ホワイトカラー・エグゼンプションは、年収の大きい管理職はさらに年収が増え高額所得階級者となり、中間所得者の中間管理職の大多数の人たちはホワイトカラー・エグゼンプションによって低所得階級に没落していくという効果を生みます。
つまり、ホワイトカラー・エグゼンプションは、格差社会の拡大を急速に加速させる制度です。
ホワイトカラー・エグゼンプションに賛成の人もいるようですが、制度の中身を理解していないか、ホワイトカラー・エグゼンプションによる痛みと関係のない立場の人たちが、ホワイトカラー・エグゼンプションに賛成しているのでしょう。
ホワイトカラー・エグゼンプションの提案側はいろいろ説明していますが、ホワイトカラー・エグゼンプションの実際の運用ではサービス残業を合法化するための制度として使われることは避けられません。
働いている人にお金を払う、それが労働のルールです。
ホワイトカラー・エグゼンプションは現行の労働法体系を壊す制度であり、近代労働法の法体系との整合性がまったくとれません。
「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」(労働基準法1条1項)
「この法律で定める労働条件の基準は最低のものであるから、労働関係の当事者は、この基準を理由として労働条件を低下させてはならないことはもとより、その向上を図るように努めなければならない。」(労働基準法1条2項)
小さな穴でもそれを認めてしまったらダムは決壊してしまうように、法制度も一度でも法体系と矛盾する例外を認めてしまったら、あとはなしくずしてきに守られるべき原則は壊れ続けていくことになるでしょう。
ホワイトカラー・エグゼンプションと労働法体系との整合性をとるためには、労働法の原則を次のように変えていくしかありません。「賃金は働いた結果とは無関係。払いたいか払いたくないかは雇用側の意思だけで決定できる」というメチャクチャな原則に、です。
ホワイトカラー・エグゼンプションは国民の奴隷化を日常化させることになっていくでしょう。
経済同友会など、経営者団体ですら、ホワイトカラー・エグゼンプションには問題があると指摘しています。
http://www.asahi.com/business/update/1121/145.html
一定の年収以上の会社員を労働時間規制の対象から外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」について、経済同友会は21日、「年収を基準にするのはおかしい」と批判し、来年の国会での法改正は見送るべきだとする意見書を発表した。日本経団連は導入を推進しているが、経済界でも意見が割れた形で、今後の議論に影響を与えそうだ。
ホワイトカラー・エグゼンプションは憲法が保障する労働権を侵害します。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」(日本国憲法13条)
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」(日本国憲法25条)
現行労働法ですらサービス残業、過剰残業、サービス休日出勤、時短推進の遅延、賃金不払いなとが横行し、過労死が続いています。
過労死防止のため医師による診断を行うとする労働省の通達は、経営団体の横ヤリにより労働者の“労働者側の自主申告によって行わせてもよい”と修正・矮小化され、過労を申告するような社員は容赦なく解雇・配置転換するなどの企業内制裁により、過労環境は改善されていないのが現状です。
大企業と中小零細企業の労働時間の格差拡大は深刻であり、ホワイトカラー・エグゼンプションは労働弱者のサービス残業の固定化につながります。
裁判所は、「雇用側は過労とならないよう注意義務がある」というような判断を判決で示していますが、ホワイトカラー・エグゼンプションはこうした司法判断にも逆行します。
http://homepage2.nifty.com/karousirenrakukai/10-1=HANREI.DENTU.h...
「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。
使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う。」(電通事件最高裁判決)
参考リンク。
大阪過労死問題連絡会
労働基準オンブズマン・ホームページ
社員の理解・協力の無い会社は結果として行き詰っております。情報流出が顕著。労働組合は、もっと反対の主張をするべきと思います。
欧米型民主主義では、多数派が正義ということになっている。
兵士と指揮官では、どう考えても兵士の数の方が多いから、
兵士の考え方が正しい、ということになってしまう。
もちろん、兵士上がりの指揮官もいますが、彼らは往々にして
的確な指揮を執ることが出来ないのです。
近年の日本サッカー界を見れば、その理由がよくわかる。
素晴らしい選手だったジーコ前監督は、大した成果を上げることが出来なかった。
それに対して、現監督のオスィム氏は、なかなかの名監督。
(僕はトルシエもなかなかの監督だったと思っているが、これは
賛否両論あろう。)
だから、数が正義、の欧米型民主主義には、本質的な欠陥があるのです。
こんなの認めていたら、逆に会社はガタガタになると思う。
(労働組合も反対してます。)