お釈迦様は6年半、荒野をさまよって修行をされました。その結果として得た悟りとは、人間も動物の一種である、しかし退化してしまったから自然の中で生きていくことができない。だから、なるべく自然を破壊することなく、わずかな衣服や食糧で生きていくのがよい。というものだと思います。


お釈迦様の体得した悟りは、所を日本に移せば、修験道や神道における禊のようなものかもしれません。文明的なものを、禊ぎ、祓い、清めて、1匹の生物になりきる。言葉のない世界を生きる。

悟りと禊ぎは、同じものだから、天台宗では今でも千日回峯行が尊ばれるし、禅宗は言語を使うなというわけです。

さて、このように禊ぎや悟りを理解したときに、言語以前の人間の心や感情と、言語が生まれた後に形成される意識とを、別々のものとして扱うことが望ましいと思います。言語以前と言語以後とをうまく言い表す言葉を教えてください。
(ひとり一回だけにしますので、ご自身の言いたいことを、要点を明確にわかりやすく書き込みお願いします。)

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回答39件)

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概念形成の起源 heptagon2009/02/10 14:24:53ポイント2pt

言葉、単語というのは相手と共有できる概念であり、言語の誕生により、同時に自分と他人とのあいだでの概念のズレも生じた。「赤い」という言葉でもその色のイメージは人の数だけある。ということになるでしょうか。

情報源符号化の問題ですね ShinRai2009/02/10 14:36:22

「赤い」のように分かりやすい言葉であっても、人の数だけイメージがある。

「ラーメン」の場合、九州の人は、トンコツスープのまっすぐ麺、東京の人は醤油スープの縮れ麺、、、、と違いますからね。

コミュニケーションとは何かということにもなりますか。

我々は少ししゃべりすぎなのかもしれませんね。

話せば通じるという期待をついついもってしまうけど、実はデュアル・モノローグなやりとりなのかもしれない。

言葉は記号に過ぎない。概念は恣意的である。それらの記号に自分の心を支配されるなというメッセージを禅宗は発してきたのかな。

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  • 記号的言語社会 そういう世で人は生きてたりするんだとおもいます。 今日はいま織ってるブランケットででっかいミスをしました。でも5時間くらいかけてそいつを直してやりました。一
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