私は長子でしたから
下の兄弟が前の補助座席に座って
私は荷台の補助座席に座っていました
母親には免許がなく
うちには車がなかったので
どこに行くにも自転車(あるいは最寄り駅までは自転車)
でした
そんな日々
あるとき自転車に乗っていると
足がスポークに挟まりました
あまりのことにびっくりして「おかあさん!」声になりません
母は買い物荷物もあるので一生懸命に自転車を漕いでいました
重くなった自転車を懸命に前進させようと力を込めて踏み込みました
ペダルを踏まないでー!おかあさん!ワタシの足が挟まってるの!!!
「おかあさん!足が!!」やっとのことで声が出ました
幸い、ひどい怪我にはなりませんでしたが
足の甲が切れて3針ほど縫う羽目になりました
でもその傷を大人になった今見ると
いつもとてもなつかしくその頃のことを思い出します
きっと全国でそんな事故が多発したんだと思います
今の自転車(ママチャリ)ってガードがついてますよね^^
当時、あれがあったら怪我しないで済んだんですね
私の母は、病弱を絵に描いたような人でした。痩せていて、顔色も青白くて、いつも何かしらの薬を飲んでいる人というのが、小さな頃の母の印象でした。
だから私が小さかった頃、家には自転車という物がなかったんです。母は、最も自転車が似合わなそうな人でしたから。
そんな母が、突然自転車がほしいと言い出したんです。季節もいいし、自転車で颯爽と走ってみたい。夕食を食べながら突然そんなことを言い出したので、私も父も、ぶっと口の中の物を吹き出してしまいそうに驚きました。
でも母は、これでも学生の頃はずっと自転車通学だったし、かなり遠くまでサイクリングに行ったことだってあるのよと、もう明日にでも自転車を買いに行きたくてたまらない様子です。父は心配そうな顔をしてお皿をつついていました。
翌日、ピカピカの新車が届いていました。ベージュ色の自転車でした。タイヤなんか黒光りしています。母は、ほら上手でしょと、家の前の道を行ったり来たりして、初走行を見せてくれました。なんかヨタヨタしてあぶなっかしいです。その夜は、もし母が交通事故に遭ってしまったらどうしよう、などと余計な心配をして、ちょっと眠れなくなっていたのをおぼえています。
さしてしばらく経ったある日の夕方、自転車で出かけた母が、泣きながら帰ってきました。すわ事故か!! いったい何があったんだ!! と思ったら、なんと母は、「UFOを見た!!」。
えーっ、と私は笑いましたが、母は真剣です。オレンジ色の物体がサーッと通り過ぎて、目の前で方向転換してジグザグに飛んでいったというんです。私は慌てて、まだ見えるかなと庭に出てみました。母も一緒に出てきました。もう何も見えませんでしたが、庭で母と二人並んで見上げた夕暮れの空と、隣に並んだ母の自転車は、今でもよく憶えています。
その後、母の行動半径はどんどん広がって、青白かった顔色に赤みがさしてきて、すごく元気になっていきました。そのうち人脈も広がって地域の活動などに参加するようにもなり、病弱な深窓の母から、だんだん元気いっぱいの母ちゃんという感じになってきました。もしかするとUFOと併走した母に、宇宙人がご褒美をくれたのかもしれません(^-^)
ありがとうございました。
そうそう自転車、注文してきましたよ。高いのにしました。
私のお母さんは自転車に乗ることができませんでした。それは子供のころ貧乏で、自転車を買ってもらうことができなかったからです。子供には何とか自転車に乗れるようにしようと、一生懸命でした。自転車の荷台をつかみ、なんとか自転車がこけない様に、自転車と同じスピードで走ろうとしていました。そうしたところ、道に石があり、自転車はうまくよけたのですがお母さんは躓いてしまい、スッテンコロリンとこけました。
やさしい文章ですね。ありがとうございました。
私がまだ幼稚園のころ。
ママチャリの後ろにのせられて、駅のお洋服屋さんに行きました。
少し高めの服や。
沢山試着して、一つの服を買ってもらいました。
上機嫌の私。
さぁ帰ろうと自転車の後ろのカゴに乗せられ、出発しようとしたそのとき。
ガタン!!!
・・・。自転車ごと倒れました。
身動きの取れない私は自転車のカゴに乗せられたまま、その自転車が倒れるがままに一緒に倒れました。
忘れもしない母と自転車の思い出です
目に浮かびました。
ありがとうございました。
「おかあさんと自転車」ですか・・・
やはり小学校の入学式を思い出します。
当日の朝、母の後ろ(つまり荷台)に乗せられ、小学校まで行きました。
もう30年以上昔の話です。
まだ道路も綺麗には整備されておらず、急な坂道を上り下りして連れて行ってもらいました。
すごく懐かしいです。
同じです。
あのころの「母」って若くて素敵でしたよね。
ありがとうございました。
三輪車卒業して
早くオトナの自転車乗りたいと
思って母の自転車で
三角乗りした
小学三年の初夏
三角乗りって分かります。懐かしい言葉です。
ありがとうございました。
私は長子でしたから
下の兄弟が前の補助座席に座って
私は荷台の補助座席に座っていました
母親には免許がなく
うちには車がなかったので
どこに行くにも自転車(あるいは最寄り駅までは自転車)
でした
そんな日々
あるとき自転車に乗っていると
足がスポークに挟まりました
あまりのことにびっくりして「おかあさん!」声になりません
母は買い物荷物もあるので一生懸命に自転車を漕いでいました
重くなった自転車を懸命に前進させようと力を込めて踏み込みました
ペダルを踏まないでー!おかあさん!ワタシの足が挟まってるの!!!
