『独断と偏見』という言い回しがあります。 もちろん本来は『独断』と『偏見』とは別の言葉で別の意味であるはずですが、多くの人が『独断』とだけ言うべきところを『独断と偏見』と言っていると思います。 この言い回しはいったい誰が言い始めて、これだけ広まったのでしょうか?

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  • 終了:2006/06/24 09:19:18
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ベストアンサー

id:adlib No.3

回答回数3162ベストアンサー獲得回数243

ポイント40pt

 

 序:風土と年代

 

 小むずかしく聞かせるため、漢字コンプレックスが生みだした並立語。

 1970年代の漫才ブーム前後に出現、1980年代の漫才ブームで定着した

とみられる。1990年代に絶滅するかに見えたが、わずかに残存する。

 

 誰が最初に云ったか、という推論では、関西の気配が濃厚である。

 古くは、エンタツ・アチャコの可能性もある。

 おそらく、第一の候補は“しゃべくり漫才”の横山やすしであろう。

 

 東京と大阪の芸人は、ビート・たけしと横山やすしが対照的である。

 たけしには、ジキルとハイドのような二面性がある(北野 武 を別称)。

 やすしには、表裏の見さかいがなく一本調子を“粋”だと信じている。

 

 ここでは、ビート・たけしではない、という理由をあげておく。

 彼は、当時の漫才師としては例外的な高学歴(明治大学中退)である。

 西の、桂 米朝とならぶ読書家だから“独断と偏見”とは卑下しない。

 

 読書家の習性として、かつて読んだことのない熟語は、むしろ避ける。

 聞きかじった熟語は、辞書で確かめてからでないと使いたがらない。

 彼らが好むのは、使い古された四字熟語のダジャレである。

 

 破:偶然の創唱

 

 横山やすしが創唱したとすれば、つぎの状況が空想される。

 酒場か競輪場で、誰かが云ったのを小耳にはさんだのではないか。

 それはたぶん、若い女性だったのではないか。

 

 小むずかしい事を云って、やすしに面白いと思わせたのである。

「おまえ、つぎのレースどうするねん?」「やっぱし3-6やわさ」

「誰ぞに騙されたんちゃうか」「ウチの独断と偏見で決めたんや」

 

 レースの結果はともかく、やすしが何気なく高座でブチかましたら、

ドッと受けたのではないか。もちろん台本にないアドリブである。

 西川きよしが、受けそこなって絶句しても、とにかく受けたのだ。

 

「女ちょなもんは、やっぱし男には勝てへんで」「ほんまか?」

「男女平等とは云うけど、女男平等とは云わんやろ」「誰が云うかいな」

「わいの、独断と偏見やけどな」「何じゃそれ?」(意味不明)

 

 これを聞いたアナウンサーが、アルバイトに司会を引きうけた結婚式

でやってみると、なぜか受けた。何だか分らないまま他でもやった。

 ついには、誰もが分らないまま、一対の慣用句となってしまったのだ。

 

 急:源流と支流

 

 第二の候補は“ぼやき漫才”の人生幸朗(&生恵幸子)である。

「また、いちゃもんかいな」「えぇかげんにせぇよ、わしは許さん!」

「お巡りさん来はるで」「あやまったらえぇんやろ」

 

「不肖わたくしめの独断と偏見によりまして、いささか昨今の歌謡曲に、

苦言を呈する次第であります。♪着ては貰えぬセーターを、涙こらえて

編んでます。そんなもん編んで、どないすねん。責任者呼んで来い!」

 

 第三の候補は、十八歳の島田紳助が電撃的に弟子入りした“天才漫才”

島田洋七である。家なし、学歴なし、屈託なし、何を云っても虚々実々

だから、聞きかじりの“独断と偏見”創唱者たる資格は十分にある。

 

 第四の候補は“ツッパリ漫才”の島田神助である。

「あのな、おれの独断と偏見やけど、ここだけの話やで」

「いまのトーク、残念やけどディレクターの独断と偏見によりカット!」

 

── 《試論“独断と偏見”考》(未完)

 

id:amarone

充実した考察ありがとうございます。お笑いルーツというのはあるような気がします。『絶滅するかに見えたが、わずかに残存する』とありますが、そうではなく完全に定着した『慣用句』として一般に普及してしまっていますね。使い古された言い回しであり、頻繁に耳にするのはとても気持ちが悪いと考えていましたが、お笑いルーツの『流行り言葉』として考えれば許せる気がしてきました。どうもありがとうございました。

2006/06/24 09:17:37

その他の回答2件)

id:kurukuru-neko No.1

回答回数1844ベストアンサー獲得回数155

ポイント20pt

私のせいにするには独断だけでは弱いのでしょう。

1.独断

  自分の思い込みで、公正を欠いた判断

2.独断+偏見

  自分の思い込みで、公正を欠き客観的根拠のない判断

 

Yahoo辞書検索

=====================================================

独断: 

1 自分ひとりで物事を決断すること。また、その決断。「社長の―」「取引の開始を―する」

2 自分の思い込みだけで、公正を欠いた判断をすること。また、その判断。「結論が―に陥る」「―と偏見」

http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%C6%C8%C3%C7&stype=0&dtype=...

=====================================================

 

偏見:

3. かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる非好意的な先入観や判断。「―を持つ」「人種的―」

http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=%CA%D0%B8%AB&stype=0&dtype=...

id:amarone

回答ありがとうございます。

2006/06/24 08:58:35
id:aiaina No.2

回答回数8179ベストアンサー獲得回数131

ポイント20pt

上岡龍太郎さんが使ったのではないですか?

