日本人は、特にネット上では褒めるということが、アメリカ人に比べて非常に少ないです。
「どうすればお互いもっと褒め合うことができるか」あなたの意見を聞かせてください。
http://d.hatena.ne.jp/rsyudou/20070318/p1
「褒める」をコンセプトにサイトやブログを
作ってみたらどうでしょうか。
テーマを決めてサイトに来た人に
褒めてもらう・・とか。
褒める事が結構気持ちいいという事に
気付く方もいるかもしれません。
どっかの日本語学者がもっと
「褒め方マニュアル」つくればいいと思う。
ここは褒めるべきと思っても、言葉が出ない人は多いだろうし。
褒め方マニュアルあれば是非参考にしたいです。
そもそも褒めることを口に出すことが慣れてないので。
日本人は、相手の欠点を指摘するのは、上手いのですが(あら探しが上手)、相手の良いところを発見するのが、下手なような気がします。
私が、外国でスキー教室に入ったとき、インストラクターは、私の滑ったのを見て、”あなたのここはいい、だけどこうしたら、もっとよくなる”というような教え方をしてくれました。まず、良いところを褒めてから、直すところを指摘してくれました。
たしかに、それはありますね。
良いところを褒めて、直すところを指摘する。
なるほど心がけてみます。
無理にほめる必要も無いんじゃないんですかね。アメリカ人と日本人は性格も違いますし。楽観話かもしれませんが自然の流れで見つけていけばいいのではないのでしょうか。
うーんなるほど。これもひとつありますね。
無理に変わろうとせず自然の流れに身をまかせる方法。
まあ、日ごろの訓練とか習慣の賜物 なんでしょうけどねー。
すごくいいところに目をつけられたと思いますよ。
だから、まずあなたが範を示すというのはどうでしょうか?やっぱ、ほめられるとほめたくなるしね。Pay it forwardなんて映画があったけどちょっとずつでも行動で人に広めていくしかないんじゃないかな。
昔の日本流だと「あいさつ運動」とか「5S運動」とかそういうスローガン系で進めていくやり方があったんだけど、ネット上ではそれではなかなか広まらない、でもやらない限り変化しない。
ほめられるとほめたくなる。
自分から褒め始めたいと思います。
日本人はみんなやるからやる、みんなやらないからやらないという考えの人が多い国と言われています。
なので、これを見た皆さんが人を褒めるようにします。
私も人を褒めるようにします。
そうすれば、周りも褒めるようになり、次第に日本人の考えが変わるときが来るかもしれません。
みんなで褒め合おうですね。
日本人も、伝統的には「褒め上手」なんだと思うんですね。
たとえば落語なんかにも、「いい羽織着てるねえ、別染めかい? また足袋が粋だね、鼠(色)の足袋かい。今日はお前が旦那で俺がお供に見えるよ」なんていうやり取りがあったりします。
実際には羽織はただ色が褪せただけ、足袋に至ってはただ汚れただけというところで笑いを取るわけですが、「粋」の世界では、相手の美点を探してサッと褒めていくというのが、とても大切だったんです。
「子誉め」「牛誉め」など、褒めることそのものが主題の落語もたくさんあります。人を褒めるテクニックに長けているとかっこいい。あるいは上手に褒めるとお駄賃がもらえる。そこで主人公がトンチンカンな褒め方をして大笑い、という図式ですが、このへんからも、昔は人を褒めるテクニックが、ひとつの大人としての素養と考えられていたことがわかります。
それが、いつのまにか薄れてしまったんですね。その原因に、私は「価値基準の多様化」があるんじゃないかと思うんです。昔は、何が素晴らしい、何がかっこいい、といった基準が比較的シンプルでした。江戸の町人なら「粋」という基準があった。戦後の日本も、流行はシンプルでした。国民的流行というのがあって、それに合致していることが「褒めポイント」になったわけです。
ですからおそらく昔なら、石原裕次郎であるとか加山雄三なんていう大スターと似たファッションをしていれば、エレベーターに乗り合わせた人から「それいいね、どこだ買ったんだい」なんていう声がかかったのかもしれません。
ところが今は価値観が多様ですから、何を見てどこを褒めればいいのか、よく分からないわけです。どうにも理解不能な部分に相手は凝りまくっている。今はそんな状態ですよね。
