http://q.hatena.ne.jp/1194838601にて、自己管理についてアンケートをとらせて頂きました。
「自己管理は不要」という方が以外と多かったのですが、自己管理は不要と思われる理由をお聞かせ願えますでしょうか?
また、自己管理ではなくて、XXXXをする必要があるといったご意見や、書籍などありましたら、教えてください。
「自己管理は不要」という回答が多かったのは、自己管理という言葉の定義の問題だと思います。
自己管理という言葉は、「あなたには自己管理が必要です。」「自己管理をしなさい。」という使い方をされることが多く、現在の自分にプラスして行なうことというイメージを持つ人が少なからずいます。
そのため、現時点で自己管理をしているつもりが無く普段の生活をおくれている場合、「自己管理は不要」(プラスして自己管理を行なう必要はない)という回答になると思います。
(普通に朝起きて、ご飯を食べて、遅刻せずに出勤し与えられた仕事をこなして・・・、というような規則正しい生活を普通におくれている場合、その事を自己管理しているためと考えるかどうか。)
逆に、規則正しいをおくるのが困難で、「自己管理が出来ていない。」と言われる場合もありますが、この場合は、朝起きることや、きちんと仕事をすることなどが、自己管理に含まれます。
「遅刻せずに学校や会社に行けるレベルを自己管理が出来ているとする」とか「将来の目的を達成するために必要な事を把握した上で、着実な努力を行なっているレベルを自己管理ができているとする」などと、「自己管理」という言葉の意味を限定すると個人個人の言葉のイメージの差がなくなると思います。
自己管理が不要というより、ハードルの高い自己管理はしない方が良い、といった感じだと、私は思います。
まず、人間は怠慢な生き物だと思います。それを、努力や根性で直そうとするのは、間違いだと思います。なので、怠慢でなお続けていけるように、徹底的に工夫する必要があると思います。自然とそうなるシステムを作り上げるのです。
例えば、野口悠紀夫さんは、「超整理法」のなかで紹介している、押し出しファイリング(使った書類を封筒に入れて、次々に左に置いていく整理法)があります。これが上手くいくのは、なにも考えずに、使ったものを左に入れるだけだからです。
普通の分類法では、種類ごとに分けて、別々に整理するので面倒です。また、使っていないものが分からないので、捨てることがなく、どんどん溜まって、管理不能になっていくということです。(超整理法の場合 使っていないものは右にあつまる)。
有効そうな書籍で、思いつくものは
ガラクタ捨てれば自分が見える―風水整理術入門 (小学館文庫)
たとえば、押入れの中に物がパンパンに詰まっていたら、管理するのが大変ですし、そもそも、やる気が起きません。逆に、すっきりと少ないと、管理する気がおきます。そういったいみで、捨てることは、管理につながる重要なことだと思います。
続かないのは、あなたの意思のせいではありません、どうのこうの・・・。といった内容です。
もし気が向かれましたら、読んでみるのも、面白いかもしれません。
ご回答ありがとうございます。
「ハードルの高い自己管理はしない方が良い」というのは一理あると思います。
これについては「高い目標を持つことも大事なのでは?」と一瞬思ってしまいました。
ただ、それに続く部分を読むと、
「目標を持つなら、イメージできる目標をもて!」
という風に解釈させて頂きましたが、いかがでしょう?
例えば、
「金持ちになる」という目標であると、自己管理して自己実現するのは難しいが、
「フェラーリに乗る」という目標であると、それなりの収入があれば、あといくらかが明確になって励みになると思います。(それでも難しいかもですが・・・)
「早起きをして、早く出社する」という目標だと、まぁ、ただそれだけなので、自己管理が難しいが、
「早起きをして得た時間で、今日の残業をなくそう」という目標だと、楽しいイメージが湧いてがんばれる。
「ダイエットをしよう」という目標だと、漠然としていて、張り合いがなくやめてしまいがちだが、
「やせてモテモテになろう」という目標だと、わくわくする自分を想像し続けられる。
といった感じでしょうか?
