なぜ、同じ宗教なのに、宗派が別れて、
ゴチャっとしているのか分かりやすく、おもしろおかしく教えてください。
※URL先を読んでくださいとかはいらないです。
(自分で検索しましたが、仏教解説サイトは、文字が多すぎて読む気がしない。)
※ドラゴンボールとか、有名漫画とかに喩えて話できるなら、最高です。
※ポイントは分かりやすくです。
はじめに
インドにはバラモンというウィザードリー的なRPGが流行っていました。
というマゾ仕様で、一部の廃ゲーマーに大人気でした。
注)バラモン教の輪廻は、人生終了後、また同じ人生を送るという考え方で、現世奴隷だったものは来世も奴隷で夢がありません
ヌルゲーマー増える
しかし、ゲーム人口が増えるにつれ、ヌルゲーマーが増えてきました。
バラモンはヌルゲーマーには難しすぎ、楽しめません。そこで新しいゲームを開発する事になりました。
というゲームで、従来より難易度が低くなっています。
プロジェクト名は「仏教」。総責任者は天才クリエイターシャカさん。
このプロジェクト、最初の内は順調だったのですが、残念な事にシャカさんは志半ばで命を落としてしまいます。
シャカさんは天才であり、構想メモを残さなかったため、仏教プロジェクトは中止の危機に追い込まれました。
注)仏教は輪廻からの解脱を目指す宗教で、今生の善行が来世の人生を良くするという考え方です。
努力が実らず分裂
仏教完成に向け、スタッフは頑張りました。集会を開き、シャカさんの思い出を手がかりに仏教を作り直そうとしましたのです。
彼らは必死に議論をしました。
ですが記憶というのは実にいい加減なのです。矛盾する証言が交錯し、集会は大荒れに荒れました。
そしてついに、スタッフは何組ものグループに分裂してしまいました。
各グループがそれぞれ別の『仏教』シリーズを発表したため、仏教は分裂したのです。
注)これを『仏教の根本分裂』と言います。
注)仏教といえば死後の世界で有名ですが、お釈迦様は死語の世界なんて見たこと無いから分かるわけねーだろと言っています
注)伝言ゲーム怖いですね。
その後
『時間をかけるのがメンドクサイ、サラリーマンでもクリア出来るようにしろ』
『攻略するのが面倒だ、クリックだけしてればクリアできる、ノベルゲーにしろ』
と言った意見を取り入れ、さらにヌルイゲームを作るグループが出たり、
『ゲームはストイックであるべきだ』
といってバラモンの昔まで戻るグループが出たりと、混乱を極め、今に至ります。
同じ仏教でも宗派がいろいろできてしまったのは、簡単に言えば、仏教のどこにポイントを置くかによります。
仏教の究極の目的は、仏になることです。「成仏=死ぬ」ではなく、生きた状態で煩悩から逃れることです。
その仏になるための方法が、多種多様です。
集団で組織化すると、ここがこう違うだの発言・主張して、食い違いからその大きな集団の流れが分派していくだけだと思いますが。
はたから見ると、たいして変わらないように思えますが。
ありがとうございます。
ピッコロとかベジータはもともと極悪宗教でしたよね。
「人間は殺すべき」みたいな。
でもいろんな人と出会っていろいろ考えていくうちに、
「あれ?意外と協力するのも有りじゃね?」みたいな考え方に変わっていきましたよね。
仏教も同じようなもんです。
長い年月考えてたら何がいいのか心変わりしてきたんです。
ただ、仏教の場合はその元となる教典自体が違うこともあります。
「仏教のこともっと調べたいなー」って思ってインドとかチベットのほうの教典まで調べた結果、「こっちの考えのほうが合ってるっぽくね?」ってなってそっちの考え方を取り入れたりして新しく宗派を作ったりとか。
しかしあんまり元の仏教の考え方から離れすぎたものについては戦国時代に異端として排除されたから無いんです。
漫画で例えるなら・・・デスノートとか?
