【クラシック音楽とキリスト教にお詳しい方、お願いします】

ベートーヴェンのピアノソナタ「熱情 (Appassionata)」の第二楽章 (Andante) は、実際に宗教的な場で使われるのでしょうか。あるいは宗教的な背景があるとか? (確かに宗教曲のような響きはありますが。)

バレンボイムがパレスチナの名誉市民権を得てラマラでピアノ・リサイタルを行なった (演目はベートーヴェンのソナタ3曲とショパンのノクターン) ということを報じるBBCの特派員日記の最後の一文に、バレンボイムが聴衆に向かって「音楽家は直接和平をもたらすことはできないが、音楽は人の心をオープンにさせる力」というようなことを語った、という記述のあとに:
Anyone listening to him play the Andante of the Appassionata would say amen to that.
(彼が「熱情」第二楽章を弾くのを聞けば誰もがアーメンと言うだろう)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7186757.stm
とあるのですが、なぜほかの曲ではなく、「熱情」第二楽章なのかがピンと来ません。

※ウィキペディア(日、英)は参照済み、ウェブ検索もしてみましたが手がかりが見つけられません。

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id:shimarakkyo No.2

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コメントをまんまコピペするのも気が引けたし、気になったのでもうちょっと調べてみました。


まず「英」語のメディアに限定して検索(例:http://www.google.com/search?q=beethoven+piano+sonata+appassiona...)しましたが、ベートーヴェンの「熱情」第二楽章に限定された逸話(Coronation streetのアノ有名なシーンで使われた!とか)は見つける事が出来ませんでした。


jyoushikitaroさんがおっしゃっている様な事はBBCのRadio3が放送していたBeethoven Experienceという番組の解説の中にもありました。

The Andante is like the calm between two storms and is a set of variations on a theme that is more harmony than melody.

(Beethoven Experience http://www.bbc.co.uk/radio3/classical/pizarro/sonata23.shtml


「アーメン」と言いたくなる気持ちを引き起こすような宗教的な背景、というのとは少しずれるかもしれませんが、Andras Schiffが2006年にウィングモアホールで行ったベートーベンの作品に関する講義の音源がガーディアンのサイトに掲載されていて、ピアノソナタ23番も当然ありました。


メインページ:http://music.guardian.co.uk/classical/page/0,,1943867,00.html

23番:   http://download.guardian.co.uk/sys-audio/Arts/Culture/2006/12/05...(音が出ます)


シフがピアノを弾きながら作品に付いて語る、という趣旨のもので単純に聞いていて面白かったのですが、第二楽章を解説する際の彼の言葉のチョイスがちょっと興味深いです:

after the storm we must have tranquility, serenity in the solemn theme;

this simple theme with solemn procession;

it is festive and solemn;

tendency of going from the darkness into light, seems like the sun coming out;

tendency of going from larger to smaller note values in each variations;

we are still in the dark at the first variation and come out in the light at the final variation;

after the apotheosis comes the epilogue

...


ざぁっと聞き取ったので不正確ですが、solemn, apotheosisといった単語が頻繁に使われているのを聞いて、第二楽章が宗教的な荘厳、それもキリスト教に限定されない「宗教というものに本来備わっている(inherentな)荘厳」な感じを表しているというのは暗黙の了解なのかしら、と思いました。で、これ以上は専門知識はおろかターミノロジー(ムーブメントと楽章の違いすら分かってないし orz)も無い私には調べられませんでした。


何でみんながこれを聞いてぱぱぱっと「宗教」「厳か」「神聖」といった単語を連想出来るのか、私も知りたいです。

id:nofrills

shimarakkyoさん、丁寧に調べてくださって、ありがとうございます。

まず、コメント欄でのドイツ語版ウィキペディアのご紹介、たいへんありがたかったです。(単純な文章量だけでも英語版やフランス語版と比較にならないほど!)


そうか、コラールか、ということでベートーベン合唱幻想曲("Choral Fantasy")の連想かもしれないなあとちょっと思いましたが、「思った」だけで根拠はありません。


検索をしてみたら、ちょうどダニエル・バレンボイムとベルリン・フィルのがありましたので、URLをはっておきます。

http://www.youtube.com/watch?v=H6ryZAqqedw


> Coronation streetのアノ有名なシーンで使われた!とか

実は私も、ああいう「連続ドラマ」の名シーンなのではなかろうかと思っていたのですが、やっぱり見つからないんですよね。そういう使われ方はされていないのか、あまりに当たり前すぎて誰も書こうとしないのか、そのへんはわかりませんが。


