私は、論理的であることもまた感情的であることであると、しばしば思うのですが。
「AはBである」とは、AとBが同じ階層の概念である事を必ずしも意味しません、というかほとんどの場合は階層が異なります。つまり、この場合はAが下位概念でBが上位概念であるという事です。ここで、下位上位というのは階層の向きを表しているのみで、優劣や大小とは独立です。
ただ、確かに論理と感情を異なる階層に配置するべきかと言われると、私も自信がありません。
1.論理的論点:涙の原因は、悲しみの感情か、涙腺の生理反応か?
2.哲学的疑点:悲しいから泣くのか、泣くから悲しいのか?
3.経験的終点:泣いてどうなるのか(略)嘘のつける相手さがすのよ。
http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/k7yyTqDkaeQ
── 千家 和也・詞/浜 圭介・曲《そして神戸 20071231 紅白歌合戦》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080417
── 中国語の「の」の意味に当たる助辞の使い方にならって、明治時
代の翻訳文のなかで、英語の‐ticなどの形容詞的な語の訳語に「的」
を当てはめたことに始まる。── 大辞泉
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E7%9A%84&dtype=0&dna...
kuro-yo さんの質問文から「的」を除くと、矛盾が発見できます。
「論理であることもまた感情である」
これでは議論にならないので、つぎのように気取ってみましょう。
── 愛のなかには、つねにいくぶんかの狂気がある。しかし狂気のな
かにはつねにまた、いくぶんかの理性がある。── ニーチェ
/氷上 英広・訳《ツァラトゥストラはこう言った 19670101 岩波文庫》
…… 《古典のことば ~ 原文対照 ~ 19950516 岩波文庫 別冊10》横組
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1023.html
松岡正剛の千夜千冊『ツァラトストラかく語りき』