毎週実施“イエ・ルポ”のお泊りいわし!本編いわしのつづきを語らう場所です。
毎回の本編を読んで、新しいメッセージや気になったツリーのつづきを書き込んで下さいね。
“イエ・ルポ”とは、実際に見たり聞いたりしたイエの話、またはご自分の家の暮らしの中で生まれたユニークな工夫やアイデア、習慣や出来事をミニルポ感覚で書き込んでもらう“イエ・ルポタージュ”コーナーです。〈今週のお題〉に沿って、みなさんが知っている面白いイエの話を教えて下さい!
イエ・ルポ #038 THEME「あなたの街で出会った心に残る出来事」
→本編いわしはコチラ http://q.hatena.ne.jp/1189399639
※今回の「お泊りいわし」ご投稿は9月13日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※「お泊りいわしへのコメント」は通常の【いわしポイント】のみとなります。
→詳しくはコチラ http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20070325#q13
※お願い
モラルのない一行投稿などはご参加者の皆様に大変ご迷惑となりますので、ご遠慮下さい。
管理って??
お気持ちはわからなくもないですが、
非常に、悲しくなりました。
管理と言う言葉は不適当ですか・・・。しかし、万が一私が引いてしまい、最悪の事態になったら、親御さんも悲しいし、私も多大な精神的な苦痛や経済的な損害を負うわけです。彼は特に「何々ちゃん」と呼ばれ、近所の人気者者にもなっているようです。だから一層そう思うのです。
ただ、この事実が分かったので、慎重に運転、駐車はしていますが、正直心配です。
to-ching様がおっしゃることはその通りでしょう。
私が、言葉尻に反応したのだと思います。
私の非常に親しい友人に障害を持ったお子さんがいます。
(知的障害ではないですが・・・)
彼女の苦労や涙を見てきているだけに、私が過敏に反応しているんだと思います。
ただ、障害を持った子供を見て
>同時にうちの子が健常者で良かったとも正直思いました。
っていうのは、
感謝する気持ちの裏に、非常に残酷な気持ちが隠れているような気がするのです。
to-ching様の気分を悪くさせたなら、申し訳ありません。
障害っていうのは、けっして生まれつきばかりじゃありません。異常行動・・・・と言っちゃ語弊がありますけどね、ま、他人にはちょっと予測不可能な行動を特徴とするような障害は、今現在全く普通だと思いこんでいる私達にも起こり得ます。誰にだって、いつそういう事態が襲ってくるか分からないんです。
健康で五体満足で生まれてきたことは、本当に感謝すべきことです。でも、人の明日なんて誰にも分かりません。今障害を持っている人が明日はものすごい才能を発揮しているかもしれませんし、今何でも無い人が明日は重度の障害を負っているかもしれません。
みんな、同じなんです。ただ、たまたま「今現在置かれている状況」が違うだけ。その置かれた状況が変化しても、変わらないのは、人としての尊厳を持った存在であるということ。障害の有無に関わらず、全ての人が愛され尊ばれる存在です。私は、そう思います。
同時に日本の福祉はまだまだだなぁと痛感もしました。
このケースに関してだけ気になる点を書いておきます。
「わーっ」と叫びながら走ってきたということに対して、
「知的障害者」だからということだけで納得されていないかなという点です。
知らない人が多いだけで遅れがある方も豊かな感情をもっていますし、
その行動にもきちんと意味があります。
例えば突然車の発信音がしたのでパニックになったとか、
to-chingさんの行動の何かに反応したという可能性も皆無ではありません。
本当に事故にならないかとご心配されているのなら、
(面倒に巻き込まれたくないという第三者当然の感情も含めて)
一度「あの時はどうしてあんな風に?」と保護者の方に聞かれる機会があれば・・・と思います。
無理に共感する必要はないと思います。
最初は興味や好奇心でも構わないと思います。
それでもそうして一つ一つ知っていくことで違和感はなくなっていくと思うので。
見ている方がなんとなく
悲しい気持ちになるものです。
私が以前住んでいたところの近所に、やはり普通のとは少し違う行動をとりがちな人がいました。
なぜわかったかというと、毎朝、道路のほうから間欠的に叫ぶような声がしたからです。早めに出るとゆっくり歩いているのを追い抜かすこともありますが、それは本当に毎朝時計のように決まった時間で、駅で乗る電車も車両もドアも一定でした。
もう成年で、体は健康で、障害も軽いので家に閉じこめてばかりおくわけにはいかない。生産施設に電車で通わせて、社会に参加させるために、毎日同じダイヤの電車に間に合うよう、しっかり世話をして送り出している家族がいるんだなってすぐわかります。叫ぶ言葉も、自分が今までに受けた注意を、オウムのように世間に叫び返しているように聞こえました。たとえばナニヤッテンダヨーッとか、朝の空気のなかでは一見イライラをぶつけるように聞こえるものが多かったけど、何度も聞くうちに、それは理解できない人に危険を何度も警告し、刷り込んで生き残らせようとする愛情をも伺わせました。
車も危険なものですし、かけよったりするなら警告をするべきですね。そういう意味では「管理」にあなたも参加すべきです。
そういえば悲しいと愛しいは平安時代は「ものの哀れ」同じところから湧いてくるとされていたことを思い出しました。
その人を轢かないように、その場所はただただ最徐行するだけです。保護者に合って云々もする気はありません。それから叫びながら走って来た時は、決して私の運転の仕方に問題があったからでも無いです、結構遠くから走ってきましたから。はっきり言って短気な人であれば、車を降り捕まえ殴ったかも?その方が今後轢かれる可能性も減少するかもしれませんが。私はとにかく最徐行、どんなことがあっても、悪いのは車の方になりますから。
駐車場の中での事故には、誰でも遭う可能性があります。道路も、電車も、危険がいっぱいです。自分の注意だけでは避けきれない事故というものもあります。みんなの力で少しでも危険を取り除いていけるように考える。結局それしかないですよね。
「管理」の必要があるとすれば、それは人ではなく環境。どこに危険が存在するのかという分析。どうすればその危険を少なくしていけるのかという対策。そうした社会的努力に、私達一人一人が参画していくということですよね。
私の駐車場の近くにいます、朝からいつも笑ってます、歳は18歳くらいです、あるとき、「わーっ!」と叫びながら走ってきてドキッとした事が何度もあります。(つまり引きそうになった)腹立たしいのですが、私になすすべはありません。ただ、彼のご家族には大変申し訳ないのですが、ちゃんと管理をして頂きたいと思いました。と、同時にうちの子が健常者で良かったとも正直思いました。心にの残ることです。