広島市の場合、市の中心部を東西8キロに幅100mの道路をぶち抜きました。こういった計画の立案、命令、実施またそれに伴う中学生中心の動員体制に、どういった省庁が関わっていたのか具体的、詳しくに分かる資料などを教えてください。
貫きました。
ご希望にどこまでかなっているかわかりませんが、広島の場合には、原爆を落とすことが昭和18年くらいに決まっていたという説があります。
そのためわざわざ陸軍が忌み嫌っていた粟屋仙吉を市長として東京から迎えたようです。彼は8月6日の朝、家族もろとも即死だったそうです。
その道路建設も、原爆投下を見越してのことだったかもしれません。
所轄は、内務省ではないでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E5%8B%99%E7%9C%81_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
太平洋戦争中に、防空と国土計画を所管としています。
また、学校防空でも支配力を行使したようです。
http://www.geocities.jp/aobamil/kanchousitu/shuuhou/363.html
やはり、学生を市街地防空作業にかり出すには、文部省がからみます。
http://www.asaho.com/jpn/sansei/120.html
内務省が権力の中枢で文部省がそれに従うような構造があったのではないでしょうか。
ありがとうございます。
これを参考に調べてみましょう。
ありがとうございます。
確かに調べ物とは少し脇にそれましたが、これはこれで
面白い証言をお教えいただき感謝しています。