必ず誰にでもあって「気付く」ものだと思います。「幸せになる」んじゃなく「幸せに気付く」。だから幸せって実は幸せを感じられる気持ちの余裕なんじゃないかな?って思います。
幸せとは、己の存在に意味があったと理解した時に感じるもの。
幸せとは、他人が自分の為に尽くしてくれている最中に感じるもの。
夫婦でこれが上手く噛合えば、傍からはどう見えようと当人同士は幸せでしょう。
仕事等でこれが噛合わないと、大変不幸な事になります。
加山雄三の歌が出てから、「幸せ」って言葉が安っぽくなった感じがします。
確かに
己の存在に意味があったと理解できず、かつ
他人が自分の為に尽くしてくれていない
ような状態というのは不幸ですね。
生物として欲を満たしたとき
腹いっぱい。ぐっすり寝る。Hする。子供を育てる。
それから派生して男の場合は
支配する。仕事などで達成感。尊敬される。
なんかも幸福感かもしれない。
ふーん
ドーパミン、セロトニン、オピオイド。
>神経伝達物物質
http://trauma.or.tv/1nou/3.html
(穿った書き方かもしれませんが、
科学的事実はそれとして肯定すべきものなので)
はいはい
精神的な満足感。
物質的でないから同じことがあっても
人によって幸せだったりそうでなかったり。
結局自分の経験や感じ方でかわったりするかな。
精神的に満足してなければ不幸だと。
「幸せ」って「気持ちの持ちよう」だと思います。
大金持ちで周りから見ればとても幸せそうに思える人でも、その人自身が「私は不幸だ」と感じていれば幸せではないし、貧しくても、毎日家族が事故なく無事に暮らせていることが何よりの幸せだという人は、それで十分幸せだし・・・。
日常にたくさんある小さな幸せを「幸せ」だと感じられない人は、不幸だと思います。
幸せとは心の平和、すなわち、心が恐怖から解き放たれた状態。
すべてのマイナス感情の源は、恐怖心だと聞いたことがあります。
怖いから不安になって悲しくなる、怖いから身を守るために攻撃的になる、など。恐怖心を感じるのは人間として自然なことではありますが、理性によってその恐怖を取り除き、心の平和を取り戻せば誰でも幸福になれる・・・かも?
幸せとは一時的なものです。
生まれたこと自体に苦しむ人がいます。そんな人は、死を求めて四苦八苦します。
老いること自体に苦しむ人がいます。そんな人は、自分の老いを忘れようとして四苦八苦します。どんな美女でも老いれば老婆であり、どんどん醜くなっていきます。
病気に苦しむ人がいます。そんな人は、自分の病気をなんとかしようとして四苦八苦します。健康なスポーツマンでも病気から完全に回避することはできません。老いれば病気になります。
自分に死があることに苦しむ人がいます。そんな人は、生きようとして四苦八苦します。人には寿命があります。
出会いがあれば別れがあります。どんなに愛していても、先立たれて悲しむことがあります。
愛し合っていても、それは確実ではありません。抱いている相手は、別な人のことを考えながら抱かれているかもしれませんし、次の日には事故や事件で死んでいるかもしれません。
腹いっぱい食べて一時的に満足することはできますが、食べなければ飢えて苦しみます。
はてな人力検索でなにか質問して、たくさん回答が返ってきても、満足できる回答がひとつもなくて「チッ、どいつもこいつも」と不満たらたらで不幸せかもしれません。
人生とはそのようなものです。
幸せは決して永続しない一時的なものです。
逆に言えば「幸せは必ずしも永続しなくてもよい」と思えるなら、そう思えない人よりも、その人は幸せをより多く“感じる”ことができるかもしれません。
幸せな人に“なる”必要はありません。
幸せを“感じる”人になればよいのです。
私も思春期の頃、まじめに考えました。
私の結論は、
幸せは”変化の中”に感じるものです。
現状よりも少しだけ良くなったときに感じるのです。
そういう意味では、金銭的に感じる幸せには限界があると思うのです。
知識欲には限界がないのでいいのだと理解しています。
私の好きな詩にカールブッセ作、上田敏訳の”山のあなた”が
あります。
http://www.ii-park.net/~ikiru/chap-6.htm
私の生きる目的は、生きる意味を見つけるためだと思っています。
ちょっと離れますが最近私は、
大人も子供も、生きる為には誰かに愛されている・必要とされているという確信が必要なんだなと考えています。
循環論法ですね :-P