「おかあさん!足が!!」やっとのことで声が出ました
幸い、ひどい怪我にはなりませんでしたが
足の甲が切れて3針ほど縫う羽目になりました
でもその傷を大人になった今見ると
いつもとてもなつかしくその頃のことを思い出します
きっと全国でそんな事故が多発したんだと思います
今の自転車(ママチャリ)ってガードがついてますよね^^
当時、あれがあったら怪我しないで済んだんですね
同じです!
わたしの母も免許がなく、いつも、ママチャリの後ろでした。足を挟んだのは、数回あります。そのたびに血だらけになりました。
あと、クルマの横を通ったときにドアがあいて、母とふたりで、転倒したことも二度ほどあります。
でも、母のうしろで、母にいっぱいいっぱい話をしました。夕焼け、きれいだねーとか、たわいもないはなしなんですけど。
思えば、当時の母は20代。すごいなーっとこれ書きながら思いました。離婚して、必死だったんだなって。お金貯めて、ちかくの百貨店(いまはつぶれた・・)に、買いに行ったこともはっきり覚えています。そんな、母も還暦を過ぎ、すっかりおばあちゃんになりました。でも記憶の中の、自転車の母は、ずっと若いんです。
ありがとうございました。
ほんのちいさいころ、夢をみました。たしか、3歳か4歳のころです。
その時わたしはものすごい高熱だったらしく、何度も汗だくのパジャマをかえてもらっていた
記憶があります。あとはものすごく苦しかったことと。
そのときに見た夢なのですが、
昨日も"通学路の思い出"でお話したとおり、陸橋があったのです。
その陸橋がほんとうに好きだったのですが、その日わたしはその陸橋を
母が運転する自転車の後ろに座っていました。
私自身は、そう小さいものですから歩くことしかできないのですが、
母の後ろですし、しかもスピードは早いし目線もお天気も良かったのでものすごく気持ち良かったです。
陸橋のおわりはゆるい坂になっていて、左右に道がわかれていました。
(陸橋のおわりは、階段ではなかったのです)
左にいけば、違う地区に入るし、右にゆけば、おおきな公園があって、
自分が通っていた幼稚園があって、もうすぐ自分の家に辿り着きます。
陸橋のコンクリートは、黒くて小さいぶちぶち入りの白いコンクリートで、
それが、けっこう綺麗なんです。
その陸橋の、さいごのその坂を下り切って、おうちへ帰るために母は右にハンドルをきりました。
ら、直角な曲がり角だったので、突然自転車にのったお兄さんが出てきて、
正面衝突しました。
それで、夢特有のわけのわからなさですが、母だけ死んでしまいました。
それが、たぶん、無意識のうちにテレビでみて強烈に印象に残っていたのかな?
よくわかりませんが、ものすごくリアルで、
(しかし今思い返すとやはりありがちなサスペンスドラマ風な倒れ方なのですが....)
まっかな血が道路にじわじわ浸食していきました。
ほんっとうに恐いのと悲しい?のと、とにかくパニックで号泣して号泣して
目が覚めたのですが、目が覚めた自分もありえないくらいわめいていて(苦笑)、
すぐにおきあがってリビングのほうへ行きましたら、母が心配して駆け寄ってきてくれました。
突然えらく号泣しているので、それは驚いたことと思うのですが、
あの夢は私が意識的に覚えている中の一番古いものです。
3歳だか4歳だったと思うのですが、そんな小さくても死を理解していたのか、と
今は冷静になれますが、しばらくは、あの頃、母が消えてしまいそうでほんとうに恐かった。
だんだん落ち着いて、日々が流れ、その夢もぼんやりとしていきましたが、
やはり今でもこうして覚えていて、思い出すと恐くて涙が出そうです。
(ちなみに、号泣しながら起きて母の目の前で「おかあさんが死んだ!おかあさんが死んだ!」
って言っていた記憶があります。そりゃ、母も驚きますよね。。)
おかあさんと自転車の思い出がこんなもので済みません。
なんだか、思い出してしまいました。あんまりにも強烈な夢でした。
いえいえ。
「想い出はてな」は、忘れかけてた記憶を取り戻す、ちいさな、きっかけになれば、と思っています。
わたしは、もう少し、大きくなってからですが、母が殺された夢をみて、それはそれは驚きましたよ。なれないサスペンスの影響でしたが・・。
ありがとうございました。
同じです!
わたしの母も免許がなく、いつも、ママチャリの後ろでした。足を挟んだのは、数回あります。そのたびに血だらけになりました。
あと、クルマの横を通ったときにドアがあいて、母とふたりで、転倒したことも二度ほどあります。
でも、母のうしろで、母にいっぱいいっぱい話をしました。夕焼け、きれいだねーとか、たわいもないはなしなんですけど。
思えば、当時の母は20代。すごいなーっとこれ書きながら思いました。離婚して、必死だったんだなって。お金貯めて、ちかくの百貨店(いまはつぶれた・・)に、買いに行ったこともはっきり覚えています。そんな、母も還暦を過ぎ、すっかりおばあちゃんになりました。でも記憶の中の、自転車の母は、ずっと若いんです。
ありがとうございました。