ただ、「ベートーベンのソナタ」が英国の大衆文化でパロディの対象になっていたということは、下記などでも明らかです。下記はダドリー・ムーアによるパロディ演奏。

http://www.youtube.com/watch?v=GazlqD4mLvw


アンドレアス・シフの解説、おもしろいです。今聞いています。回答で抜粋してくださった箇所と同じような解釈というか印象というか、それはかなりの範囲で共有されているようですね。ご紹介いただいているBBC Radio 3のページに、「熱情」全体についてのものだと思いますが、Hubert Parryの "Here the human soul asked mighty questions of its God and had its reply." ということばや、レーニンの "It is marvellous superhuman music." ということばが引かれています(レーニンの "superhuman" などはそれ自体が読解を要することばですが)。実はこれを読んで、ますます気になってきたことで質問を立てたのですが(なぜthe Appassionataではなく、the Andante of the Appassionata で特定されているんだろう、と)、よくよく考えてみれば、激しいところではなく、とりわけ荘厳な響きのあるところ、ということかもしれないですし。


(以上、2008-01-18 20時32分)

  • - - - - -

以下、IDコール用の追記@23日朝:

この質問は、今日のお昼ごろ(12時から13時の間)に閉じたいと思います。

(以下、用が済んだので消しました。)

2008/01/23 13:02:12

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id:adlib No.1

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 具象と抽象の混在 ~ 政治・宗教・芸術のシェアリング ~

 

 プロテスタント教会(正統ルター派)オルガン奏者バッハの《平均律》

が《旧約聖書》で、カトリック(ギリシャ正教)信者ベートーヴェンの

《ピアノ奏鳴曲》を《新約聖書》と対比されることがあります。

 

 プロテスタントでは儀典的な《ミサ》に批判的なはずですが、バッハ

は《ミサ曲ロ短調》などの大作5曲を遺しています。ベートーヴェンは

《荘厳ミサ》の他、下記のように宗教的な緩徐楽章を書いています。

 

 たとえば、彼自身の葬列(18270329)で吹奏楽隊によって演奏された

《ピアノ・ソナタ第12番Ⅲ“ある英雄の死を悼む葬送行進曲”変イ長調》。

《ピアノ・ソナタ第23番“熱情”Ⅱ》は、もっとも瞑想的な最後の作品

《弦楽四重奏曲第16番Ⅲ》と同じく変ニ長調で書かれています。

 

「ある偉大なる人の思い出に捧ぐ」と添書された“英雄の葬送行進曲”

《交響曲第3番Ⅱ》ハ短調に対して、天上のラッパが響きわたるような

《交響曲第9番Ⅲ》変ロ長調は、まさに死後の世界を暗示しています。

 

 つぎのように、恣意的なイメージを述べた例もあります。

── 変ロ長調は宗教的といってしまってはいささか言いすぎである。

事物の世号との結びつきを感じさせる優しい感情を伴っていて、変ロ長

調はむしろ宇宙的な調である。

── アラン/宗 左近・訳《音楽家訪問 1927-1965 白水社》

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1657834.html

 

 ◇

 

 バレンボイムの「和平をもたらすことはできないが、人の心を云々」

という発言は、芸術家が政治に言及するときの常套句で、政治家が芸術

を論じたり、科学者が宗教を語るような矛盾に満ちています。

 

 このような立場を認めると、音楽芸術の通俗性や退廃から目をそらし、

ヒトラーがワグナーを、黒澤明がベートーヴェンを愛したような目的外

利用を咎めることができなくなるでしょう。

 

 近代の市民社会においては、誰もが一票の有権者にすぎないのです。

 たとえば、孤高の写真家ブレッソンは、晩年にこう述べています。

「わたしはアナーキストだ。そして無神論者だ、とくにカトリックのね」

 

 ごく最近(20071221)ブレア前首相は、プロテスタント(英国国教会)

からカトリックに改宗しています。在任中は国王の名代として大主教を

任命する立場にあったので、退任後に決断したようです。

 

 すこし前(20060317)サッカー監督トルシェも、外国人の養子を迎え

たのを機会に、カトリックからイスラム教に宗旨がえしています。

 いずれも表向きは、家族がひとつの宗教にまとまるためだそうです。

 

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060322

 ↑改宗の季節 ↓夏至の訪問者

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070622

 

id:nofrills

「宗教曲のような響きがある」ことは感じているのですが、「熱情」第二楽章は変ニ長調で、それがそのような印象を与えているのだ、という恣意的解釈もできる、ということでしょうか。


