Wikipediaによると、

沢田研二のアルバム「TOKIO」の発売日は1979年11月25日ですが、
シングル「TOKIO」の発売日は1980年1月1日です。
さて、ここからが質問ですが
アルバム「TOKIO」の中に、シングル曲「TOKIO」が収録されているのですが、シングル曲「TOKIO」の、放送での初露出は、1980年1月1日だったと記憶しています。
1980年1月1日、年越し番組(行く年来る年?)の中で、ニューイヤーの時報とともに、テレビに初めて、沢田研二が電飾ピカピカの衣装で登場して、「TOKIO」の初放映になった。
…と、記憶していますが、
それは正しいでしょうか?

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  • 終了:2007/12/21 09:41:25
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回答2件)

id:fightthepower No.1

回答回数74ベストアンサー獲得回数2

ポイント35pt

ちょっと記憶にないのですが…そうだったとしたら凄い演出ですね。

ウェブではこの人の個人的レビューしか記事が見つかりませんでした。

http://www.amazon.co.jp/TOKIO-%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%...

(上から2番目のカスタマーレビュー)

id:Stirn

どうもありがとうございました!

2007/12/15 00:16:55
id:MEI-ZA-YU No.2

回答回数4756ベストアンサー獲得回数767

ポイント35pt

★『ほぼ日刊イトイ新聞』より

http://www.1101.com/cm_ongaku/2007-09-05.html

>1979年11月、沢田研二のアルバム

「TOKIO」が発売された。

その一曲目が「TOKIO」である。

作詞・糸井重里、作曲・加瀬邦彦。

アルバムのトータルなテーマも糸井重里の手によっていた。

シングルで発売されるのは1980年1月1日だ。

シングルよりアルバムが

先に発売されること自体異例だった。

80年代の幕開けを飾る曲として送り出された。

糸井重里はこう述懐する。

「いまでも覚えてますけど、

 さあ正月が始まるという暮れに、

 ジュリーがパラシュートをつけて歌ったんですよ。

 それをテレビで見て本当にショックだったんです。

 つまり、自分でやった仕事なのに、

 『あ、俺はなんか違うところに行っちゃったな』

 と思ったの。行っちゃったという根拠は

 何にもないんだけど、80年代が始まる、

 00と数字が並ぶ年が変わるその瞬間に

 テレビで歌うジュリーを見て

 『俺、運命は変わるかもしれない』

 なんてドラマティックなことを思った。

 同時にその反面、どうかなという

 懐疑的なものもあったりもしましたけど」



★別のブログより ↓

http://blog.so-net.ne.jp/chibadult/2006-11-07


★ここの一番下にも  ↓

http://park15.wakwak.com/~chiaki_naomi/chiaki_bbs0612.html

>80年代の最初は、紅白終わって沢田研二が「TOKIO」のパフォーマンスを

これも元旦の1時過ぎくらいでしたかやっていたのを見ました。

id:Stirn

どうもありがとうございました!

大変参考になりました。

2007/12/19 22:51:08

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