検証されていますが基本的にこれも2ch極東板で作られた伝説だという結論です。確かにこちらの1975年「昭和天皇・皇后両陛下のご訪米」のページ(別窓)を見ても、フォード大統領の服装は「黒スーツに青ネクタイ」であって、「ホワイトタイ(燕尾服)」には見えませんね。また「法王が日本に来ると法王自らが皇居に赴き…」という話にしても、同じサイトにある通り、昭和天皇の行動(占領軍司令官マッカーサーに対し『自分から足を運んで会いに行った』こと)に感銘を受けてという側面、そして当時の法王ヨハネ・パウロ2世が、他宗教との融和を提唱した第2ヴァティカン公会議の理念の実践者であったこと、その他の事情から生まれた出来事であって、とても一般化して(たとえば現在の天皇と現在の法王の場合どうなのか)考えられることではないと思われます。

id:yuu_su27

そうなんですよね。。。

大抵こういう情報って2chの話が事実みたいにして伝わって・・・って感じですよね。

個人的には元々否定してる側だったのでそれでいいかなぁ、とも思ったんですが。

どちらの言ってることもわかるんですが、自分の見方ではどちらも本当に聞こえるし、否定しているだけにも聞こえるんですよ。両極端というか。

肯定派は、確かにしっかりしたソースがあるわけでもなく、その辺りにある情報を都合良く解釈しているだけ、という感じはします。

否定派は、肯定派の主張を否定できる位色々検証しているんですが、なんというか、主張を否定しているだけというか。。。

普通ならそれで十分なんですが、個人的にわからない点がいくつかあるんです。

○待遇について。

・肯定的な意見

ホワイトタイで・・・というものについては、公開されている写真では確かに普通のスーツです。しかし、アメリカ大統領の件では「ホワイトタイで空港まで出迎えに行く」ことであって、一緒に行動するときにはスーツに着替えていたのでは?空港での出迎えの写真は見たことがないので、否定できない。

・否定的な意見

ホワイトタイを燕尾服ではなく字の通りただの白いタイと間違えていて、出迎えの時のネクタイが白かった?

また、エリザベス女王が上座を譲る事が根拠として書かれているサイトがあるが、天皇が名目上Emperorであるため、外交儀礼におけるプロトコル(皇帝・女帝・天皇(Emperor、Empress)ローマ教皇(Pope) > 国王・女王・スルタン(King、Queen、Sultan))によって上座を譲るだけでは?

○個人的な問題?

・知り合いの外国人(カナダ・トルコ)が「ヴァチカン・・・」を信じてる人がいた。アメリカ人は知らなかった。2chが発祥なのか、他にソースがあるのか。。。

・ローマ教皇庁が昭和天皇に白十字勲章を送った(許可した?)事の拡大解釈?それとも、他に何か評価されたことの拡大解釈?

それで、ひとつ気になったのが、「「ローマ帝国の末裔としての皇帝位」自体が存在しない」

それはそうですよね。

もしかして、「ヴァチカンに認められた」っていう言葉の解釈が違っているんじゃないでしょうか。

個人的な解釈で、あり得るとすれば「天皇がEmperorという位であることを認めたor許可した。」ではなくて「天皇家は世界で唯一途絶えていない皇室として認めたor評価した、もしくは両方。」ではないかと思っていたんですが、一般的な主張(肯定派も否定派も)は前者の解釈ばかりだと思うんですが、どうでしょう。

それを、「Emperorで、世界で一番続いたことを認められた。しかも、他国での待遇も一番だし。つまり一番えらい!」という拡大解釈をしている人がいる、というのであればあり得るのではないでしょうか。

自分の後者の解釈くらいであれば、ヴァチカンはヨーロッパで唯一”中華民国”台湾と外交関係を持っている位ですし、あり得そうな気がします。

何かこういう検証をした文献はないものですかね。。。

どちらにせよ、「世界で唯一今でも続いている皇室で、海外での扱いは実質Emperor」であることは間違いないですよね。

それを「認められてる!だから世界で一番偉い!」なんて言いふらすって。。。恥ずかしいですよね。

2006/04/23 07:56:05
id:nofrills No.4

回答回数874ベストアンサー獲得回数159ここでベストアンサー

ポイント50pt

「ヴァチカンが認めた」というと満州国を連想するのですが。。。私が勘違いしすぎかもしれませんが、質問者さんの知り合いの外国人の方は、ひょっとして満州国と勘違いされているということはありませんか? あるいは、1920年代、昭和天皇が皇太子だったころの欧州歴訪でヴァチカンを訪問していることが、1930年代の日独伊の関係およびヴァチカンと欧州のファシスト政権の関係とごっちゃになっているとか。。。?