ご回答をうまく読み取れていなかったらすみませんが、質問の意図は、そのような「印象」の論ではなく、BBCの記者が、多くの人に読ませるためのBBCの記事で、この日、ベートーベンのソナタを3曲演奏したバレンボイムが「熱情」第二楽章を演奏するのを聴けば、誰でも「アーメン」と言いたくなっただろう(<超訳)と書いていることの根拠、つまり、曲そのものが宗教的背景を有するのか、宗教的背景のあるコンテクストで用いられているのか(あとから思いついたのですが、例えば英国のテレビシリーズなどで「祈り」のシーンで使われていた曲だった、などといったことも考えられます。コメント欄参照)、などといったことが知りたいのです。


なお、バレンボイムの発言が「芸術家の常套句」であると言い切れるものであるかどうかは、私は判断を留保しています。彼(とエドワード・サイード)の活動について、それほど知らないし、一般論をいきなり当てはめて考えることもちょっとなぁと思うので。ものすごく深く、また広く、さまざまなことを考えた挙句、「常套句」とされてしまう心境にたどり着くことは稀ではありませんし。また、ブレアやトルシエの改宗についてはもちろん知っていますが、それとここでの話との関連性は私には見えないのですが。


あと、本題とは大きくずれますが、

> 近代の市民社会においては、誰もが一票の有権者にすぎないのです。

ラマラおよびヨルダン川西岸地区に、あるいはガザに、そう言える状況があるのでしょうか。

2008/01/17 00:30:41
id:shimarakkyo No.2

回答回数387ベストアンサー獲得回数24ここでベストアンサー

ポイント80pt

コメントをまんまコピペするのも気が引けたし、気になったのでもうちょっと調べてみました。


まず「英」語のメディアに限定して検索(例:http://www.google.com/search?q=beethoven+piano+sonata+appassiona...)しましたが、ベートーヴェンの「熱情」第二楽章に限定された逸話(Coronation streetのアノ有名なシーンで使われた!とか)は見つける事が出来ませんでした。


jyoushikitaroさんがおっしゃっている様な事はBBCのRadio3が放送していたBeethoven Experienceという番組の解説の中にもありました。

The Andante is like the calm between two storms and is a set of variations on a theme that is more harmony than melody.

(Beethoven Experience http://www.bbc.co.uk/radio3/classical/pizarro/sonata23.shtml


「アーメン」と言いたくなる気持ちを引き起こすような宗教的な背景、というのとは少しずれるかもしれませんが、Andras Schiffが2006年にウィングモアホールで行ったベートーベンの作品に関する講義の音源がガーディアンのサイトに掲載されていて、ピアノソナタ23番も当然ありました。


メインページ:http://music.guardian.co.uk/classical/page/0,,1943867,00.html

23番:   http://download.guardian.co.uk/sys-audio/Arts/Culture/2006/12/05...(音が出ます)


シフがピアノを弾きながら作品に付いて語る、という趣旨のもので単純に聞いていて面白かったのですが、第二楽章を解説する際の彼の言葉のチョイスがちょっと興味深いです:

after the storm we must have tranquility, serenity in the solemn theme;

this simple theme with solemn procession;

it is festive and solemn;

tendency of going from the darkness into light, seems like the sun coming out;

tendency of going from larger to smaller note values in each variations;

we are still in the dark at the first variation and come out in the light at the final variation;

after the apotheosis comes the epilogue

...


ざぁっと聞き取ったので不正確ですが、solemn, apotheosisといった単語が頻繁に使われているのを聞いて、第二楽章が宗教的な荘厳、それもキリスト教に限定されない「宗教というものに本来備わっている(inherentな)荘厳」な感じを表しているというのは暗黙の了解なのかしら、と思いました。で、これ以上は専門知識はおろかターミノロジー(ムーブメントと楽章の違いすら分かってないし orz)も無い私には調べられませんでした。


何でみんながこれを聞いてぱぱぱっと「宗教」「厳か」「神聖」といった単語を連想出来るのか、私も知りたいです。

id:nofrills

shimarakkyoさん、丁寧に調べてくださって、ありがとうございます。

まず、コメント欄でのドイツ語版ウィキペディアのご紹介、たいへんありがたかったです。(単純な文章量だけでも英語版やフランス語版と比較にならないほど!)


