最近また話題になっている足利事件について。


検察が悪いという世間の認識が強いようですが、
こういった事件に関して具体的に検察はどうするのが正解なのでしょうか?


証拠となったDNA鑑定も少なくとも当時の科学ではそれなりに信頼のおけるものだったわけですし、
それがダメだと言うのなら現在の指紋認証やDNA鑑定も使えないことになります。

冤罪は防がなくてはいけないと思いますが、物理的な限界もあると思います。
1つ1つの事件についてすべて冤罪の可能性はあって当然ですし、
極端な話、1件の冤罪を防ぐために1000件の殺人が増える社会が正しいとは思えません。


取り調べの強引さの問題はあると思うので可視化には賛成です。

ただ、自白というのも一つの断片的な証拠にしかなり得ません。
そうじゃなければ、やってない人が「私がやりました」と言うだけで簡単に犯人をかくまうことが出来てしまいます。

あくまでも判断は複数の証拠による総合的なものですから、自白も含めて偶然の一致が重なればどうやっても冤罪は防げないと思います。


現状よりも『治安を守りつつ、冤罪を防ぐ方法』があるのかどうかが疑問なのです。

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回答43件)

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100%は無理かもしれません wincarp2010/01/22 17:24:32ポイント4pt

どれくらい世の中で犯罪がおきて、起訴されているのか、そのうち、どれくらい冤罪があるのかはわかりません。

ただ、起訴されたほとんどが、冤罪ではない。したがって、その捜査手法には問題もない。だから、偶然の一致による冤罪については、致し方ない。ということにはならないとも思います。

もちろん、人間がやることですから、100%は無理かもしれません。

ただ、今回の事件だけでなく過去の冤罪を見ても、冤罪かもしれないと思われる事実が明らかになってから、その冤罪が晴れるまでの時間がかかりすぎること、そればかりか、一度解決した事件に関しては、冤罪かもしれないというその疑念すら、持ってはいけないと思われるほどの警察・検察の頑なさは、やはり首を傾げざるを得ません。

まして、今回の事件は、死刑か無期懲役かというような、被告の人生もほぼ100%を決めてしまうような事件なのです。政治家の不正蓄財や贈収賄なんて、そういった意味じゃ、軽いものです。

警察・検察には、それなりの権力が与えられているのですから、その権力の行使には、慎重でなきゃなりません。間違えることもあるのだという前提で、事にあたることは肝要かと思います。

最後にご指摘の点・・・現在、治安が悪化してるか?という点は議論がわかれるところです。また、その治安の悪化と、警察や検察の力量との関連性の有無も、議論がわかれるところでしょう。「万引きしても死刑」にすれば、確かに犯罪は減るでりょう。ただ、生きにくくなることも事実です。

つまり今回の件では? konkonTV2010/01/22 23:17:38

おっしゃることはわかります。

「出来るだけ犯人を取り締まる」のと、「冤罪を出来るだけ防ぐ」のはどうしても反比例してしまいますから、その線引きをどこに置くかという程度問題にしかならないと思います。

慎重すぎれば多くの犯人を逃してしまうし、慎重さが足りなければ冤罪が増えてしまう。


しかし現在の冤罪の件数、少なくとも殺人に関して言えば妥当なところではないでしょうか?

何年かに1度の冤罪まで防ごうとすれば、年間1000件以上もの殺人を取り締まるのは困難だと私は思います。

返信ありがとうございました。 wincarp2010/01/25 18:29:21ポイント3pt

返信ありがとうございました。

言わんとされることはわかる気がします。

ただ、「出来るだけ犯人を取り締まる(=治安が高レベルで維持されることをおっしゃりたいのだと思います)」ことと「冤罪を出来るだけ防ぐ」ことが反比例する根拠はなんでしょうか?

