数学や物理がべらぼうにできる人のことを教養があるとはあまり言われないような気がします。
逆に歴史とかに詳しいと教養があると言われることが多いと思います。
なぜでしょうか?
まず、BLOG15様は理系の方でしょうか?理系の場合、理系の教養科目=専門の基礎科目となってしまっていて、結果として、教養科目に文系の科目が並ぶように思います。
当方は、文系でしたので、教養科目に「数学」とか「物理」とか並んでいました。反対に、専門基礎となる、「社会学」「哲学」「心理学」などの文系科目は一般科目にはありませんでした。
次に、「数学や物理ができる人を教養があるとは言わない」というのは非常に納得してしまいました。すでにお調べになっているとは思いますが、Wikipediaによると、教養とは、
教養(きょうよう)とは、個人の人格に結びついた知識や行いの事。これに関連した学問や、芸術および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。
一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。
であることを考えると、
「数学や物理ができる」ということは、知識や行い、常識、造詣ではなくて「スキル」や「能力」と考えられているからではないでしょうか。
たとえば、数学についての知識(0の起源とか黄金比とか)を持っていることは教養ですが、数学の公式を利用するのは教養ではない、と一般的に考えられているからなのではないでしょうか。
(文系なのに)つたない個人的な意見で申し訳ありません。
書きそびれていることなどありましたら、コメントいただきましたら幸いです。
補足できるようなことでしたら、コメント欄にて書き添えさせていただきます。
まず、BLOG15様は理系の方でしょうか?理系の場合、理系の教養科目=専門の基礎科目となってしまっていて、結果として、教養科目に文系の科目が並ぶように思います。
当方は、文系でしたので、教養科目に「数学」とか「物理」とか並んでいました。反対に、専門基礎となる、「社会学」「哲学」「心理学」などの文系科目は一般科目にはありませんでした。
次に、「数学や物理ができる人を教養があるとは言わない」というのは非常に納得してしまいました。すでにお調べになっているとは思いますが、Wikipediaによると、教養とは、
教養(きょうよう)とは、個人の人格に結びついた知識や行いの事。これに関連した学問や、芸術および精神修養などの教育、文化的諸活動を含める場合もある。
一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。
であることを考えると、
「数学や物理ができる」ということは、知識や行い、常識、造詣ではなくて「スキル」や「能力」と考えられているからではないでしょうか。
たとえば、数学についての知識(0の起源とか黄金比とか)を持っていることは教養ですが、数学の公式を利用するのは教養ではない、と一般的に考えられているからなのではないでしょうか。
(文系なのに)つたない個人的な意見で申し訳ありません。
書きそびれていることなどありましたら、コメントいただきましたら幸いです。
補足できるようなことでしたら、コメント欄にて書き添えさせていただきます。
回答ありがとうございます。
>数学についての知識(0の起源とか黄金比とか)を持っていることは教養ですが、数学の公式を利用するのは教養ではな
>い、と一般的に考えられているからなのではないでしょうか。
これはとても納得しました。その可能性が高いのかもしれません。
私は現在商学部に在籍していますが、「お前は文系なのか?」と聞かれるとかなり疑問です。
文系科目は苦手なものばかりです。じゃあ理系科目が得意なのかと言うとそういうわけでもないです。
ちなみに高校では文系でも理系でもなく、「体育系」というクラスでした。週に10時間程の体育の時間がありました。
こんばんは。
文系科目の方が、親しみやすいのかもしれませんね。
コメント欄も拝見しましたが、私も、数学や物理の知識が卓越している方は、(もちろん教養があると思いますが)専門性が高いと感じます。
文系科目でも、もちろん知識が卓越している方は専門性が高いですし、数学などに近いと思われる哲学などは教養でもありますが、「親しみやすさ」という点では、少しとっつきにくいように思います。
教養の範囲に入らないのか、それとも「日常から離れた抽象度の高い分野」は教養と呼ぶより、専門性として認識するからなのか、どちらかかなぁと考えています。
以上、参考になれば幸いです。
回答ありがとうございます。
>数学などに近いと思われる哲学などは教養でもありますが、「親しみやすさ」という点では、少しとっつきにくいように思
>います。
やはりそれもあるのだろうと思います。そしてその「とっつきにくさ」は何によってもたらされているのか? と考えるとやはり、一般には能力だと考えられているのかもしれないと個人的には思ったりもします。
数学や物理がべらぼうにできる人のことを教養があるとはあまり言われないような気がします。
逆に歴史とかに詳しいと教養があると言われることが多いと思います。
それは初耳です。
私は理系出身ですが、教養課程に統計学概論や科学史概論がありました。
科学史といっても世界史とは違い、原理・法則の発見の歴史を学んでいくことなので、高校レベルの理科4教科の知識がないとついていくことができません。
私は、自分の専門領域を、素人の方にも分かりやすく説明できる人が、本当に教養のある方だと考えています。
回答ありがとうございます。
私も文系科目のみが教養科目だとは全く思っていませんが、世間一般にはある程度受容されている観念だと思っています。
そして自分はそうだとは思わないけれども、多くの人にそう思われているのはなぜだろうか? というのが質問の主旨でした。
なぜ一般的に、教養科目と言われると文系科目ばかりなのでしょうか?