これはファッションに限らず、行動でも考え方でも同じでしょう。むしろ行動や考え方に対しては、他人に対して不快感を憶えるという人が多いですから、なおさらに褒めることが難しくなります。多様な価値観があるにもかかわらず、自分の価値観に合致しなければ不快感をおぼえる。これでは人を褒められるわけがありません。
そこで、今の時代に褒め上手になろうとするなら、まず「共感上手」「感心上手」になるということが大切かなあと思います。自分と異なる価値観であっても、共感、感心というのは、けっこう出来ることだろうと思うんです。
ああ、それは自分には気が付かなかった点だよ、とか、自分にはああいうことは出来ないなあとか、Tシャツ1枚でも、俺には選べないセンスだよとか。
自分の既成の価値観に存在していなかったものに触れた時にこそ、そこに感心し、そこから共感が生まれてくるわけですから、まずそれに長けていく。そしてそこで感じたことを素直に言葉に表していけば、それが相手を褒めるということになってきます。
昔の日本の褒め方は、いかに共通の価値基準に合致しているかを語ることで褒めていくやり方でした。これからは、自分の既成概念になかった部分に感心、共感し、そのことを褒めていく。そんなやり方に変わっていけると、みんな褒め上手になっていけるのではないかと思います。
褒めるには価値基準が違いすぎるから、それより関心と共感をする。たいへん納得できました。
ぼくはSNSやってますが、褒め合うことが多いように思います。
オンラインゲームでも褒め合いが結構ありましたが。。。
褒めてないですかねぇ???
たしかにSNSやオンラインゲームのような知っている人の間では褒め合うことが多いですね。実際に合って話すより褒め合うことが多いかもしれない。
私は大げさに言うと「善行」に対する日本人のイメージの持ち方に問題があると思います。
勿論「善行」はいいことであると誰も否定はしないでしょう。
しかしながら善行をする人に対して「あいつは偽善者だ」とどこかで思ってしまう節がある気がします。
例えば電車で席を譲るにしても譲るべきであるというのはほとんどの人が感じているはずだけれども
実際に声をかける人はごくわずかです。
これは「断られたらいやだ」、「いいかっこしい」という障害があるせいだと思います。
このことだって勿論自分の行う行為が必ずしもよい結果につながる保証はないけれども
自分がよかれと思ったことならば自信を持って声をかければいいんです。
そうすれば断られたって恥ずかしくも何ともないはずです。
話がそれているように感じるかもしれませんが人をほめることだって同じことだとはいえないかもしれませんが同じ延長線上にある問題だと思います。
なので日本人はもっと自分の善行に対して自信を持てばよいのだと思います。(勿論その行為の責任を取るのは当たり前)
また、私は確かにほめることも大事だけど日本人のことだからこういう問題があるとすぐチヤホヤするから警鐘を鳴らしたいです。
ほめて伸ばすのは大事だけど可能性を積むようなことをするのでなければどんどん追い込んで大事なところでほめてやるというテクニックが必要になってくるんでしょうね。
ネット上のことについては匿名性があるから他人への思いやり、即ち想像力が働かないのでしょう。
この問題は絶対日本人に限ったことだとは思えません。
自分がよかれと思うことなら自信をもってやる。ただ褒めるだけでなくやはり褒めるタイミングやテクニックにも大事ですね。
ほめるポイントとほめ方を知らない人が多いので、ご質問のような状況が起きていると思います。
ほめるポイントは結構いい加減でも問題ありません。
問題なのはほめ方です。
適切なほめ方をしないと、嫌みにとられる可能性がありますし、効果がない場合もあります。
私はよく、「~は素敵ですよね」といいます。これだとどのような場面でもそれなりに合いますし、的はずれであったとしてもさして害がありません。相手をほめているというアピールをしているにすぎないので、当初の目的に合致します。
他の方の回答を見るとアメリカ人との対比がありますが、性格などは人それぞれなので、ほめられるレベルの性格の人は少ないです。建設的な意見をいえるのは、幼い頃からの訓練の結果なので、日本人でも訓練すればできるようになると思います。
「~は素敵ですよね」今度やってみます。
