沖縄戦での学徒隊といってすぐに
思い浮かぶのは”ひめゆり学徒隊”の
方々です。しかし、その他にもずいせん・積徳・白梅・でいご学徒隊の方々も
いらっしゃいました。
が、現代でもひめゆり学徒隊以外の
学徒隊の方々がいるようです。
なぜ、ひめゆり学徒隊の方々は
これほど有名になったのでしょうか?
(恐らく、他に比べて亡くなられた方が多い。また、激しい戦闘の地帯への配属だったということだとは思いますが)
出来るだけ詳しい内容(理由)が知りたいです。
Wikipediaより、「ひめゆりの塔」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%81%E3%82%86%E3%82%8...
がご参考になるかと思いますが、一番大きな要因は、ここに書かれている
1949年に石野径一郎によって碑に関する逸話が小説化されると、直後に戯曲化され、さらに同名の映画がつくられ有名となった。
という部分と、備考にもある
戯曲化や映画化などによって「沖縄戦の悲劇」の存在を世に知らしめたことは一定の評価がなされているが、その一方で「ひめゆり」にのみ世論の関心が集中したことでその他の存在を霞ませてしまったという指摘もある。実際、他の学徒隊については、詳しい状況がほとんど明らかになっていない。
という点が問題点として挙げられるかと思います。
その他、以下のサイトもご参考になる部分もあるかと思います。
●那覇市のサイト
http://www.city.naha.okinawa.jp/heiwa/gaid/online/index.htm
●第76回 復帰運動燃えさかる沖縄へ
http://www.ne.jp/asahi/econ/toshiodoi/page002.html
●白梅の碑
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4906559174/
という書籍もあるようです。
ご参考になれば幸いです。
コメント(0件)