>最初の持ち帰りとそれからの話
1937年の夏の大会で、熊本工(熊本)は決勝戦で敗れて準優勝に終わった。決勝戦終了後に、熊本工の投手であった川上哲治は甲子園の土をユニフォームのポケットに入れた。その後、1949年の夏の大会で、小倉(福岡)が準々決勝で倉敷工(岡山)に負けた後、小倉の投手であった福島一雄が甲子園の土を拾って地元に持ち帰った。これが甲子園の土第一号とされている。 以降、高校球児たちの憧れである甲子園球場への出場の記念として、戦いに敗れた高校球児が試合後に甲子園の土を拾って持ち帰るようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A0%A1%E9%87%8E%E7%90%8...
http://www.encount.net/naruhodo/14_2892.php
>おそらくそうだろうと言われているのが巨人で活躍した川上哲治選手。
1937年に熊本県立工業高校のエース投手だった川上さんが
中央商業との決勝戦に敗れたさいに甲子園の土をユニホームのポケットに入れて持ち帰り、
その土を母校のグラウンドに撒いたことが最初だったと言われています。
>実はもう一つ説があり、小倉北(福岡県)のエース投手だった福島一雄選手だったんじゃないかという人もいます。
1949年に彼が2連覇をかけた準々決勝で敗れた際にマウンドの土を持ち帰ってから
土を持って帰る伝統が生まれたという話もあるそうです。
やっぱり諸説あるんですね。
回答がオープンになっていないので、他の方とかぶっていたらごめんなさい。
川上哲治選手らしいです。
詳しくは以下をご参照ください。
連続回答すいません。
こちらのほうが参考になりそうなので記載いたします。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315087...
とんでもないです、ありがとうございました。
打撃の神様は、元々ピッチャーだったんですね。