独断で決めるのは、たいていのものはそうですが、偏見かどうかは主観のものですので、後で文句を言いたい人がいるのを承知の上で、ということを前置きしているわけですね

id:amarone

上岡さんですか! そんなに最近?

2006/06/24 08:59:22
id:adlib No.3

回答回数3162ベストアンサー獲得回数243ここでベストアンサー

ポイント40pt

 

 序:風土と年代

 

 小むずかしく聞かせるため、漢字コンプレックスが生みだした並立語。

 1970年代の漫才ブーム前後に出現、1980年代の漫才ブームで定着した

とみられる。1990年代に絶滅するかに見えたが、わずかに残存する。

 

 誰が最初に云ったか、という推論では、関西の気配が濃厚である。

 古くは、エンタツ・アチャコの可能性もある。

 おそらく、第一の候補は“しゃべくり漫才”の横山やすしであろう。

 

 東京と大阪の芸人は、ビート・たけしと横山やすしが対照的である。

 たけしには、ジキルとハイドのような二面性がある(北野 武 を別称)。

 やすしには、表裏の見さかいがなく一本調子を“粋”だと信じている。

 

 ここでは、ビート・たけしではない、という理由をあげておく。

 彼は、当時の漫才師としては例外的な高学歴(明治大学中退)である。

 西の、桂 米朝とならぶ読書家だから“独断と偏見”とは卑下しない。

 

 読書家の習性として、かつて読んだことのない熟語は、むしろ避ける。

 聞きかじった熟語は、辞書で確かめてからでないと使いたがらない。

 彼らが好むのは、使い古された四字熟語のダジャレである。

 

 破:偶然の創唱

 

 横山やすしが創唱したとすれば、つぎの状況が空想される。

 酒場か競輪場で、誰かが云ったのを小耳にはさんだのではないか。

 それはたぶん、若い女性だったのではないか。

 

 小むずかしい事を云って、やすしに面白いと思わせたのである。

「おまえ、つぎのレースどうするねん?」「やっぱし3-6やわさ」

「誰ぞに騙されたんちゃうか」「ウチの独断と偏見で決めたんや」

 

 レースの結果はともかく、やすしが何気なく高座でブチかましたら、

ドッと受けたのではないか。もちろん台本にないアドリブである。

 西川きよしが、受けそこなって絶句しても、とにかく受けたのだ。

 

「女ちょなもんは、やっぱし男には勝てへんで」「ほんまか?」

「男女平等とは云うけど、女男平等とは云わんやろ」「誰が云うかいな」

「わいの、独断と偏見やけどな」「何じゃそれ?」(意味不明)

 

 これを聞いたアナウンサーが、アルバイトに司会を引きうけた結婚式

でやってみると、なぜか受けた。何だか分らないまま他でもやった。

 ついには、誰もが分らないまま、一対の慣用句となってしまったのだ。

 

 急:源流と支流

 

 第二の候補は“ぼやき漫才”の人生幸朗(&生恵幸子)である。

「また、いちゃもんかいな」「えぇかげんにせぇよ、わしは許さん!」

「お巡りさん来はるで」「あやまったらえぇんやろ」

 

「不肖わたくしめの独断と偏見によりまして、いささか昨今の歌謡曲に、

苦言を呈する次第であります。♪着ては貰えぬセーターを、涙こらえて

編んでます。そんなもん編んで、どないすねん。責任者呼んで来い!」

 

 第三の候補は、十八歳の島田紳助が電撃的に弟子入りした“天才漫才”

島田洋七である。家なし、学歴なし、屈託なし、何を云っても虚々実々

だから、聞きかじりの“独断と偏見”創唱者たる資格は十分にある。

 

 第四の候補は“ツッパリ漫才”の島田神助である。

「あのな、おれの独断と偏見やけど、ここだけの話やで」

「いまのトーク、残念やけどディレクターの独断と偏見によりカット!」

 

── 《試論“独断と偏見”考》(未完)

 

id:amarone

充実した考察ありがとうございます。お笑いルーツというのはあるような気がします。『絶滅するかに見えたが、わずかに残存する』とありますが、そうではなく完全に定着した『慣用句』として一般に普及してしまっていますね。使い古された言い回しであり、頻繁に耳にするのはとても気持ちが悪いと考えていましたが、お笑いルーツの『流行り言葉』として考えれば許せる気がしてきました。どうもありがとうございました。

2006/06/24 09:17:37
  • id:ziplzh
    この回答は憶測ではないですよ

    「独断と偏見」は英の小説家、ジェイン オースティン著の「高慢と偏見」(原題:Pride and Prejudice)を原題に忠実に訳したもので、現在とある国立芸術大学の教授をしている翻訳家・プロデューサーが編集者時代に訳したものです。本人がそう言っていました。多分1960年代前半に初めてその言い回しを使ったのだと思います。ことの信憑性はその方の知識量分析力の凄まじさと、出自があまりに具体的であるということと、その方が歴史上の人物と数多く接しているということ。その彼らからわれわれへと伝播していったと考えられます(せいぜい40年前なので歴史上というのはおかしいかもしれませんが誰もが知っている文化人達です)。

    更に付け加えれば、うそだとしたら何故そんなうそを言うのか全くわからない(説明すると長くなるのですがつまりそういうことをしない人格なのです)。

    それと、その方は裏方であることに誇りがあると思うのでここでは名前を控えさせて頂きました。

    そしてこの場合、始めに独断と偏見と言った人より、それを広く知らしめた人の方が凄いのかもしれません。

    ていうかもう締め切っちゃったか…。

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