「感動エピソード」「逸話」について情報を集めています。
※歴史上の人物でも構いません。
例えば「逸話」だったら、
○ジャイアント馬場が野球選手時代、スパイクを履かずにグラウンドに出てきた。
その理由を問いただすと「(大きな)スパイクの中に、猫の赤ちゃんが生まれていたから」と答えた。
例えば「感動エピソード」だったら、
○エジソンが亡くなったとき、アメリカでは1分間停電させ、冥福を祈った。
といった感じです。
例がざっくりしていてすみませんが、
よろしく御願いします!
勝新太郎さん
http://www.tvais.jp/html/2009_04_01/it_1817067/
後輩が怖がる表情の演技が出来ずに悩んでた所
演技指導として、買ったばかりの高級車に後輩を乗せ大暴走し
わざと愛車を大破させるいう方法で怖がる表情の演技を教えたようです。
(クイズ!ガーセネーターより)
じゃあもう一つ心温まるエピソードで泣いていただきましょうw
ピクシーの恩師のオシムの話です。
オシムはなぁ、オシムはなぁ・・・
東京五輪に初来日した時に
①代々木公園のサイクリングをするための自転車を無料で貸してくれ
②チームメイトとサイクリング中に農家の方から梨を貰って感激し、
③生まれて初めて「カラーTV」を東京で見て感動し、
④日本のホスピタリティ溢れる開催国ぶりに涙し(以上オシム本より)
「若きころお世話になった日本にいずれは恩返しがしたい」と、Jリーグに来てくれたんだぞ。
本人曰く、「韓国?行かないよ。日本だからこそ来たんだ。思い出一杯の国なんだ。」
そしてなぁ、かの伝説のチーム旧ユーゴスラヴィア代表の練習の時に日本人学生
を見つけるや否や、何とその練習に飛び入りで参加させてくれる贔屓っぷり。
その日本人はストイコビッチやサビチェビッチ等とウォームアップしたんだぞ。
ちなみにその練習に参加させてもらった日本人大学生は後のJEF千葉の敏腕GM
祖母井氏なんだよ。(オシム本より抜粋)
オシムはなぁ、オシムはなぁ・・・
「レアル・マドリード」「1860ミュンヘン」「ヘルタ・ベルリン」etcの
ビッグオファーがある中で敢えて日本のJリーグを選んだんだぞ。
最後のフットボーラーとしての人生を「思い出溢れる日本で終えたい」って
日本に来たんだぞ。
しかも、その日本からのオファーが何と自分が練習に飛び入りで参加させた
あの日本人大学生(祖母井)だった。彼は直接オシムの自宅(オーストリアのグラーツ)
まで三顧の礼をもってオファーしたんだ(オシム本より抜粋)。
オシムはなぁ、ガチで日本が好きなんだ。
レアルやバイエルンとかを成長させるよりも日本のフットボール成長させることに
自分の最後の生き甲斐を置いてるんだ。
あの時(東京五輪時)「貸してくれた自転車」と「貰った梨」の恩返しをしに
数あるビッグクラブのオファーや他国(オーストリア・クロアチアetc)の代表監督を蹴り続けて
日本に居続けてくれてるんだ・・。
オシムはレアル、ピクシーはアーセナルで再び世界的地位を得る最後のチャンスだったのに日本を選んでくれた。
ハッキリいって日本で良い仕事したってなんら名誉もないですよ。
なのに彼らときたら、、、こんなに日本を愛してくれてるなんて泣けてきますね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1424831...
「勝新太郎 逸話 すげぇですよ」:
http://ameblo.jp/engaarimasuyouni/entry-10351118809.html
「住所は未公開ながら東京タワーが見える物件である。
妻・玉緒と家庭内ケンカ等の時は窓を指して、
『東京タワーが見てる』と言って
ケンカの仲裁をすることも度々であった。 」
「ブレイク前のミスターマリックのショーに感激し、
そのときの全ての所持金の約50万円をチップで渡した事がある。」
漫画家の手塚治虫は、自分の作品が不振だった時代(おそらく1970年代半ば)のある日、
家の居間で無理やりテレビのチャンネルを自分原作のアニメ番組に合わせようとする妻と
それを見たがらない息子が言い争うのを聞いて、「子供が見たいのを見せてやれ!」と一喝した。
(小林よしのり「ゴーマニズム宣言」の初期の巻に載っていたエピソードです)
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