これは、必ずしもそうではないと思います。
が、穿った見方をすれば一定レベル以下の文系の学生は数学が(というか算数すら)できない者の割合が高いため、教養科目で理系の科目を開講しても、履修者が極端に少ない、あるいは単位習得が出来ないという事態に陥るため文系科目の割合が多くなりがちなのかもしれません。
また、理系の学部については、当然専門科目で理系の講義があるので、教養は文系のものを多めに開講しがちになるでしょう。
以上によって、全体的に教養科目においては文系科目優位の傾向が生じているのかもしれません。
数学や物理がべらぼうにできる人のことを教養があるとはあまり言われないような気がします。
逆に歴史とかに詳しいと教養があると言われることが多いと思います。
これも必ずしもそうではないと思いますが、私の個人的なイメージでも医学部や工学部の教授よりも文学部の教授の方が、頭がいいかどうかはともかく、「教養がある」という感じはあります。
これは、実用性は高いものの、答えが一つで実験による実証が全ての(実際は違うでしょうが、そういうイメージがあるのは確かだと思います)理系の学問(下手すると学問的でないというイメージもあるかも?)より、創造性がある(ように感じられる)文学や歴史・哲学の方が「教養」という言葉の定義に近いからではないでしょうか。
辞書の(3)の意味は、理系より文系にフィットしやすい感じがします。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B6%B5%CD%DC&kind=jn&m...
回答ありがとうございます。
>穿った見方をすれば一定レベル以下の文系の学生は数学が(というか算数すら)できない者の割合が高いため、教養科目で
>理系の科目を開講しても、履修者が極端に少ない、あるいは単位習得が出来ないという事態に陥るため文系科目の割合が多くなりがちなのかもしれません。
うちの大学では今まさにこういう状態かもしれません。
>創造性がある(ように感じられる)文学や歴史・哲学の方が「教養」という言葉の定義に近いからではないでしょうか。
これは盲点でした。確かにリンク先の意味では少なくともイメージとしては、文系科目の方が「教養」というイメージを一般には感じさせる気がします。
質問に対する回答にはならないかもしれませんが・・・
大学では教養課程と呼ぶと思いますが、Wikipediaでは以下のように定義されてるようです。
教養課程(きょうようかてい)とは、大学(学部)で専攻に関わり無く広く学問的な教養を学ぶ課程
また、以下のサイトの内容も非常に面白いです。
http://www.class.co.jp/column/backnm44.html
この中で書かれている、
数学も、物理も、歴史も、文学も、経済学も、語学も、化学も、宗教学も、すべてが人間が正しく人生を生き抜くためには必要欠くべからざる素養なのである。
は、非常に同感です。
つまり文系科目だけでなく理系科目についても広く知識を身につけることができて、
更にその先にあるのが本当の「教養」なんじゃないかなーと思います。
確かに質問の答えではないとは思います。が、教養の定義には私も全面的に同意です。
個人的には人間の思考としての文系脳とか理系脳など本当にあるのかかなり疑問なので、
少なくとも高校生の段階では、学ぶ学科の編成としての文系、理系のクラス分けには、
弊害の方が大きいように思います。
数学や物理等の学問については、「学がある」と言われますね。
「教養がある」というのは、やはり精神的なもの、生きる上でのことなどが含まれての知識だと思います。
回答ありがとうございます。文系科目は身近に感じられやすいのかもしれないですね。
回答者1さんの枠内の考え方が基本になっていると思います。
他の人の意見の引用だけでは卑怯ですので、私なりに(あまり参考にはなりませんが)
「教養」というものを例が悪いようですが「花嫁修業の為身に付ける素養・知識」程度、「実践で使う知識・知恵」は「技・術」。「文武」の「文」、その「文」を「文理」に分けた場合の「文」それが「教養」という思想構造ではないですか。
回答ありがとうございます。
>「文武」の「文」、その「文」を「文理」に分けた場合の「文」それが「教養」という思想構造ではないですか。
なるほど。これも完全に盲点でした。確かに「文」という字には、学問・学芸・文学・芸術という意味がありますね。
回答ありがとうございます。
>数学についての知識(0の起源とか黄金比とか)を持っていることは教養ですが、数学の公式を利用するのは教養ではな
>い、と一般的に考えられているからなのではないでしょうか。
これはとても納得しました。その可能性が高いのかもしれません。
私は現在商学部に在籍していますが、「お前は文系なのか?」と聞かれるとかなり疑問です。
文系科目は苦手なものばかりです。じゃあ理系科目が得意なのかと言うとそういうわけでもないです。
ちなみに高校では文系でも理系でもなく、「体育系」というクラスでした。週に10時間程の体育の時間がありました。