日本人はプライドが高いような気がします
相手よりも自分大好きな人間が多すぎるのかもしれないですね
相手あっての自分と思うようにならなくてはいけないですが
日本の文化や歴史からしてそれは、いきなりは難しいでしょう
相手あっての自分と思う。たしかにへんなプライドありますね。
そもそも、アメリカ人が褒めすぎなんじゃないでしょうか。
わたし、アメリカに十年ばかり暮らしていましたが、
アメリカ人は「やぁ、ナイスなシャツだね!」
といきなり褒めるところから会話に入っていくことが、よくありました。
日本人が、「今日は晴れてよかった」ですとか、天気の話題を振る程度の感覚で
褒め言葉を使っているように思います。
心底、わたしのシャツが素晴らしいと思ってくれたかといえば、
どうもそうではないらしいので、ある程度は社交辞令として割り引かないといかないでしょう。
ただ、常日頃から訓練をしているせいか、
褒め方が非常にスマートなところは、見習いたいなぁと思いました。
社交辞令だとわかっていても、褒め方がスマートなら気持ちがいいですね。
日本人は、よいことをして当たり前という感覚があります。特に仕事では成果を出して当たり前のようなところがあります。期待の1割でいいから褒めてほしいのに、9個のよい仕事をしても1個の失敗を上の人間は責めたりします。本当は褒めてほしくて作業をこなしたのに、このギャップには誰もがジレンマを感じていると思います。でも、みんなそうだからと日本人は我慢していることが多いでしょう。
テーマとそれました。どうしたら褒めあうことが出来るかでしたね。とにかく一言一言心を込めて褒めることが大事でしょう。心を込めるには相手に感情移入する必要があります。感情移入するためには、相手のことを知っている必要があります。つまり、褒めることは、相手をよりよく知ろうとすることではないでしょうか。
なるほど。たしかに相手に無関心だと褒めることもありません。これは現代社会のような感じがします。
>どうすればもっと褒め合うことができるか
とてもよい着眼点だと思います。
自分自身、人のことを褒めるのは上手ではありません。
今でもそうです。
ただ、自分が「有り難い」と思ったことは素直に口に出して言うようにしています。
そして、「こうしたら相手も嬉しいのでは?」と思うことをやるようにしています。
例えば
自分がエレベーターから降りるとき、
「開」のボタンの近くだった場合にはボタンを押しておく、
そして乗る人がいる場合には、扉が閉まらないように押さえておく
そうすると相手の人は自然に「有難うございます」と言葉を返してきますので、こちらも軽く会釈をします。
逆にエレベーターに乗り降りするとき、「開」のボタンを他の方が押してくれていた場合には、「有難うございます」と相手に伝わるように話します。
席を譲っていただいた時も「有難うございます。せっかくですから座らせていただきますね」と一声かけてから腰掛けるようにしています。
仕事柄目の不自由な方と一緒に行動することが多いので、エレベーターを開けておいてくださる方に出会うととても嬉しいので自然に「有難うございます」の言葉が口から出てきます。
ネット上に限らず、
「有り難かった」「嬉しかった」気持ちを素直に表現するようになれば、「褒め合う」ことが少しずつ増えていくのではないでしょうか?
ご参考まで。
気持ちを素直に表現するって忘れがちです。ありがとうの気持ちを素直に言えるのと似てるのかもしれません。
ちょっと考えてみたのですが、ではなぜ褒め合うことが少ないのか。
一つ思うのは、思ったことをそもそも(素直に)表現する傾向が欠けているように
思えます。
どこか我慢したりフィルターをかけたりして、自分の感情を表現する習慣を持つ
日本人がそもそも少ないのではないかと考えています。
そうだとすると、まず、第一歩として自己表現、それも言葉によるコミュニケーション力
をもっと付けることから始めるべきなのかなと思います。まず思っていることが言える
ようになって、その次に何を言うかという選択が出てきて、その上で褒め合った方がお互い
気持ちいいんじゃないかというコンセンサスが時間をかけて醸成されていくのではないかな
と思いました。
やっぱり素直な自己表現ですね。
アメリカのような他民族国家では外交上そうしないとやっていけないのでは?