そうか、コラールか、ということでベートーベン合唱幻想曲("Choral Fantasy")の連想かもしれないなあとちょっと思いましたが、「思った」だけで根拠はありません。


検索をしてみたら、ちょうどダニエル・バレンボイムとベルリン・フィルのがありましたので、URLをはっておきます。

http://www.youtube.com/watch?v=H6ryZAqqedw


> Coronation streetのアノ有名なシーンで使われた!とか

実は私も、ああいう「連続ドラマ」の名シーンなのではなかろうかと思っていたのですが、やっぱり見つからないんですよね。そういう使われ方はされていないのか、あまりに当たり前すぎて誰も書こうとしないのか、そのへんはわかりませんが。


ただ、「ベートーベンのソナタ」が英国の大衆文化でパロディの対象になっていたということは、下記などでも明らかです。下記はダドリー・ムーアによるパロディ演奏。

http://www.youtube.com/watch?v=GazlqD4mLvw


アンドレアス・シフの解説、おもしろいです。今聞いています。回答で抜粋してくださった箇所と同じような解釈というか印象というか、それはかなりの範囲で共有されているようですね。ご紹介いただいているBBC Radio 3のページに、「熱情」全体についてのものだと思いますが、Hubert Parryの "Here the human soul asked mighty questions of its God and had its reply." ということばや、レーニンの "It is marvellous superhuman music." ということばが引かれています(レーニンの "superhuman" などはそれ自体が読解を要することばですが)。実はこれを読んで、ますます気になってきたことで質問を立てたのですが(なぜthe Appassionataではなく、the Andante of the Appassionata で特定されているんだろう、と)、よくよく考えてみれば、激しいところではなく、とりわけ荘厳な響きのあるところ、ということかもしれないですし。


(以上、2008-01-18 20時32分)

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以下、IDコール用の追記@23日朝:

この質問は、今日のお昼ごろ(12時から13時の間)に閉じたいと思います。

(以下、用が済んだので消しました。)

2008/01/23 13:02:12
  • id:chinjuh
    素朴な疑問なんだけど、パレスチナってキリスト教圏ではないですよね。ベートーベンはキリスト教の宗教曲もいくつか書いてますが、ユダヤ教(あるいはイスラム教)の国でキリスト教の宗教曲を宗教的な意味で演奏することなんかありうるんでしょうか(単純に名曲としてならアリでしょうけど)。
  • id:nofrills
    あの一帯は非常に複雑で、ユダヤ教(は今はイスラエルですが)、キリスト教、イスラム教がパッチワークなのですが、オスロ合意で「パレスチナ自治区」となった地域にキリスト教の教会などはいくつもあります。ベツレヘム(聖誕教会)もパレスチナ自治区@ヨルダン川西岸地区です。あえていえば、パレスチナのキリスト教は、別の宗教とではなく、キリスト教同士で激しい抗争があるみたいです。ローマ・カトリックとギリシア正教とアルメニア正教と、などなどで。聖誕教会も中は仕切りがあって、宗派ごとに住み分けているそうです。

    ラマラの教会についての旅行記:
    http://hemlen.gooside.com/photo_gallery_133/panel-0.html

    エルサレム聖公会:
    http://www.nskk.org/province/jimusho-dayori/2002/03/03.htm

    そういえば2007年のクリスマスにベツレヘムの聖誕教会で大掃除中に、ギリシャ正教とアルメニア正教で掃除道具を振り回しての乱闘になったという報道がありました。パレスチナ警察が割って入ってノーマンズランドを作って、何とかしたそうです。
    http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7161557.stm

    あと、バレンボイムの演奏で「聞いている人はアーメンと言いたくなるだろう」と書いているのはBBCの記者(英国人)、読者として想定されているのも英国人ですから、記者が読者に向けていわば勝手に書いているだけで、彼が宗教的な意図で演奏したわけではないと思います。バレンボイムはイスラエル人ですし。

    ……考えてみれば、英国のテレビ番組などで、「熱情」第二楽章が宗教的なシーンで使われているのが英国で広く知られている(日本でバッハの「トッカータとフーガ」が「はなからぎゅうにゅう」になっているように←いくら何でもこの例は、ですが)、という可能性もありますね。。。
  • id:chinjuh
    あー、エルサレム! なるほどキリスト教徒もいるのですね。

    でも、「音楽家は直接和平をもたらすことはできないが、音楽は人の心をオープンにさせる」なんてことをいいながら、そのような複雑な土地でなんらかの宗教的な意味のある曲をあえて選ぶんでしょうか。主義主張のあわない人たちが、かえって心を閉ざしてしまいそうな気がしません?
  • id:kanan5100
    「熱情」の第2楽章には別に宗教的な意味はなくて、単に美しくて神聖な響きがある音楽だから記者はそう書いたんじゃないでしょうか。
    「アーメン」という単語は、キリスト教でもユダヤ教でもイスラム教でも同じような意味で使われる言葉のようなので
    http://en.wikipedia.org/wiki/Amen
    「どの宗教に属するひとでもその神聖さに打たれて「アーメン」と口走るだろう」みたいな意味なのでは。