キラはノートを手に入れて独自の正義を思いついて実行したわけですが、それは国家の権力によって最終的に排除されました。
おお、少し面白いですし、
分かりやすいです。
ありがとうございます。
古来より13宗に大別されます。
・奈良仏教系
①法相宗
大本山・・・興福寺、薬師寺(いずれも奈良市)
中国の基(慈恩大師)を祖とする。
インドの「唯識瑜伽行(ゆいしきゆがぎょう)派」の系譜を引く。
唯識学は、あらゆるものごとは心の奥深くにある「アーラヤ識」より生じると考え、心理学にも比される。
②華厳宗
大本山・・・東大寺(奈良市)
中国の杜順を祖とする。
『華厳経』の考究を旨とする宗である。
この経典には「一即一切、一切即一」、「無尽縁起」などの思想について述べられ、あらゆる物事とあらゆる物事の結びつきが壮大なスケールで説かれている。
③律宗
総本山・・・唐招提寺
鑑真和上を祖とする。
それまで日本では正式な受戒が不可能であったため、唐から鑑真和上を招き、『四分律』という戒律を伝えた。
奈良仏教系は学問宗であり、基本的に檀家を持たず、葬式もしない。
・平安仏教系
④天台宗
天台宗総本山・・・比叡山延暦寺
天台寺門宗総本山・・・園城寺(三井寺)(いずれも滋賀県大津市)
などに分かれる。
宗祖・・・最澄(伝教大師)
遣唐船に乗り中国に渡った最澄が日本に伝えた。
『法華経』を所依の経典とするが、密教をも併せ持つ。
また、禅(禅定)・円(法華経)・密(密教)・戒(戒律)の四宗融合ともいわれる。
そのため、比叡山から後代に鎌倉仏教の祖師を多く輩出した。
⑤真言宗
高野山真言宗総本山・・・高野山金剛峰寺(和歌山県伊都郡高野町)
東寺真言宗総本山・・・教王護国寺(東寺)(京都市南区)
真言宗智山派総本山・・・智積院(京都市東山区)
真言宗豊山派総本山・・・長谷寺(奈良県桜井市)
などに分かれる。
宗祖・・・空海(弘法大師)
最澄と同時に中国にわたった空海が伝えた。
大日如来を本尊とし、所依の経典は『大日経』、『金剛頂経』等の密教経典であり、即身成仏を目指す。
⑥融通念仏宗
総本山・・・大念仏寺(大阪市平野区)
宗祖・・・良忍上人
一人の念仏がすべての人に融通し、すべての人の念仏は一人に融通するという「融通念仏思想」に基づく。
一宗として独立するのは後の時代であるが、良忍上人が平安時代の人物であり、また所依の経典は浄土経典ではなく『華厳経』と『法華経』であるためここに分類した。
・鎌倉仏教(浄土系)
⑦浄土宗
浄土宗総本山・・・知恩院(京都市東山区)
西山浄土宗総本山・・・粟生光明寺(京都府長岡京市)
などに分かれる。
宗祖・・・法然上人
本尊は阿弥陀如来とし、所依の経典は浄土三部経(『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』)で、浄土往生のために称名念仏(「南無阿弥陀仏」と称える)を行うことが阿弥陀仏の本願にかなうとする。
⑧浄土真宗
浄土真宗本願寺派本山・・・西本願寺
真宗大谷派本山・・・ 東本願寺(いずれも京都市下京区)
などに分かれる。
宗祖・・・親鸞聖人
本尊、所依の経典は浄土宗に同じ。
親鸞聖人は法然上人の門弟で、自らは開宗の考えはなかったものの、歴史的に別の宗となる。
信心を強調し、信心を得ることにより浄土往生が定まると説く。
⑨時宗
総本山・・・清浄光寺(神奈川県藤沢市)
宗祖・・・一遍上人
本尊、所依の経典は浄土宗に同じ。
一遍上人は踊念仏により教えを広めた。
すでに極楽往生は定まっていると考える点が教えの特徴である。
・鎌倉仏教(禅系)
⑩臨済宗
臨済宗妙心寺派本山・・・妙心寺(京都市右京区)
臨済宗円覚寺派本山・・・円覚寺(神奈川県鎌倉市)
などに分かれる。
中国の臨済義玄禅師を祖とする。
日本には栄西禅師等が伝えたが、現在の法流は、関山慧玄禅師(室町時代)から白隠慧鶴禅師(江戸時代)に連なる流れである。
同じ禅の曹洞宗に比し、公案(師匠から弟子への問題、いわゆる禅問答)を解くことを重視し、看話禅(かんなぜん)といわれる。
⑪曹洞宗
総本山・・・永平寺(福井県吉田郡永平寺町)、総持寺(横浜市鶴見区)
宗祖・・・道元禅師
道元禅師が中国に渡り、天童山の如浄禅師の下に参禅して、日本に伝えた。
「只管打坐」といい、ひたすら坐禅することを重視し、黙照禅(もくしょうぜん)といわれる。
・鎌倉仏教(法華系)
⑫日蓮宗系
日蓮宗総本山・・・久遠寺(山梨県南巨摩郡身延町)
法華宗本門流大本山・・・本能寺(京都市中京区)など
などに分かれる。
宗祖・・・日蓮聖人
『法華経』を最高、最終の経典とし、永遠の生命を持った「久遠実成の本仏」が姿を表したのが釈尊であるとする。
「南無妙法蓮華経」と唱える唱題行を行う。
・江戸時代
⑬黄檗宗
本山・・・万福寺(京都府宇治市)
中国の隠元禅師が伝えた。
