「利己的な遺伝子」という理論があります。
生物は遺伝子の乗り物であり、ただ遺伝子を伝えていくために作られたものだという説です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E9%81%B...
↑からの引用です。
「生物が生存機械であるならば、人間が生きる目的や意義はないのか?」という指摘に対してドーキンスは次のように答えている。
確かにこの宇宙には究極的な意思や目的など何もないのだろう。しかし、一方、個人の人生における希望を宇宙の究極的な運命に託している人間など私たちのうちに一人も存在していないこともまた事実である。それが普通の感じ方というものだ。我々の人生を左右するのは、もっと身近で、より具体的な思いや認識である。
自分がただの乗り物だとしても、遺伝子とともに後々の子孫に何かを残すために生きてみるのも面白いと思いますよ。
コメントはまだありません
これ以上回答リクエストを送信することはできません。制限について
ログインして回答する
「利己的な遺伝子」という理論があります。
生物は遺伝子の乗り物であり、ただ遺伝子を伝えていくために作られたものだという説です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1%E7%9A%84%E9%81%B...
↑からの引用です。
「生物が生存機械であるならば、人間が生きる目的や意義はないのか?」という指摘に対してドーキンスは次のように答えている。
確かにこの宇宙には究極的な意思や目的など何もないのだろう。しかし、一方、個人の人生における希望を宇宙の究極的な運命に託している人間など私たちのうちに一人も存在していないこともまた事実である。それが普通の感じ方というものだ。我々の人生を左右するのは、もっと身近で、より具体的な思いや認識である。
自分がただの乗り物だとしても、遺伝子とともに後々の子孫に何かを残すために生きてみるのも面白いと思いますよ。