目標の視点を切り替えて、行い易い目標を立てるという工夫というのでしょうか。
意図と異なっていたらすいません。
挙げて頂いた書籍は、どちらも読んだことがないので、是非読んでみます。
「将来の目的を達成するために必要な事を把握した上で、着実な努力を行なっているレベルを自己管理ができているとする」を拝見しました。日常生活に支障がないから、これ以上の自己管理は不要、という意味で不要を選ばれた方、多い気がします。
さて、自己管理が不要な理由、もしくは場合になってしまうかもしれませんが、重い病気を抱えたり、何らかの理由で自由を奪われるなどして、目標を立てることが困難な場合が予想されると思います。まず生きることに集中せざるを得ない状況ですね。
また、将来に向けての目標達成に関しても、好きなことに熱中している間に実現させてしまう人もいるので、夢中になって努力するタイプの方は、自己管理は足かせになってしまうかもしれません。
ご回答ありがとうございます。
質問の仕方について、ご指摘ありがとうございます。
誤解を招く表現だったと思っております。
「目標を立てることが困難な場合」についてですが、まったくの盲点でした。
幸いなことに自分がそのような状態にないので、身勝手に「その中での目標を見つければいいじゃないか」と一瞬思ってしまったのですが、本当にそのような状態になった場合は、推し量ることができない感情の状態な気がしました。
「好きなことに熱中している間に実現させてしまう」ごくまれに、こういう人というのはいるのかもしれませんね。万人に対して適応できる訳ではないですが、この人にとっては、自分の思うようにやるということが、自己管理の方法となってしまうのでしょうね。少なくとも、それによって目標を達成できるのですから。
このような人たちがなぜ、「好きなことに熱中している」ことを続けることができるかがポイントかもしれませんね。
もし、ご意見をお持ちでしたら、お聞かせ願えますか?
t_shionoさん、こんにちはっ! 長文のお返事ありがとうございます。
>ただ、それに続く部分を読むと、
>「目標を持つなら、イメージできる目標をもて!」
>という風に解釈させて頂きましたが、いかがでしょう?
もちろん、ありです! イメージ法は非常に効果的です。ただ、私は今はなるべく使わないようにしています。なぜかというと、目標が安易な欲求になりがちで、これだ!という目標設定が、今のところできていないからです。
なるべく使わなくなった、きっかけは
「表の体育 裏の体育」という本の中で、あるコンサルタントの方が「私は、仕事で成功し、いい車に乗り、休暇はリゾート地で過ごし・・・という夢を実現してきた。しかし今、胸の痛い思いをしている。私はコンサルタントを通じ、誰でも彼でも成功に導いてきた。しかし、その中には、社会にとって環境にとって必ずしも良いとは思えないような依頼者も含まれていた。私のやっててきた仕事はよくなかったのではないか? また、子どもは、TVゲームにしか喜びを見出せず、ちょっとしたことで虫歯になる身体になってしまっている。・・・」といった、はなしもあります。(はっきりとは覚えていないので、少し違ったかもしれません)
という実話です。これを読んで、描く目標には細心の注意が必要だなあ、と思うようになったのです。
ちなみに、私がやっている自己管理は、環境を工夫することです。「英語を習得したいなら、いつも、バックの中に教科書を入れておく」「気分良く過ごしたいなら、部屋の換気や掃除をしてみる」など。怠慢にしていても、自然とそうなるような、環境的・空間的な工夫です。主に物を動かしてます。
piko-pikoさん
さらなるご回答ありがとうございます。
深いですね。
「今の自己目標を達成した際に、将来の自分が満足するか?」難問ですね。
コンサルタントの方の話は、興味深かったです。
ここで言っている目標達成には、ある程度の自己変革のようなものがついてきますので、それによって意識が変わってしまうということですよね。
「環境を工夫する」はいいですよね。
ちょっとした気づかいだけで、大きな効果が生み出せる気がします。
こういった小さな努力が、本当に自己管理できるかを左右しますよね。
ご回答ありがとうございます。
確かに「自己管理」という言葉のイメージは定義があいまいだったかもしれません。
質問の仕方のミスですね。ご指摘ありがとうございます。
自分の中では、まさに
「将来の目的を達成するために必要な事を把握した上で、着実な努力を行なっているレベルを自己管理ができているとする」
というイメージで使っていたのですが、分かりにくかったですね。
普通の人が普通に日々を過ごすことであっても、時間通りに行動を要求される場合は多いですよね。
自分のなかでは、「将来の目的」がもてないでいるのかという解釈をしておりました。
貴重なご指摘ありがとうございました。