ともあれ、

> もしかして、「ヴァチカンに認められた」っていう言葉の解釈が違っているんじゃないでしょうか。

私もそう思います。「認めた」は本来は英語でいうrecognizeの翻訳で、「アフガニスタンのタリバン政権を認めていたのは、パキスタンなどわずか3ヶ国だった」というときの「認める」である可能性が高いのではと思います(その場合、その国家に対し、国際法上の国家としての地位を認める、ということです)。


試しにGoogleで「vatican emperor recognize」で検索したところ、次のページが見つかりました。検索結果から50件くらい、サマリーだけ目を通したのですが、「ヴァチカンが認めた(ヴァチカンによって認められた)」という記述は次のページと、それによく似た内容の記述を含むページだけでした。

http://www.fsmitha.com/h2/ch18.htm

In 1934, Pu-yi, China's former boy-emperor (of Last Emperor fame) was officially crowned as monarch of Manchukuo - while Manchukuo remained recognized only by Hitler's Germany, Mussolini's Italy, a few rightist Latin American regimes and the Vatican.

概要:

1934年、正式に溥儀が満州国君主となったが、満州国はヒトラーのドイツとムッソリーニのイタリアといくつかの南米の右派政権とヴァチカンにしか承認されぬままであった。


もう1件、「ホワイト・タイ」についてです。(元の質問とはズレてしまうのですが、興味を持ったので。)


1970年の天皇訪米の際のホワイト・タイの写真を探してみました。空港での写真は、既に別な回答者さんがリンクしているもの(ダークスーツに色ネクタイ)のほかには見つけられませんでしたが、ホワイトハウスでの晩餐会のものがありました。(1975年の昭和天皇訪米の際のホワイトハウスでの晩餐会の折のものです。)

http://www.whitehouse.gov/history/photoessays/crosshalls/06....

http://www.isop.ucla.edu/eas/images/hirohito-ford.htm


写真では2点とも、その場にいる男性全員が制服の人を除いてはホワイト・タイですので、単に「最もフォーマルな形」、つまり形式として天皇を国家元首として待遇した(State visit)ということではないでしょうか。(「象徴」天皇が外国では「国家元首」として待遇されている、したがって日本でも・・・という主張は、私も見たことがあります。ネットがなかったころのことです。多分選挙公報だったと思います。)


ところで、男性のホワイト・タイ(燕尾服に白い蝶ネクタイ)は基本的に女性のイヴニング・ドレスと対応するもので、晩餐会や舞踏会などの非常にフォーマルな催しの際に身につける礼装です。よって、その服装で空港に出迎えというのは考えづらいように思います。


Wikipediaにはwhite tieについて、英国と米国での事情が次のように説明されています。State dinners(国賓を迎えての晩餐会)は筆頭で挙がっていますが、Arrival Ceremony(到着時の出迎えの式典)で着用するという記述はありません。

Appropriate occasions

Like black tie, evening dress is generally only worn after 6 p.m. *snip*. Occasions that require white tie are increasingly rare, but in the United Kingdom these still include:

* State dinners (e.g. dinners with visiting heads of state)

* Some Commemoration balls and May balls at the Universities of Oxford and Cambridge

 *長いので英国での例は略*

The situation is similar in the United States, where "white tie" must be specified on the invitation. Occasion that may still require white tie in the US include:

* State dinners

* Balls and cotillions

* Weddings

* Artistic premiers or the opening of an art season in large cities, such as the Opera or Ballet.

さらにご参考までに、2003年にブッシュ大統領が英国を訪問した際(State visit)、バッキンガム宮殿での女王の晩餐会はホワイト・タイです。(写真を見ると、女王夫妻はサッシュをつけていますし、エジンバラ公は勲章をつけてます。)

http://www.whitehouse.gov/infocus/england/photoessay2/03.htm...


しかし晩餐会ではなく「ようこそ」式典のときは、女王夫妻もブッシュ大統領夫妻も「ダークスーツに色ネクタイ(女性はひざ下丈のワンピースまたはツーピース:コートも同じ丈)」です。

http://www.whitehouse.gov/infocus/england/photoessay2/06.htm...


ちなみに、空港への出迎えはエリザベス女王ではなく皇太子が行なっており、皇太子も大統領も「ダークスーツにネクタイ」です。

http://www.whitehouse.gov/infocus/england/photoessay2/11.htm...