    あと、「熱情」第2楽章冒頭には「アーメン終止」という教会音楽によく使われる進行が使われているようですが、これは関係なさそう。
    http://blog.livedoor.jp/m-04_95862/archives/50135032.html
  • id:jyoushikitaro
    実際に宗教的な場で使われることはないでしょう。

    この曲は、ベートーヴェンのソナタの中でも最も激しい曲で、
    教会などの宗教的な場では演奏されることはまれだと思います。

    穏やかで美しい第2楽章のみ演奏するような野暮なこともしないと思います。

    なぜなら、劇的な緊張感に包まれる第1楽章と和音の連打で嵐のような勢いでかけめぐる第3楽章に挟まれているからこそ、この楽章の穏やかで美しい旋律が引き立つためです。

    それ故この第2楽章は、前後の激しい楽章の間で、あたかも祈りを捧げているような気分を醸し出すと評されます。

    パレスチナは、まさに「劇的な緊張感に包まれ、嵐のような勢いでかけめぐる」状況のなかで、この第2楽的状況が切望されているのではないでしょうか。

    この作品の解釈と文脈は見事に一致していると考えます。

    ※オックスフォードで礼拝やキャンドルライトコンサートへはよく行きましたが、この曲の演奏は想像できません。キャンドルライトコンサート+演目で検索しましたが、ありませんでした。

  • id:shimarakkyo
    nofrillsさん、こんにちは。
    その節はidコールを頂きありがとうございました。

    しかし本当に、overwhelmingな読「文」量ですね。。。

    さて、ベートーベンピアノソナタ23番、ドイツ語のウィキペを見てみました(さすがにベトベンだとドイツ語ウィキペの方が充実してます、http://de.wikipedia.org/wiki/Klaviersonate_Nr._23_%28Beethoven%29)。

    第2楽章の説明に「variations with a chorale (hymn) theme, and is also known as Beethoven's popular choir work, "Hymn to the night(Hymne an die Nacht)"」とあります。それ以外には「解釈に関して意見が別れている云々」等、曲の解析しか記載されていません。もし宗教的に重要な意味を持つのであれば、さーすがにドイツ語のウィキペには書かれているだろう、と思いますので恐らくは第2楽章がコラール主題である事から、Tim Franksの「誰でもアーメンと言うだろう」というコメントが出てきたんじゃないかと思います。

    ちなみに、コラールのウィキペディアに
    「コラールは、ドイツバロック音楽を中心にさまざまな音楽の形式にて用いられた」
    ともありました。

    あと「Hymne an die Nacht」ですが、ノバリスの作詞した「Hymns to the Night(邦題:夜の讃歌)」の事じゃないかなー、と思います。http://en.wikipedia.org/wiki/Novalis
    生きた時代( May 2, 1772 - March 25, 1801)もベートーベン(1770ー1827)とかぶってますし。

    以上、クラシックにも宗教にも詳しい訳ではないし、確証がないのでこっちに書きますー。


    追記:Barenboim、面白い経歴の人ですねぇ。ここで目にしなければ多分知る事は無かったんじゃなかろーかと思います。ホント、お陰様です。調べてみたら2008年のヨーロッパ公演が結構スケジュールされていたので、どれかに行ってみようと思います。
  • id:shimarakkyo
    すいません言い忘れてました。上のコメントの英文は私が勝手にドイツウィキペから訳したものです(独→英の方が楽だったもんで)。でもドイツ語超不得意なので訳し間違いや見落としがある可能性大です。ご容赦を。
  • id:adlib
     
    (追記)
     
     わたしの回答だけで、すべての疑問が氷解するとは思えません。
     概略のヒントになれば、と書いたつもりです。
     ここでは「政治・宗教・音楽」について、以下三冊に準拠しました。
     
    >宗教曲のような響き<
     西欧で「宗教曲」といえば、厳格な様式にもとづく「ミサ/受難曲」
    を指します。もちろん「世俗曲」で厳粛な気分になることもあります。
     
     シューベルトの《アヴェ・マリア》は、ドイツ語の通俗曲でしたが、
    のちに祈祷曲に認められたのだそうです。ひところ、ニッサン自動車の
    CMとして流れていましたが、広告代理店の珍解釈だったのでしょう。
     
     これをエンディングに用いた《未完成交響楽 193503‥-1959 Deutsch》、
    《ファンタジア 195509‥ America》、《生きてこそ 199305‥ Uruguay》
    などの映画も(なにしろお経なので)異教徒には異和感があります。
     
