昨年末、いじめによる自殺のニュースが多々取り上げられましたが、皮切りになったのはどのニュースだったでしょうか?
後、文化省に自殺予告を送ってきたのも、一番最初はどのケースでしたか?はっきり覚えていないので、教えていただければ幸いです。
あと、20年ほど前に「鹿川君事件」というのがあったそうなのですが、(http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage215.htm)当時はこの事件のあと、社会の反応はどうだったのですか?
最近のように連鎖反応して自殺が増えたのですか?それともそこまで大きな反応はなかったのですか?
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news2/20061003wm00.htm
北海道でいじめをした少女の遺書を、市の教育委員会が隠していた、というニュースが、いじめ報道の過熱の発端だったと思います。
文部科学省に「自殺予告」の手紙を送ったケースは、11月の上旬、消印に「豊」がつく手紙が発端でした。
結局鹿川君事件のあとは連鎖反応はなかった、ということですか?
「鹿川君事件」の時は幼すぎて、ほとんど記憶に残っていなかったので、親に聞いてきました。
当時のいじめは今のように「目に見えないタイプ」(シカト)ではなくて、「目に見えるタイプ」だったようです。
鹿川君事件のように、
が主流でした。
メディアで取り上げられたかというと、当時は今のようにインターネットが発達しておらず、メディアは新聞とTVが主流。
始めは取り上げられても、その後はあまり取り上げられなくなったそうです。
現在もそうですが、教育委員会での「いじめ数の改竄」は当時もあったようです。
連鎖して「いじめによる自殺」が増えたかという質問には、親も覚えていない、ということでした。
中途半端な回答ですみません。
http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20061104/1162655592
この方がブログで「いじめの発生件数の推移と考察」について述べられています。参考までに。
メディアはすぐにこの事件の報道からは退いていったんですね。それだけでも大きいです。
ありがとうございます。
自殺予告手紙は
2006年11月6日午前中に
伊吹文明文科相宛に届いたのが最初です
http://www.akashic-record.com/y2006/suicid.html
鹿川君事件のあった昭和61年(1986年)だけ
その前後年と比べて若者の自殺者数が突出しています
このサイトの下のほうにある「年齢別自殺者数の推移」参照
本当ですね。やはり影響は強かったのでしょうか。
どうもありがとうございます。
福岡三輪中学の事件だと記憶していたのを調べ直してみましたが、いじめであると判明したのは10月5日で滝川の方が早いようです。ただ、私の記憶では三輪中学生の自殺で謝罪に訪れた担任教師に向かってお父様が「あんたが憎いよ!」と怒鳴っていた映像が無かったらここまでいじめ自殺報道が過熱したかどうかは疑問です。
①と②は上のコメントを付加して#a1に任せるとして、富士見中学の自殺事件後の報道についてこのようなコラムを見つけましたが、当時と現在では報道の姿勢が変わっていると考えています。
これは雪印の大量食中毒事件や個人情報保護法制定による報道発表以後見られるようになったのですが、
①個人攻撃から問題の本質や深部をえぐり出そうという報道姿勢
②謝罪側も隠匿を否定する、個人を保護しないという考えに進んでいる
ということです。
②に関して異論があるのは解っています。ただし、以前なら三輪中学の事件で顔にモザイクは掛かっていたとは言え、担任教師が報道陣の質問に直接受け答えすることはありえなかったと考えます。
また富士見中学事件の報道が担任教師を含め葬式ごっこに参加した教師の個人攻撃に終始した結果、今回を含めむしろ教育委員会や学校が隠蔽体質を強くしたのではと考えます。
今回の報道はいじめ自殺を増やしたと考えるのは早計です。いじめ自殺はそれなりにあったのが今回の事件を機に報道されるようになったと考えるべきで、富士見中学事件後もそれほど増えてはいなかったと記憶しています。
そうでしたか。
色々と熟考する余地がありそうですね。どうもありがとうございます。
そういえばそうでしたね・・・
最近のことなのにずいぶん忘れてしまっています。ありがとうございます。