あなたは大きく息をはいて、遠い昔に思いを馳せた。
あの頃あこがれていた夢を叶え、
あなたは今ここにいる。
幾度となく辛いことや悲しいことがあなたを襲ったけれど
あなたはいつも乗り越えてきた。
それは、あのときの、あの人の、あの言葉が、思い出があったから…。
それは、誰のどんな言葉ですか?思い出ですか?
自由に、物語風に仕上げてくれると嬉しいです。
私にとっての「転機の言葉」は、私の友人で今は広告代理店を営んでいる人の一言。
イラストでメシを喰うことに憧れつつも、特に何もやってなかった私。自分に自信が無くて、へたれていた私に、彼はこういってくれました。
「俺が応援した子はみんな夢が叶うんだよ。だからきっと君の願いも叶うよ」
彼は私に、ほんのささやかな仕事をくれました。
あの一言がなかったら、今でも営業活動をして頑張ろうとは思わなかっただろうなと思います。とはいえ、未だ夢を叶えたとは言えない段階なんですけどね。でも、叶えられそうな気がしています。まだまだ先は見えませんが。
その言葉を言ったのは、亡き祖母であった。
プライドが高く、人に頼ることの出来ない、頑張りやな自分に、祖母はこういい残していたのだ
「自分を愛しなさい。人よりも自分を愛しなさい」
自分を愛することが出来なかった私にとって、この言葉は、今日の今日までいつも心の中にいた。
祖母はその後なくなったが、私は毎晩空に向かって、話しかけている。
おばあちゃん。有難う。明日も笑顔になれますように・・・と。
(フィクションです)
私の祖母も
この物語のように力強い感じを持つ人です。
ありがとうございました。
俺の憧れの○○○○さんの言葉で
試練は次から次と目の前にやってくる君を見放してない証拠だよ。ということばです。
実際に俺はそれを信念に今を生きています。
物語風にできなくてごめんなさい
身近に
試練をものともせずにチャンスに変えていく人がいるんです。
hanatakuさんだったりして…(笑)
もしかしたらその人も、
同じような信念を持っているのかもしれません。
ありがとうございました。
私にとっての「転機の言葉」は、私の友人で今は広告代理店を営んでいる人の一言。
イラストでメシを喰うことに憧れつつも、特に何もやってなかった私。自分に自信が無くて、へたれていた私に、彼はこういってくれました。
「俺が応援した子はみんな夢が叶うんだよ。だからきっと君の願いも叶うよ」
彼は私に、ほんのささやかな仕事をくれました。
あの一言がなかったら、今でも営業活動をして頑張ろうとは思わなかっただろうなと思います。とはいえ、未だ夢を叶えたとは言えない段階なんですけどね。でも、叶えられそうな気がしています。まだまだ先は見えませんが。
素敵ですね。
明確な根拠などなくても
自信を持つことが必要な時期があるように思います。
叶うといいですね。
ありがとうございました。
それは記憶も不確かな、小さな、小さな頃の思い出です。
私はまだ無邪気で、世の中に悪い人がいるなんて、思いもしない年齢でした。
辛いことや悲しいことがあった日には決まってみる夢がありました。
その夢は光で包まれていて、光しかなく、とても眩しいのです。
だけど、キラキラしていて、とてもキレイです。
光の遠くから、誰かがゆっくりと近づいてきます。
私からは光が眩しすぎて顔が見えません。
誰なんだろう?
一生懸命目を見開いてみるけど、やっぱり見えない。
だけど、不思議な事に、顔が見えないのに、
その人がほほえんでいるのは分かるんです。
菩薩様のようなとてもとても優しい笑顔です。
きれいな笑顔です。
その人は何も言いません。
ただただ、微笑んでいるだけです。
私は小さい頃によく見たこの夢を支えに今までやってこれたのかもしれません。
今振り返ってみて思うんです。
私が夢の中でいたのはお母さんのお腹の中で、
微笑んでいたのは、お母さんだったのかもしれない。って。
私の姉は
母のお腹の中にいたときの記憶があると言い張ります(笑)
私のイメージでは、お母さんのお腹の中は
原始の海洋
です。
何かに包まれているという感覚は支えになりますよね。
ありがとうございました。
「ねえ、あなた、生きるってどういうことだか分かる?」
品のいいおばあちゃんが、お茶を淹れてくれながら、そう言った。このおばあちゃんは、踊りのお師匠さん。私はその頃、ちょっとした劇団で音楽制作の手伝いをやっていて、その関係で、このおばあちゃんの踊りの会に関わることになったのだ。
「は?はあ・・・・」
私は突然の問いに、曖昧な返事しか出来なかった。
「戦時中、そして戦後を生きてきた女にとって、生きるって言うことは戦いだったのよ。それも自分との」
穏やかなおばあちゃんの瞳がキリッと輝いた。
「動乱の中で生きるっていうことはね、盗むか、頭を下げるか、自分を売るっていうことと同じなのよ。死にたくなかったら、そうやって食べ物を得るしかない。それが生きるっていうことなの。どれもが屈辱よ。それを自分の明日のためにと堂々と受け入れることができるかどうか。自分の名誉との戦い。それが私の若い頃の生きるってことだった」
そしておばあちゃんは、ほらほら、お茶、飲みなさいよ。渋いのは嫌い? と微笑んだ。
私はその頃、色々な屈辱にまみれていた。叩かれ、揉まれ、負け続けて、全てに自信を失いかけていた。おばあちゃんは、そんな私のことを見抜いていたのかもしれない。
戦後の動乱期、体を売って生き抜いてきたこの女性は今、穏やかに微笑みつつも、凛とした気を放っている。生き様が誇りに満ちている。
生きるということは、泥水をすすっても生き延びること。平和ボケした私には想像も付かない現実を生き抜いてきた人が、目の前で美しく舞った。私も、そうありたいと思った。
重いですね。色々と考えてしまいました。
凛としたおばあちゃん
とても素敵です。
>生きるということは、泥水をすすっても生き延びること。
こんな豊かな生活をしてるとピンとこないのが
少し恐いですね。
ありがとうございました。
素敵ですね。
明確な根拠などなくても
自信を持つことが必要な時期があるように思います。
叶うといいですね。
ありがとうございました。