日本人とユダヤ人は同祖・同系か?小池一夫著「赤いアピル」にあるように日本人はユダヤ10部族のひとつなのか?「ハズカシューム」「辱める」意味は同じです。偶然ともいえる。「シオタラン」「塩足らん」ポーランド語の同意味語。「アラマー」「あらまあ」カンボジアとの同意味語。明治以後論争されてきたこの問題に決着を。

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比較言語学 uumin32006/08/17 14:47:58ポイント4pt

 言語どうしの比較をする比較言語学では各々の単語にまず着目し、単語の「意味と発音」の二つが同時に一致するかどうかを調べます。そしてさらに「偶然の一致」を排除するためにつぎのような手つづきをとります。

(1)何万という単語の中から「意味と発音」の似たものをとりだしてくるのではなく、「数詞や身体に関する語」などからなる「基礎語彙」を設定して、その範囲で比較する。

(2)ひとつの単語だけをとりだすのではなく、「いくつかの単語」が「偶然とはいえない」形で一致するかどうかを調べる。


 ある言語Aの単語が別の言語Bによってうまく説明できる場合には、およそ次の三つの場合があります。

(1)祖語と子孫語(ex.ラテン語とフランス語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、ルーマニア語の関係)。

(2)姉妹語(ex.同じ祖語から分かれたフランス語とイタリア語の関係)。

(3)借用語…別の言語Bから借りてきた語(ex.日本語の数詞の「イチ、ニ、サン、シ…」は、中国からの借用語。本来の大和ことばは「ヒトツ、フタツ、ミツ、ヨツ…」)。

 上記手続きを取った上で、比較言語学では言語Aと言語Bとの関係が、この(1)~(3)のどれであるかを調べるのです。

 ある言語が他の言語によって説明できるという言語学的手続きによる証明がまずなされていなければ、強引な解釈によっていくらでも説明だけなら出来てしまいますから、その行為は無意味になります。

…というようなことを、ほぼ一年ほど前に日記で書いたことを思い出しました(http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20050825 、http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20050826

 ご参考まで

(あと日猶同祖論についてもこちら(http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20050915#p1)で少々書いております。お暇がありましたらご覧ください。なんだか宣伝くさいのですが…)

日本語の語彙と変化が多すぎるので偶然の一致も なぽりん2006/08/18 21:45:15ポイント1pt

起こるわけですね。

シオタランがいっしょならスタランもヒシオタランも有ってほしいし(笑)

日本語でもイクラがロシア語由来だなんてみんな知らないで平気につかってるし(笑)

いろいろやりとりできる日本語の懐が深いだけじゃないの。

言語学的にはそうかもしれませんが rthuk2006/08/18 10:33:08

人類学的にいえば日本人はバイカル湖周辺の少数民族から、樺太、北海道を氷河期に氷の上を歩いて渡ってきたとうことになってますね。

でも古来の文化神社系統の様式をそれで説明することは出来ない。

日本語だけ他のアジアの言語だけ明らかに違う。

言葉の順など・・・そういうことを噛み砕いて説明していただけますか?

ハイブリッド uumin32006/08/18 22:05:25ポイント1pt

それこそ自然人類学で言えば、原日本人に他の四つぐらいの方面から渡来した人々のハイブリッドが今の日本人らしいですよ(ミトコンドリアなどの成分分析から)。で、言語学的に最古の部分は身体語などから南方系(インドネシア半島とか)とされているはずです(身体の部分を短音節の言葉で表現する…目、手などの例から)。

私は言語学ではなく宗教学が専門なのですが、仏教や儒教の渡来以前の日本の宗教形式にある種のアニミズム、「日本・東南アジアの宗教の原型」を見ておられる方もおられます(岩田慶治さんなど。『日本文化のふるさと―民族と文化の同一性(アイデンティティー)を探る』角川選書、1991。や、『カミの誕生―原始宗教』講談社学術文庫、1990などを参照ください)。

それは「草木虫魚に宿る神」であり、氏の定義による「束の間の存在である人間が永遠の存在である大地(自然)に触れて、その経験の表現として草・木・虫・魚のかたちに-音、形、色、力に-カミを直観する形式」としてのアニミズムです。

あと、神社の様式などでは(それ自体、仏教寺院の到来に影響されてのことですが)南方の高床式を受けた建て方が多いのはご存知のとおりかと思います。正倉院などもそうですね。でももともとはるか昔の神道の祭祀では、まず一定の聖域(あるいは臨時のマツリノニハ)を画定し、そこに木を招代(おぎしろ)として立てて神を招き降ろしました。この木は神籬(ひもろぎ)と呼ばれ、そこに鏡などの祭器がかけられたのです。祭りは夜行われ、神が迎えられるとまず土器に盛った神饌が捧げられ、続いて玉・宝器・衣類が神宝幣帛として供えられました。次に神に祝詞(のりと)が捧げられ、何ごとか訴え事を申します。そして祭りの最後には神人共食の直会(なおらひ)があり、祭りが終わると使った祭器や食器を割って地面に埋めたということです。

この儀礼自体には「神社」を要しません。

さらに言えば、こういう神人共食の儀礼は、今なおタイ(南部>クメール)・ラオス(北部)・カンボジアあたりの水田耕作民の間で見られるものでもあります。

言語学的な語順に関わるものについては説明できないのですが、少なくとも日本(だけ)が全く独自の文化・宗教であるという捉えられ方は、現在の学問の世界ではなされていないと伺っております。というところでいかがでしょうか…

賛成 junti2006/08/17 20:43:10ポイント1pt

uuminさん、言語学の専門家ですか?

私もそういう内容の本を読んだ記憶があります。

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