街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!“イエ・ルポ”とは、実際に見たり聞いたりしたイエの話、またはご自分の家の暮らしの中で生まれたユニークな工夫やアイデア、習慣や出来事をミニルポ感覚で書き込んでもらう“イエ・ルポタージュ”コーナーです。
*〈今週のお題〉に沿った、みなさんが知っている面白いイエの話を教えて下さい。
*〈今週のお題〉以外の話題のイエ・ルポも常時自由に投稿して下さいね!
イエ・ルポ #029 THEME「あの時があったからこそ!の家族ケンカの思い出」を教えて下さい
→ルポ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20070702
※今回の「いわし」ご投稿は7月5日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※参考にさせていただいた「いわしへのコメント」には、【いわしポイント×20pt】を差し上げます。
※お願い
モラルのない一行投稿などはご参加者の皆様に大変ご迷惑となりますので、ご遠慮下さい。
またそのようなご投稿にはポイントの送信を控えさせて頂きますのでご了承下さい。
家族だから言える、厳しいこと。
リハビリで苦しんでいるということも判った上で、だけど一緒に頑張ろうというような気持ちだったんでしょうね。家族の愛は大きいですね。
歩けるようになって本当に良かったです。^-^
お母様もxmoon_catxさんのことを考えると必死だったんでしょうね。自分のことのように真剣だから、自分にするのと同じように厳しくできる。広い世の中でこんな愛を注いでくれるのは家族だけですよね。じぃぃぃん…。
心の中では自分のために言ってくれてるって分かりますよね。
いくつになっても怒られますが、家族だから愛のある叱り・自分の事を思って言ってくれているんですよね。
退院してから聞きましたが、三ヶ月HCUに入っていた時に、私は敗血症になりかけていてもう一度ICUに移動しましょうか?など先生に言われていたそうです。
だから、毎日付き添いをしていた母は私がリハビリを受けれるようになるまで回復したのが本当に嬉しかったそうです。
今もまだ相変わらず怒られますが、これも親だからこそ言ってくれることですよね。
リハビリは辛いし、それを頑張れと言われるのはもっと辛いことだったと思います。
でもそれで一生歩けないかもと言われていたのが歩けるようになったなんて!
これは奇跡です。
お母様の愛と真剣さがもたらしてくれた奇跡。
歩けるようになった時、お母様はどんなに喜んでくださったでしょうね。
いいお話をありがとうございます!
車椅子に乗ることも両足だったため、何ヶ月もかかり初めて車椅子に乗ることが出来た時、母は涙を浮かべパジャマ姿で車椅子に乗る私を写メールで撮り、父に送っていました。
私は一人暮らしの東京で怪我をしてしまい、母はずっと遠く離れた実家から一人東京に来て病院通いをしてくれました。
仕事が忙しく東京になかなかこれない父も、写メールを見て涙したそうです。
家族って本当いいですよね。
大変な経験をしてこられたんですね。
歩けなくなるかもしれないどころか、命にも関わりかねない状態だったのですね。
そんなxmoon_catxさんが言い争えるほどになるまでに回復してきた時のお母様の喜びは、
どんなに大きかったことだろうと思います。
遠方から東京まで来て叱咤激励を繰り返してくれたお母様。
家を離れられないお父様の願いも一身に背負って。
感動です。家族って、本当に有り難いものですね。
xmoon_catxさんにとってもご両親にとっても大変な時期だったことと思いますが、今になると素晴らしい思い出ですね。お母様も、ともすれば不安で押しつぶされそうになる気持ちを押して叱咤激励し続けてくださったのでしょう。母は強しと言いますが、まさしくこれはその愛の強さがもたらしてくれた奇跡ですね。
この入院生活を送るまで、私は両親とうまく向き合えずずっと悩んでいました。
それこそ、「私は親にとってはどうでもいい子供・親はもう見捨ててる」などと考えていました。
家族で揃う時も、下の妹弟は親と過ごしていても、私だけはうまく親と向き合えないということから別室にいたり…。
この入院生活で、家族みんなが辛い思いをしましたが、私は親の気持ちを実感し、今まで思っていたようなことは一切思わなくなりました。
今では、両親と飲んだりご飯を食べたり買い物に出たり、本当に関係が変わりました。
とても辛くて大変な出来事でしたが、私にとってはプラスとなりました。
それは、父が入院中にくれた手紙にも「今回のことで家族みんなの絆を感じられた」といった感じで書いてありました。
今では私は両親が大好きです。
両足の骨折で半年入院した時のことです。
毎日お見舞いに来る母に本当に助けられましたが、時には入院のストレスからぶつかることも…。
きついリハビリが嫌で、投げ出そうとしていた私に母は「一生歩けなくなったらどうするの!」といつも厳しくゲキを飛ばしくれました。
その時は言い返したりもしたけれど、あの時の母の叱咤激励から「もしかしたら一生車椅子かもしれません。」と言われていた私も
今では普通に歩くことが出来、日常生活も送れるようになりました。
今の私があるのは母のきびしいけれど愛のある叱りの言葉のおかげです。