沢田研二のアルバム「TOKIO」の発売日は1979年11月25日ですが、
シングル「TOKIO」の発売日は1980年1月1日です。
さて、ここからが質問ですが
アルバム「TOKIO」の中に、シングル曲「TOKIO」が収録されているのですが、シングル曲「TOKIO」の、放送での初露出は、1980年1月1日だったと記憶しています。
1980年1月1日、年越し番組(行く年来る年?)の中で、ニューイヤーの時報とともに、テレビに初めて、沢田研二が電飾ピカピカの衣装で登場して、「TOKIO」の初放映になった。
…と、記憶していますが、
それは正しいでしょうか?
ちょっと記憶にないのですが…そうだったとしたら凄い演出ですね。
ウェブではこの人の個人的レビューしか記事が見つかりませんでした。
http://www.amazon.co.jp/TOKIO-%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%...
(上から2番目のカスタマーレビュー)
★『ほぼ日刊イトイ新聞』より
http://www.1101.com/cm_ongaku/2007-09-05.html
>1979年11月、沢田研二のアルバム
「TOKIO」が発売された。
その一曲目が「TOKIO」である。
作詞・糸井重里、作曲・加瀬邦彦。
アルバムのトータルなテーマも糸井重里の手によっていた。
シングルで発売されるのは1980年1月1日だ。
シングルよりアルバムが
先に発売されること自体異例だった。
80年代の幕開けを飾る曲として送り出された。
糸井重里はこう述懐する。
「いまでも覚えてますけど、
さあ正月が始まるという暮れに、
ジュリーがパラシュートをつけて歌ったんですよ。
それをテレビで見て本当にショックだったんです。
つまり、自分でやった仕事なのに、
『あ、俺はなんか違うところに行っちゃったな』
と思ったの。行っちゃったという根拠は
何にもないんだけど、80年代が始まる、
00と数字が並ぶ年が変わるその瞬間に
テレビで歌うジュリーを見て
『俺、運命は変わるかもしれない』
なんてドラマティックなことを思った。
同時にその反面、どうかなという
懐疑的なものもあったりもしましたけど」
★別のブログより ↓
http://blog.so-net.ne.jp/chibadult/2006-11-07
★ここの一番下にも ↓
http://park15.wakwak.com/~chiaki_naomi/chiaki_bbs0612.html
>80年代の最初は、紅白終わって沢田研二が「TOKIO」のパフォーマンスを
これも元旦の1時過ぎくらいでしたかやっていたのを見ました。
どうもありがとうございました!
大変参考になりました。
どうもありがとうございました!