おおまかにいえば臨済系の禅宗であるが、「念仏禅」を特徴とする。
自分の勉強と確認も兼ねて長々と書かせていただきました。
宗派の説明をしているサイトもありますが、結構いい加減なものも多いので、直接に宗派のサイトを見ていただいたほうがよいかと思います。
下記、全日本仏教会のサイトからリンクしていますのでご覧ください。
おもしろおかしくではないですが、
かなりの解説、ありがとうございます。
昔、ゴータマシッタルダという王子様が悩んでた。(現在で言う所の中二病である)
普通の人は悩んで答えが出る前に諦めるのだが、王子はとことん悩みに悩んだ末、答えを出してしまった。
そうして「こうすれば、全ての悩みから開放されますよ」という(小乗)仏教を皆に広めました。
しかし、救われるためには厳しい戒律を守り、修行を積まなければなりません。
「それが本当に正しいのだろうか?」と思った人が「東・西」に現れました。
「いいひと」なら別にお酒を飲んで全裸で暴れても救われるだろう。
真に救いが必要なのは、生きていくために罪を犯す(自分も含めた)「悪人」ではないだろうか。
と考えた人がいました。
ゴータマ王子の言っていたことは自分には守れない。とても救われるとは思えない「どうすれば助かるんだろう」と悩んだ末に
「阿弥陀如来」が「われを信じよ。どんな苦悩を持つ者でも、この世も未来も最高無上の幸福にしてみせる。もし、絶対の幸福にできなかったら、仏の生命を捨てよう」
http://www.shinrankai.or.jp/b/shinsyu/infoshinsyu/qa0401.htm
という約束をしていることに気がついたんですね。
罪深い人間が自力で救いを得るのは難しい。
阿弥陀如来の約束を信じることで、悪党でも救われるはずだ
と考えた時に(大乗)仏教が生まれました。
なんまいだー(南無阿弥陀仏)は「私は阿弥陀如来を信じます」という宣言なんですね。
中二病w
わかりやすいです。
ありがとうございます。
それは伝言ゲームだからですよ。
残念な事に正確に伝わってない。正確に理解されてない。よって信じ方もさまざまなのだと思います。
他の宗教の派閥もそうかもしれませんね。
メジャープロレス団体や格闘技団体の分裂のように、後継者争いがきっかけで分派したり、みちのくプロレスや大阪プロレスのように布教する地域に応じて教義(コンセプト)をカスタマイズした結果、新しい宗派になってしまったりということがあるようですね。
少し面白いです。
宗教家というのはカウンセラーみたいなものですから、新しくできた宗教に第一世代の弟子として入信する人たちはみなどこか「偏った」人格の持ち主であることが多い訳です。
たとえばキリストの第一世代の弟子は卑しい漁師や医師、もとキリスト教の迫害者など。釈迦の第一世代の弟子は他宗教の教祖であったり、もと殺人鬼がいたり、まあバラエティに富んだ面々です。
キリストや釈迦のように優れたカウンセラーの素養を持つ人は、こうしたバラエティ豊かな弟子のそれぞれについて、おのおのが自己実現できるような方法論を教えたのだと考えられます。例えばある弟子に対してはひたすら祈りの言葉を唱えることを教え、ある弟子に対しては座って瞑想することを教え・・・というふうに。
で、自分にあった自己実現の方法を教えられた弟子は「これこそ悟りへの道!」と強い感動を覚え、他の弟子の教えられた方法論は本質でないとして軽んじます。ですから弟子が釈迦の言葉を書き写したもの(経文)を見ると、お互いにやや矛盾したことを言っていたりする訳です(釈迦自身は文章を残しておらず、現存しているのは弟子がそれを記録したものだけです。キリスト教の福音書も同様です)。こうして仏教においては様々な宗派が生まれ、キリスト教においてはパウロによる異端の排斥を経て、再び様々な宗派に分かれています。
釈迦は死ぬときに「私の真の教えは決して世に広まることはないだろう」と言ったらしいですが、この辺に理由があるのかな、と思います。
なるほどありがとうございます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
以降、回答していただく方にお願い。
年配の方に誘われて、お遍路回っています。
うちの家は、南無阿弥陀仏っていいますが、お遍路で言わないのは何故?って聞いたら、笑われました。
特に、南無阿弥陀仏の派閥 と お遍路(弘法大師?)の派閥の大きな違いを
分かりやすくお願いします。
(あと、全体的に、おもしろおかしく書ける人は最高です。まだまだ募集します。)
「南無阿弥陀仏」≒「ああっアミダ様っ」
…ちょっと人格神信仰っぽい
『般若心経』 ≒「スベテは無だよね」
…非人格神っぽい
:
アミダ ≒ 極楽浄土の統治者
↓
「今は苦しくても(からこそ)死んだら天国に招いて下さいっ」
「神様・オ・ネ・ガ・イv」
って感じ?