褒めあうことが外交辞令でしょう。日本のような単一民族(厳密には違いますが)では家族のようなものだから、いちいち褒めあい無くても安全がたもてるのです。
あそこはそうしないとすぐ攻撃しあうことになる。【だから私は敵ではありませんよー】と最初に外交辞令で釘をさすわけです。
だから同じ民族同士でタムロする。そこではよけいな気を使わなくていいわけですから。
たしかに日本とアメリカの違いで一番あるかもしれない。あっちでは、常識といってもいろんな民族の人種の宗教の常識があるというし、まず褒めることがコミュニケーションの始まりとして必須なのかもしれない。
論理的な思考が大切だと思います。以下、希望的観測も含めて。
誤解されがちですが、そもそも論理とは自分の価値観や考え方を出発点にして、「いかに相手に説得的に自分の主張を伝えるか」というツールにしかすぎません。ですから人によってロジックの組み立て方は異なってきますし、同じ事象について論理的な筋道を付ける場合も「絶対の正解」はありえません。
論理的な思考が身についている人ほど、論理は万能ではないということを理解していますし、おのずと他者の価値観や考え方に基づいた論理に耳を傾ける姿勢を保ちます。ましてや、他人の論理の悪いところばかりを指摘して自分の論理を相対的に優位にしようという思考は非生産的である、ということをより意識していると思います。「相手を打ち負かす、否定する」というために論理を振りかざす人は、あまり生産的ではないですし、本義的な意味での論理性はないでしょう。
そういう意味で、論理的な思考というのは、必然的に他者の価値観や考え方といった「多様性」に価値を見出す方向性に繋がり、前向きな意思決定をしていくために必要なものかと思われます。ですから、多様性を認める論理的な思考は、人を褒めるという行為に近づきやすいのではないでしょうか。
たしかに相手を打ち負かすのが目的では論理とは言えないかもしれない。多様性を認めることができる思考、これもアメリカでは多い思考なのかも。
渋谷などを闊歩するギャルに学ぶところが大きいと思います。
彼女達は、
「この服かわいくない?」「かわいい~かわいい~」
と常日頃から誉めあうことで、仲間意識を確認しているようにも見えます。
まずは、他人の服装について何でもいいから「かわいい」と言ってあげる。服でも靴でもメイクでもネイルでも構わないと思います。
そうすると、相手も自分の外見に注目し、いいところを見つける努力をしてくれます。
また、毎日あっている人には、変化に敏感になるということではないでしょうか。
「それ、新しく買った?かわいいね」と誉めてあげるだけで、たとえそれが新しく買ったものでなくても
「前から持ってたんだけど久しぶりに着たんだ~」
「今年モデルって言われても全然いけちゃいそうだね~」
みたいに会話も弾みます。
誉めることがあまり上手でない人は、もしかしたら他人に無関心なところが多いのかもしれませんね。
まずは他人が身に付けているものに注力するところから始めたらいいのかと思います。
なんだかわかるわかる。やっぱり他人に無関心なんだと思います。身に付けているものから始めてみます。
「褒める」をコンセプトにサイトやブログを
作ってみたらどうでしょうか。
テーマを決めてサイトに来た人に
褒めてもらう・・とか。
褒める事が結構気持ちいいという事に
気付く方もいるかもしれません。
これはいいかもしれません。ネット上でなら広がりも早そうです。
キャバクラ嬢は褒め上手らしいです。
「こいついいとこねえよ!」って思っても客をかなり観察して「マユゲ長くて素敵~」「メガネとると素敵~」と褒めまくるとか。
通ってみたらどうでしょう?
これは、いいwebサイトを作るための参考としても勧められたことがありますw
無理にほめることもないと思いますが・・
まずは自分から相手をほめるということでは?
http://www.excite.co.jp/book/product/ASIN_4806119369/
参考になりそう
読んでみたいと思います。
これはいいかもしれません。ネット上でなら広がりも早そうです。