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ホラーは、小説、映画、漫画などで、読む者、観る者に恐怖感を与えることを想定して制作されたもの。
コメディは、読む者、観る者を笑わせることを想定して制作されたもの。
ただし両者は相反するものではなく、『バタリアン』や『ショーン・オブ・ザ・デッド』みたいに、両方の要素を兼ね備えた「ホラーコメディ」というジャンルもあります。
コメディーよりもホラーがお好きなようですが、私はコメディーの方が好きです。コメディーが最も稼げる場所は本来「大道芸」だったと思います。
笑いを提供して「お足」を頂く。「おひねり」と言われても見当が付かないでしょう。銭を紙で包んで捻って閉じて投げる。投げるという行為は目下の者に呉れてやる意味を持ちます。笑いの代価に銭を投げ与える。身分制社会での下層階級の稼ぎだったのですね。芸人の響きにも名残が有るように感じるのは古い世代だけかもしれません。西洋にも大道芸はジプシーとかあったそうです。
ホラーの源流にはキリスト教のトラウマが存在するでしょう。「うらめしや~」はお岩さんですが、キリスト教の世界では深層心理に徹底して植え込まれています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%94
死に行く他人を見せつけて宣伝効果で犯罪の減少と情報操作を狙った刑罰ですが、意外にも娯楽に転用されてしまった。ドラキュラは最も古典的なホラーですが、キリストの復活や十字架のイメージと重複させて俯瞰すれば全体像が見えてくると思います。
日本では幽霊ですね。怨念を晴らしてやらなければ祟りがある・・。穢れを祓う信仰の具象ですので神社仏閣の稼ぎ頭だったようです。加持祈祷とか聞いたことがあるでしょう。
日本では忌み嫌う、避けるべき事柄の筆頭として娯楽にはなりにくかったようですが、百物語などの伝統として転用されたようです。
コメディがホラーに見える病の人なのでそのあたりは(笑
それが、調べてみるとホラーの源流に大道芸があったりするのです。
たぶんキリスト教的なものにリンクする、というのはあるのでしょうが、
なぜか大道芸につながる。
日本の幽霊も娯楽になっていた、という歴史もありそのあたり微妙です。
絶対安全な恐怖。
「恐怖」「笑い」の差
それが答えだと思います。
笑いは緩和であり、脳の副交感神経系が優位になることから生まれます。
恐怖は逆に緊張であり、筋肉の硬直とアドレナリンの分泌が行われます。
つまり、ホラーは他者に対して緊張を及ぼすことを目的としたもの。
コメディは副交感神経系を優位にさせ、緩和させることを目的としたもの。
といってももちろん観る側にとっての境目を決めるのは無理でしょう。
「暑い」と「寒い」の違いを見つけるようなものですからね。
結果としてその人がそう感じるということはあっても、普遍的に存在するということはありません。
しかし制作側の視点としての境目であればそういうことだと思います。
私は「制作者がどういうつもりか」よりも、「受け取る側がどう感じたか」
が違いだと思います。
いちおうその両者は同じところで着地することが多いですが、
「……もしかして、コメディのつもり? でも怖いじゃん!」
という作品もありますし、ホラーとして制作されたのに観客は笑うしかない
エド・ウッドのようなものもありますよね。
(この笑いは微妙な例かな)
それから、スプラッタ映画の中には外科医にはギャグにしか見えない
作品もあるそうですよ。
「こんな血の飛びかた、しねぇよっ!」
ということだそうです。
しかし、血みどろの恐怖映画を見て笑い転げる外科医の集団というのも
それはそれでホラーな気も……
「どんなに嫌がっても付いてくるナニカ」
がたとえば《コワモテ凶悪面の男に、可愛い赤ちゃんがなつく》だったら、
ほのぼのしたコメディにまとまりそうですし、
《真面目で可愛い女子高生に、不気味なオヤジがなつく》だったなら、
ストーカーホラーの可能性が高いかと。
起源が同じかは解りませんが、私も、恐怖と笑いは紙一重だと思います。
そういえば、恐怖と笑いの近さについては、「パタリロ!」の魔夜峰央さん
も以前になんだったかで触れてました♪
「パタリロ!」も紙一重ですからね。
http://d.hatena.ne.jp/rakuten/book/11067364
URLは「ホラー作家へのインタビュー集」といいながら、ホラーから話題が
脱線しがちなインタビュー集です。
そう、赤と青に中間色があるように、ホラーとコメディの明確な境目は存在しません。
では、この両者の差はなんだろうと考えたときに「恐怖」「笑い」の差はなんだろう、と考えなくてはなりません。
笑顔がもともと威嚇の表情であったように、ひょっとしたらこの両者の起源は同じものなのかと考えられますが。