本当に重要な情報。
特に「おいしい」情報は、
リアルコミュニケーションを通してしか
知りえることができないです。
それが本当に「おいしい」かどうかは、最終的には自分にしか判断できないのではないでしょうか。
とすると、他人から知りえた情報と、テレビや雑誌から知りえた情報とは、そんなに差は無いのではないかなと思います。
場慣れ
そこにコミュニケーションが無くても場慣れはするんじゃないかと思います。
というか、何の場なのかによっても変わってきますね。
他人とのコミュニケーションにおける“何”によって場慣れするのだと思いますか?
それが質問に対するひとつの回答なのかなと思いました。
○人格!
今流で言えば「品格」でもいいかもしれません。
なるほど~
しかし、それは他人とのコミュニケーションで『得られる』というのとはちょっとニュアンスが違うかなぁと思います。
『形成される』ものですよね。
他人とのコミュニケーションにおける“何”によって人格が形成されるのだと思いますか?
それが質問に対するひとつの回答なのかなと思いました。
愛?(-_-;)
温度のあるアイデア・情報・思い
たとえ一方通行であったとしても、愛は愛なんじゃないか!?なんて。
「温度のある」というのがわかるようでわからないかな…。
逆に、温度の無いアイデア・情報・思いというものを説明していただけると助かります。
【共有した時間】というのはだめですか?
言い換えると、思い出とかですかね?
自分だけの記憶や思い出ではなくて、
誰かと共に歩んだ時間と、その経験というものです。
コレばっかりは
コミュニケーションなしでは無理かと思います。
なるほど。
共有した時間、と言うのは確かにその通りですね。
う~ん、でも、それ自体が私の質問そのもののような気もしてきます…。
なんだか良くわからなくなってきました…。
営業成績:セールスは客とのコミュニケーションによってなりたつもの。コミュニケーションによって顧客を得るものだと思います。
信頼:コミュニケーションなくして、他人からの信頼を得ることはできないものだと思います。
営業成績!
確かにそれも一理あるかもしれませんけど、製品自体の付加価値によってもそれは得られるのではないでしょうか。
信頼はその通りだと思いました。納得です。
市民活動による社会進歩とその成果。
政治は、人を無視しても出来ます。金と権力とさえ向き合っていればそれで出来てしまうのが政治です。でも、庶民の側から湧き上がってくる願いを社会に実現しようと思ったら、人と人との結び合いだけが力。道のない所に、みんなで歩くことによって道をつけていくような地道な活動が欠かせなくなってきます。
そう考えてみると、政治家にもハッキリ二通りのタイプがいることが分かりますね。人とのコミュニケーションを活動の必須としているタイプと、そうでないタイプ。選挙の時だけコミュニケーションを求めてくる政治家は、なんだかなあと思います(笑)
市民活動の根本には他人とのコミュニケーションがあるってことですよね?
とすると、回答は『他人とのコミュニケーションによる社会進歩とその成果』ってのとほぼ同義になっちゃうんじゃないでしょうか。
回答としてそれはちょっとズルイなぁと思いました。
市民活動というものが他人とのコミュニケーション(横のネットワーク)によって形成されるというのは理想としてはその通りだと思います。
とすると、他人とのコミュニケーションでしか得られないもの=理想の社会ってところでしょうか?
いや~、正直なところ、政治が絡んでくると私には良くわからなくなってくるなぁ…。
うーん、「相手が受け取った『自分』」でしょうか。
相互作用ですよね、コミュニケーションって。その中で、ほんの少し「私」が「あなた」に入り込むんじゃないでしょうか。その入り込んだ自分、相手が受け取った自分の姿(かなり改変されていようとも自分の映し身です)を再度確認できること。が、コミュニケーションでしか得られない物ではないでしょうか。
なるほど。
つまり「他人からみた自分の評価」ですね?
これは納得しました。
書かれたかもしれませんが、自分の評価ですね。
自分の事を客観的に自分で評価することはできませんね。
他人の目を通しての自分は、その他人のフィルターを通して
伝えられるしか分からないすよね。
逆に複数人から自分の評価を聞いたとき、
その他人自体の評価眼も分かる訳です。
この人は辛口だとかね。
自分の評価を他人に聞く際には、その人の客観的な
鑑識眼を分かっていないと、惑わされるだけになっちゃいますね。
なるほど。
これはすなわち「客観的な他人の評価」ということになるでしょうか。
これも納得です。
…でもこれってアンケートからの情報抽出みたいなことになるのかな??
より客観的な情報を得るにはそれなりの標本数が必要になりますから、そうなるとだんだんコミュニケーションは失われていくことになるかもしれませんね。
「自分とは違った価値観」
自分ひとりだけではなかなか思いつけないと思います。
人によっていろんな考え方があることは、話を聞いたり、本を読んだりすることでしか知りえないのではないでしょうか。
確かにそうなんですけど、おっしゃられているように『本を読んだりすること』でも知り得るのだと思います。
普通な答えですが、私は「意思の疎通」だと思います。
言葉でなくても、何らかのコミュニケーションがないと意思の疎通は図れないものだと思うので。
「意志の疎通」≒「コミュニケーション」なのではないでしょうか。
他人との「意志の疎通」でしか得られないものってなんでしょうか?
これはちょっとちょっと行き過ぎたかなという感じですねぇ…。
自我が無かったら他人とコミュニケーションを取ることもできないのではないでしょうか。
人肌のぬくもりでしょうか。
情報的な物はいくらでもメディア等で得られますが、実際の肌でのふれあいは現実のコミュニケーションに基づかないと得られない物だと思います。
これが文字通りの『実際の肌でのふれあい』であるならば、それこそお金さえあればもにょもにょもにょなところに行けば肌のふれあいは可能だと思います~
コースをお選びいただくだけでコミュニケーションは不要だと思います~
「共感」。
本からだと自分が共感する事はできますが、共感を得る事は出来ないかなぁ、と。
反対に、「反感」も。
『共感する事』と『共感を得る事』の違いが良くわからなかったです…。
『共感を得る』とは『(相手から)共感を得る』ってことですね?(読解力が無くてスミマセンでした…)
自分が本を書けば、相手から共感を得ることは可能なのかなと思いました。
「意志の疎通」≒「コミュニケーション」なのではないでしょうか。
他人との「意志の疎通」でしか得られないものってなんでしょうか?