    >誰でも「アーメン」と言いたくなっただろう<
     パレスチナの聴衆が、ベートーヴェンを聴いて「アーメン」と唱える
    のは、BBC特派員の“アメリカン・ジョーク”ではないでしょうか。
     
     キリスト教の《賛美歌》は、たとえ原曲が民謡であっても、かならず
    「アーメン」を付けて終ります。国民歌《ファインランディア》とか、
    旧賛美歌集に掲載されていた日本の謡曲《高砂》も例外ではありません。
     
     イスラム教徒の、一日5回の祈りは、自分との対話(瞑想)であり、
    集団礼拝では導師との間で「アーメン」を一度、「アッラーは大なり」
    を数回にわたって交誦されるそうです。
     
    ── 大川 周明/村松 剛・解説《回教概論 19920110 中公文庫》
     
     音楽が「なんら決定的な感情を描写できない」とする反ロマン主義の
    歴史的論稿に、サルトルもプルーストも傾倒・追従しています。
     
    ── まずいろいろと序言めいたことをのべつつ、できれば無数の例を
    示しながら、「獣でさえもが」音楽の力の前に屈服するといい始める。
    ── ハンスリック/渡辺 護・訳《音楽美論 1854-19790720 岩波文庫》P60
     
    >ラマラおよびヨルダン川西岸地区に、あるいはガザに<
     パレスチナは、最後の英雄を失い、アラブ周辺のイスラム同胞からの
    支援も途切れて孤立しています。選挙制度の成熟こそが頼りなのです。
     
     ユダヤ教徒に殺されたキリスト教徒の数は、キリスト教徒に殺された
    ユダヤ教徒に及ばないことに言及、イスラム教徒との三つ巴の戦争史論。
    ── ギボン/村山 勇三・訳《ローマ帝国衰亡史(十)1951-1959 岩波文庫》
     
    >バレンボイムの発言が「芸術家の常套句」である<
     「芸術家が政治に言及するときの常套句」です。ブレアやトルシエの
    改宗は、私見の背景となるもので、議論するつもりはありません。
     
  • id:nofrills
    みなさま、どうもありがとうございます。

    取り急ぎ、kanan5100さん、jyoushikitaroさん、shimarakkyoさん、
    コメント欄にお書きの内容そのままで「回答」としてご投稿いただけませんでしょうか。
    よろしくお願いします。

    それから、この質問の意図は、何度も書きますが、
    ベートーヴェンの「熱情」第二楽章に、「アーメン」と言いたくなる気持ちを引き起こすような
    宗教的な背景(作曲者の意図であれ、大衆文化として根付いている何かであれ)があるのかどうか、
    ということです。
    その曲がどこで演奏されようと、本質的には関係ありません。
    私が見た文が、たまたま、バレンボイムがラマラで行なった演奏会についてのものだった、というだけです。
    それが、例えばロンドンで別の演奏家が行なった演奏会についてのものであっても、
    私の抱く疑問は同じです。
  • id:nofrills
    ↑のコメント@17日の20:41では取り急ぎで失礼しました。
    コメントとしていただいたことに対するお返事は、ご回答いただいたあとにしたいと思います。
    あ、あと参照先のURLが特になければ、Google検索のURLなど、何か適当なものを入れてください。

    しつこく繰り返しになりますが、
    私が読んだ文章は、BBCのエルサレム支局特派員が、
    BBCのサイトを読んでいる人(前提として「英国人」)向けに書いた「特派員の日記」です。

    つまり、
    「聞いている人はアーメンと言いたくなるだろう」と書いているのはBBCの記者(英国人)、
    読者として想定されているのも英国人です。

    演奏者自身(ダニエル・バレンボム)がそう言っているわけではありません。

    こういったコンテクストの明示を怠ったのは私の不手際だったかもしれません。
    その点についてはお詫びを申し上げます。

    それと、
    > パレスチナの聴衆が、ベートーヴェンを聴いて「アーメン」と唱えるのは、BBC特派員の“アメリカン・ジョーク”ではないでしょうか。(adlibさん)

    BBCは「英国」の報道機関ですから、そこで「アメリカン・ジョーク」が出てくるということはありません。(^^;
    (「揚げ足取り」のように読めたらごめんなさい、そのつもりではありません。)
    それと、BBCの記事をお読みいただければわかるかと思いますが、
    どこにも「ジョーク」を思わせる要素はありません。