:
:
…ここまでブッチャケちゃうと、横から
間違っている!とか言われそうだけれども、
イメージしやすいかな~と。
×_×
ちなみに…「スベテは無だよね」を同レベルで比喩すると、
「1足す1は、2だよね」ってくらい当たり前なもの…具体化し難いものを根元としている感じかな。
↓
「アミダ様っv」って場合は、個人の趣向もあると思うけれど、既存の仏像とか、法典に書かれた装身具とかの特徴・設定から、具体的・個別的で、当人にとって実在的な存在として思い描ける存在なわけで…。ともかく「ゼロって何?」みたいな抽象的なものとは正反対な信仰対象になるよね。ギリシャのゼウス的な人格神と、キリスト教の天なる父的な対比でもおK?
おおおおお!
凄く分かりやすいです。
ニュアンス、かなり伝わりました。
ありがとうございます。
はじめに
インドにはバラモンというウィザードリー的なRPGが流行っていました。
というマゾ仕様で、一部の廃ゲーマーに大人気でした。
注)バラモン教の輪廻は、人生終了後、また同じ人生を送るという考え方で、現世奴隷だったものは来世も奴隷で夢がありません
ヌルゲーマー増える
しかし、ゲーム人口が増えるにつれ、ヌルゲーマーが増えてきました。
バラモンはヌルゲーマーには難しすぎ、楽しめません。そこで新しいゲームを開発する事になりました。
というゲームで、従来より難易度が低くなっています。
プロジェクト名は「仏教」。総責任者は天才クリエイターシャカさん。
このプロジェクト、最初の内は順調だったのですが、残念な事にシャカさんは志半ばで命を落としてしまいます。
シャカさんは天才であり、構想メモを残さなかったため、仏教プロジェクトは中止の危機に追い込まれました。
注)仏教は輪廻からの解脱を目指す宗教で、今生の善行が来世の人生を良くするという考え方です。
努力が実らず分裂
仏教完成に向け、スタッフは頑張りました。集会を開き、シャカさんの思い出を手がかりに仏教を作り直そうとしましたのです。
彼らは必死に議論をしました。
ですが記憶というのは実にいい加減なのです。矛盾する証言が交錯し、集会は大荒れに荒れました。
そしてついに、スタッフは何組ものグループに分裂してしまいました。
各グループがそれぞれ別の『仏教』シリーズを発表したため、仏教は分裂したのです。
注)これを『仏教の根本分裂』と言います。
注)仏教といえば死後の世界で有名ですが、お釈迦様は死語の世界なんて見たこと無いから分かるわけねーだろと言っています
注)伝言ゲーム怖いですね。
その後
『時間をかけるのがメンドクサイ、サラリーマンでもクリア出来るようにしろ』
『攻略するのが面倒だ、クリックだけしてればクリアできる、ノベルゲーにしろ』
と言った意見を取り入れ、さらにヌルイゲームを作るグループが出たり、
『ゲームはストイックであるべきだ』
といってバラモンの昔まで戻るグループが出たりと、混乱を極め、今に至ります。
おおおおおお!
こちらも分かりやすいです。
ゲーム好きなので、面白いです。
ありがとうございます。
私は、英会話の教材と同じと考えてます。
学校教育上は、単語・熟語、そして文法を理解・暗記して発音を覚えて実際に外人と・・・・
てな流れ、意味・意義・本意を捉えなければ異言語を習得したとは言えない!
と真面目に考えてしまうタイプ
此に反して極端に言えば(謳い文句上だけとは言え)『聞いてるだけでOK!』と言うCDでの英会話学習
どちらが、取っつきが良いと言えば当然の事ながら後者
これを再度、仏教に戻すと
釈迦の通った道(メソッド)を踏襲して、同じ境地に至ろうとするアプローチを行う宗派と
おまえ等、毎日の仕事に追われ大変だろ?時間も無いよな? 更に難しい事言われても全く解らないよね?
でも大丈夫! この呪文を繰り返し唱えるだけで、よい!
んん? 本当にそれだけで良いのって?
大丈夫! 大丈夫! 偉い人が、最後に至ったエッセンスなんだから!
と言う宗派! いわゆる念仏仏教
形骸化したとも言うし、場当たり的な感じもあるし、
取り敢えず、オレが信じてる事は正しい!だから同じようにせよ!と言う傲慢さも見え隠れ
ふむ。ありがとうございます。
おおおおおお!
こちらも分かりやすいです。
ゲーム好きなので、面白いです。
ありがとうございます。