※1998年の天皇訪英のときの写真があれば比較できるのですが、見つかりませんでした。


ともあれ、天皇訪米(1975年)でフォード大統領がホワイト・タイで出迎えた、という説は、私には疑問です。30年前と今とではドレスコードが変わっているかもしれませんが(段々略式になってきている)、「ホワイト・タイ(燕尾服)」は最もフォーマルな場で身につけるものであり、出迎えのセレモニーは「最もフォーマル」な場とはいえませんし。。。この点は、服装やマナーの専門家に訊いてみるのがもっと確実かと思います。

id:yuu_su27

満州国。。。

そうかもしれません。今度あったときに聞いてみよう。。。

確かに、言われてみると一番印象に残る「出迎え」でホワイトタイではおかしいですよね。

そもそもこれ自体が間違ってるような気がしてきました。

よく考えてみると、TVで「○○が××を訪問・・・」というニュースなんかがありますが、出迎えでホワイトタイなんて見たことないですね。。。

英語は「読めるけど使えない」ので、こういう解答は嬉しいですね。

ありがとうございました。

2006/04/24 08:12:45
id:takokuro No.5

回答回数262ベストアンサー獲得回数3

yuu_su27さん、あまり関係ないかもしれませんが、今朝だったかNHKのラジオで「神道はキリスト教より仏教より古くからあった。」と聞き、他の宗教と神道とは何か基本的に違うような気がしていて、神道を宗教の一つのカテゴリーに他の宗教と同列に並べきれない何かを感じて、気になっています。。

普通、『宗教』と言うと、人間の心を対象にした『教え』で、人間対人間との関りをテーマに取り上げることが多いのを思います。そして、人格を持った始祖(教祖?)がいるような気がします。

対して、神道は八百万の神、自然そのものから神の啓示を受けたり、感じたり、大いなる大自然に畏敬の念を払わずにはおれない、又、対大自然の視点で自己を見つめる為、人間社会での立場や囚われに左右されない究極の『個』を自覚させ、それも動物に対してさえ尊敬の念で見ることができる。。

他の宗教は『言葉』で人間が倫理、道徳?人の道?を説きますが、神道では、大自然の環境に置かれた個人が体感?言葉でなく実感?して啓示を受けるような感覚があります。。

上手くいえませんが、、人為的でない。。他の宗教は宗教であるからこそ、どのカテゴリーよりもある意味で人為的で、人為的だからこそ宗教なんだと言うきがします。。

バチカンが神道への参拝を認めるというのも、皆さんが仰るような、政治的な理由よりも、所謂『宗教』とされ、人格を持った開祖が言葉で教えた他の宗教とは一線を画する。。

人類が抱き始める根源的な『信仰心』があらゆる宗教での土台であるからではないのでしょうか?

id:yuu_su27

そうですね。

現在の「宗教」で言えばそうかもしれません。

しかし、個人的な考えですが、「宗教」とは「人間が、救いを求める先」であって、「政治の発祥」だったものだと思います。

多くの宗教が「唯一、絶対の存在である神」の存在を作り上げ、信仰(というか、救いを求めた)してきましたが、神道は絶対的な唯一の存在ではなく「気象、地理地形に始まりあらゆる事象に「神」の存在」を求めた、という方向性の違いだと思います。

日本以外にもこういった「自然崇拝」は多くありました(元々、人間が政治というか、集落以上のまとまりを得るまでは「自然崇拝」が多かった)が、結局唯一の存在である「神」がいるものが数多く残りましたね。

日本も神道でずっとまとまっていたわけではないですし、現在は「信仰としての神道」を他の宗教のように見ることはあまりありませんが、「文化として

残って」いますよね。

自然崇拝といか、自然を愛するという日本人らしさっていう感じで日本人からは「文化」し見えますが、海外から見れば「信仰」であり「宗教」なんですよ。

それに、自然を愛するというのは信仰による必要がないため、外国人から見て現在の日本人が「無神論者」と言われるんだと思います。

が、日本人は「無神論者」というよりも「無関心」ですよね。

日本人って、いつの時代も「日本人」ですよね、どこの文化とも違って。

2006/04/25 05:08:23

質問者が未読の回答一覧

 回答者回答受取ベストアンサー回答時間
1 takokuro 262 203 3 2006-04-24 23:54:53
2 takokuro 262 203 3 2006-04-24 23:54:56
3 takokuro 262 203 3 2006-04-24 23:54:57

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