    バレンボイムの活動については、サイードとの対談集を日本語に翻訳された方のサイトなどをご参照ください。
    http://www.k2.dion.ne.jp/~rur55/J/P&P/Parallels&Paradoxes.htm
    (サイードの名前を出すとまた複雑な話になるかもしれませんが、この質問では「サイード」は度外視していただければ
    と思います。完全に、手に余りますので。)
  • id:shimarakkyo
    >どこにも「ジョーク」を思わせる要素はありません。
    カントリーしか聞かなそうなブッシュJrの楽天的なコメントと、この紛争のただ中を生きてきた音楽家の地に足がついたコメントを対比させる文章の書き方は「らしい」皮肉だなぁ、とは思いましたけどね。(^^
  • id:jyoushikitaro
    evidenceがないので回答は遠慮しておきますね。

    ご質問者の意図はよ~くわかっています。
    どこで演奏されようと、本質的には関係ありませんよね。

    ただ、情報が少ないなかで、その曲に宗教的な背景があれば、宗教的な場(教会とか)で演奏されないはすはないと考えるのは無駄なアプローチではないと思いまして・・・

    結果は、書いたとおりです。曲の解釈に由来した記述というのが意見です。

    あと、この辺の分野に詳しい隣の席に座っている同僚のライターに聞いてみました。
    彼女こう言っています。

    It's just the journalist's copywriting. In this case, "say amen" means "agree." So listening to the beautiful Andante section of the App. would make the listener agree with what Barenboim said.

    たしかに "agree" だと違和感もないのかも・・・
  • id:shimarakkyo
    > "say amen" means "agree."
    って、面白いですねぇ。思いつかなかったです。


    "say amen"で探したら面白い記述に行き当たりましたよ。
    http://epreacher.org/sermons/01-18-04am.html

    以下引用:
    ======
    I. The Meaning of Amen
    A. Definition - Originally a Hebrew word
    1. In Hebrew it is: Amen (untranslated), same thing in Greek
    2. In Hebrew, translated as
    a. Verb: Believe, trust, confirm, support, make firm,
    d. Adj: Trustworthy, faithful, firm
    c. Adv: Truly, faithfully
    d. Noun: Faith, trust, firmness
    3. In Greek, it is simply “Amen” or “truly, verily”
    4. So, Idea behind Amen is trust, trustworthiness
    ======

    これをもとに解釈すると「彼のピアノを聞いたものは誰もが彼の言う事を信じるに足るものだと思う事だろう」ですね。
    それにchorale (hymn)主題である事をかけて「アーメン」でしょうか?
  • id:jyoushikitaro
    Bravo!!
  • id:nofrills
    この質問、立ててよかった。(^^) 次から次へとすごい調べものの成果が!

    jyoushikitaroさん、無理強いはしませんが、ぜひぜひご回答のほうに。。。礼拝やキャンドルライトコンサートでの実体験にevidenceを示せというのも無理な話ですので、そこはもう適当に。(^^) 特に、隣の席の方に聞いてくださったことは、多くの人に読んでもらいたいと思いますので、回答欄にお願いします。(何か知りたいと思って検索してこのページを見ても、コメントまでは見ないケースは少なくないと思いますので。)

    shimarakkyoさん、記事は「皮肉」には満ちていますよね。ただ、パレスチナの状況全体がそうなので(「民主的選挙」をしたらハマスが第一党になってしまい、ガザ地区ではパレスチナ人同士の抗争が激化、イスラエルはガザを封鎖、など)、どこからどこまでが「筆者が狙った皮肉」で、どこからどこまでが「読者が勝手に読み取っている皮肉」なのか、境界線が不明です。「隔離壁/セキュリティフェンス」での非難をしようとしなかった米国が、いまさら、「第三次中東戦争でイスラエルが占領した土地からイスラエルは撤退すべきだ」と言うことも「皮肉」です。
  • id:nofrills
    みなさま、今回はありがとうございました。コメントで有益なご回答をいただいたkanan5100さんとjyoushikitaroさんには別途ポイントをお送りさせていただきます。

    >adlibさん
    下のトラバのところで、ご自身のここでのご回答を「失礼」の例の一つとして挙げていらっしゃいますが、私はそういうふうには受け取ってはいませんので、そのことはお伝えしておきたいと思います。(^^) ただ、質問文の中にある語やフレーズに反応するのではなく、質問そのものを読みとった上でご回答いただければなぁとは思います。

    それと、ついでに余談ですが、トニー・ブレアの改宗は「表向き」家族と一緒に、ということではありません。まず、シェリー・ブース(夫人)がカトリックであるため、カトリックの伝統に従って子供たちがカトリックとして育てられていることが背景のひとつにあります。改宗することはずいぶん前から考えてはいたようですが、首相引退と同時に議員も辞職し、もはや民主的に選出された公人ではなくなってやっとコンバートする決意が固まったようです。その結果としては、トニー・ブレアは名目ともにカトリックとなった、というだけのことです(前からカトリックの礼拝に出るなどしていました)。彼が首相在任中に自身の宗教色を出さなかったのは戦略的な判断で、本人は極めて信仰心のあつい人です。

