古代から国家があればその勢力圏はあったでしょうし、複数の国家があればその「境」は認識されていたはずですが、一国の領域を明確に規定するようになったのはかなり後世のことではないかと思われます。このように「自国の領土の範囲」を明確に規定するようになったのはいつからでしょうか。世界史における「国境の画定のはじまり」ならびに日本・中国等各国における「国境の画定の歴史」を教えてください。
古代ならびに中世においては「国境」という概念は存在せず、「境界領域」という概念があったといわれております。それはつまりA領域とB領域そしてAかつBという領域が存在し、そこではそれぞれが話しても通用する言語が存在しました。例えば欧州ではラテン語、東アジアでは漢字(漢語)です。このため、現在のような明確な境界は存在しておらず、あいまいな境界(=境界領域)があったということです。
中世末から近代にかけて、出版物(新聞・小説)というものが大量発行するようになり、時間の同時性が計られたこと、またそこで使われるのは一般民衆が使う俗語であり、この俗語こそ現在の公用語として使われる仏語・伊語などであります。それを統治する者にとってはその俗語こそを治める場所の主要言語とすべきであり、その結果各言語を持つもの同士の共同体が出来上がり、フランスやイタリアなどに分かれていった。また、他地域では、国家中枢からの俗語使用に打って出る国も現れ、欧州市民革命終了ころに「国境」が完結したのではないかと考えられています。さらに、その出来上がった国家に対しての帰属意識を持たせるべく、国家の歴史を作って教育することで帰属意識を駆り立てた。
一方、日本では、江戸時代後期にすでに欧州で出来つつあった国家のあり方を持つロシアの接近という外的要因と国学の大成による内的要因、さらに江戸幕府崩壊後の明治維新の中で、現在の我々が使用する日本語の作成や帰属意識を作る国家の歴史を作り、教育していった。また、そこでは中国との差異化による固有性の発見と欧州への同一化によるアジアにおける優越も思想的な問題として行われていたという。これによって、日本が漢語によるアジア圏から脱却し、一国家として他とは国境を持って一線を画すようになったのではないかという。
ちなみにこれは、某大学で行われた講義で扱われていた部分をかいつまんで書いたものなので、その講義を行った教授の思想・考え・偏見が入っていることを忘れてはならないことも付け加えておきます。しかし、私自身、この講義で受けた説明には納得しております。ベネディクト・アンダーソン氏(↓)の著書が講義で参考文献として使われました。
求めていた回答に近い内容です。ありがとうございます。
Nationというものの誕生と、境界領域から国境への変化がシンクロしているという考え方がある、と受け取りました。
できれば、参考文献として使われた著書名なども具体的に知りたいと思います。