    フィリップ・トルシエの場合は、ムスリムの子を養子にできるのはムスリムだけ、という背景がありますので、改宗したのは「表向き、家族がひとつの宗教にまとまるため」ではありません(「表向き」ではない)。改宗しないと彼らは「家族」にはなれなかったのです。また彼は仕事でモロッコにいたときにモロッコ人の子供たちを養子にしており(トルシエ自身が「外国人」であった場所で現地の子を養子にしたことについて、「外国人を養子に」という表現はいかがなものかと心底思います)、そのときに改宗(「宗旨がえ」ではありません)しています。

    キリスト教徒からムスリムへの改宗の事例としてお考えになられるには、トルシエよりも、キャット・スティーヴンス(ユーセフ・イスラム)の手記などをお読みになられた方がよいのではないかと思います。私は英語で彼について書かれたものを少し読んだことがありますが、知らなかったことがいろいろ書かれていて、非常に勉強になりました。検索すればいろいろと出てきます。ご参考までに。
  • id:nofrills
    ……というわけで、コメント欄で教えていただいたことへのお返事です(遅くなりました)。

    >kanan5100さん
    > 「アーメン」という単語は、キリスト教でもユダヤ教でもイスラム教でも同じような意味で使われる言葉のようなので
    > http://en.wikipedia.org/wiki/Amen
    > 「どの宗教に属するひとでもその神聖さに打たれて「アーメン」と口走るだろう」みたいな意味なのでは。

    ああそうか、anyoneを「どの宗教に属する人でも」という読み方もできますね。私は漠然と「誰でも」と読んでおきながら、曲そのものに「宗教的背景」うんぬんと考えてしまっていたのですが、そちらのほうがすっきりします。Amenは旧約聖書系の宗教に共通ですし。。。

    > 「熱情」第2楽章冒頭には「アーメン終止」という教会音楽によく使われる進行が使われているようです

    「アーメン終止」! うっすら思い出したのですが、その昔、ピアノを習っていたころに「この進行にはこういう意味があるから、そういう感情を込めて」みたいな指導を受けたと思います。ウィキペディアでは「終止」のページで少し説明されています(四度→一度のコード進行のこと、だそうで、完全に忘れていました)。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%AD%A2

    >jyoushikitaroさん
    > ※オックスフォードで礼拝やキャンドルライトコンサートへはよく行きましたが、この曲の演奏は想像できません。
    > キャンドルライトコンサート+演目で検索しましたが、ありませんでした。

    実体験と検索、ありがとうございました。この角度からの検索は私では思いつきませんでした。

    楽曲についての的確なご説明もありがとうございます。
    演奏の場で第二楽章だけ抜き出すのは、確かに、ものすごく野暮ですよね。
    「おいしいとこだけ」のクラシック音楽のCDならありうるかもしれませんが。

    >shimarakkyoさん、
    > "say amen"で探したら面白い記述に行き当たりましたよ。
    > http://epreacher.org/sermons/01-18-04am.html

    これはすごい。絶対に間違いのない情報だということがURLからも明白です。
    よいページを教えていただきありがとうございます。

    余談ですが、イスラム教で、文字通りには「神の御意思のままに」というフレーズ「インシャラー」が、人々の日常語では「未来」について何かをいうときにつけるフレーズとなっている、ということをアラビア語と英語のバイリンガルから聞いています。意味的には英語のhopefullyと同じようなものだそうです。

    そういえば、昨年3月に、北アイルランドでシン・フェインの党首が行なったスピーチのなかに、アイルランド語(ゲール語)で "Ach ta tus nua ann anois le cuidiu De." という文を入れていたことがありました(le cuidiu De でアラビア語の「インシャラー」みたいなもの)。
    http://nofrills.seesaa.net/article/36971295.html
  • id:adlib
    ……(高校一年の頃、ヨッフム盤で)この部分を毎日数回づつ聴いた。
    神々しいように聴こえるが、甘美で陶酔的な、性的充足感に共通する。
     廊下トンビが「新世界のドコソコが泣けるよねぇ」とか、アイドルの
    「目・鼻・唇」を「アソコが可愛い」と聞こえよがしに云うたぐいだ。
    https://twitter.com/awalibrary/status/1077368032421236737
     Janowski, Marek 19390218 Poland /20181223 NHK交響楽団

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