極端な例ですが、イラクやアフガニスタンには、わけのわからない理由で拘留されている人間がたくさんいるはずですが、残念ながら、治安は悪化する一方です。疑わしいものを片っ端からとっ捕まえることが、治安を良くする事につながらないいい例です。冤罪を一定程度許容することと、治安の維持との関係性はなさそうです。これは、日本の歴史を見ても明らかでしょう。

したがって、冤罪は、きっとなくならないでしょうが、それでも、たとえば、1万件に1件の冤罪であれば、治安の維持において妥当であるというものでもありません。

警察や検察の権力は、無実の人間を無差別に殺す道具になるほど、大きいものです。

あくまでも日本の司法での話です konkonTV2010/01/25 20:51:21

さすがに内紛が起きている国については政府自体がまともに機能していないわけですから日本と同列で考えるべきではないと思います。

それは「極端な例」というよりは「特殊な例」ですね。


たしかに必ずしも反比例するとは言えないかもしれません。

>わけのわからない理由で拘留されている人間がたくさんいるはずですが、残念ながら、治安は悪化する一方です。

それならこれも関係性は疑問ですよね。

「拘留される人間がたくさんいたから治安が悪化した」という根拠はまったく無いです。

もしかしたら、拘留しなかったらもっと治安が悪くなっていた可能性だってありますよね。


>これは、日本の歴史を見ても明らかでしょう。

これは何のことを言っているのかわかりませんが、上記と同様のことが言えると思います。


治安というのは様々な要因がありますから、私も「必ず反比例する」とは言いません。


あくまでも一般論としての、

「冤罪を気にして慎重になれば犯罪者を逮捕し有罪に出来る数は減る」

→「逮捕・有罪の数が減れば野放しになる犯罪者の数が増える」

→「犯罪が増える」

という考え方からです。


少なくとも私には

「冤罪が増えると犯罪も増える」

という一般論は思いつきません。

例外的な事例ならいくらでも思いつきますが。


>たとえば、1万件に1件の冤罪であれば、治安の維持において妥当であるというものでもありません。

これは主観の問題ですからもちろんそうです。

どこからが妥当かというのは国民全体で決めることであり、それを現在判断しているのが司法なのです(司法の基準が正しいという意味ではありません)。

まぁまぁあまりエキサイトなさらずに。 wincarp2010/01/26 17:44:34ポイント2pt

あなたの意見が100%間違ってるとはいっておりません。あまりエキサイトなさらずに。

また、あなたが考える一般論だけが、他の人が考える一般論でないかもしれないこともあります。そういう面を否定しては、あなたが、なぜこの質問をしたのかが、見えなくなります。

①「政府自体がまともに機能している」国の検察や警察は、その権力を適切に行使する。というお考えは仮定の話です。もちろん、全員が同意する100%の「一般論」ではありません。すくなくても私は同意できる一般論ではありません。

②「アフガニスタンやイラクで、冤罪も含めた逮捕者や拘束者の数が多いから治安が悪化したわけではない。」

「その通り!」です。

そして同時に、「逮捕者や拘束者が少なくても、その治安が悪化するわけではない」ことも、また事実である可能性であることも、あなたのおっしゃったことが「その通り!」であれば、同じように「その通り!」といえることになります。

「その通り!」と両方を言い放ってしまうと、話がややこしくなりますし、以下の説明が困難になるので、「その通り!といえるかもしれない」。ぐらいにしておきます。どちらの「その通り!」にも、その可能性はある。ぐらいにしておきましょう。

③冤罪を気にして、検察や警察による逮捕や身柄の拘束等が減らすことが・・・まぁ仮にあったとして・・・治安が良くなったり悪くなったりする可能性は、あるかもしれない。

ただ、治安維持において冤罪かもしれない人間をバカバカ逮捕しようが、その治安にほとんど変化がない、という事実も実際にはあるだから、「ない」かもしれないじゃない。そうですよね。

そして、治安が悪化したから、バカバカ逮捕してみた、でも、思うほど治安が元に戻らない。という事実は、あなたが、「わが国には当てはまらない理由」としてあげた、「その国や特定地域が、特殊だから当てはまらない」のではなく、逆に、そういうところだからこそ、検察・警察の権力の不当行使やむなしだと言えるのであれば、より明白に、その権力の行使すること「だけ」による治安維持が困難であることを、より明白に結果を導くものであるともいえませんか?

そりゃ、あなたがおっしゃる通り、最悪から、そりゃ少しはマシになったかもしれませんよ。でも、その権力をバンバン行使するということに関わる重大な「危険度」と、「治安の改善という成果」とのバランスがとれているとは、どう贔屓目にみても「とれていない可能性」ぐらいは、ありませんか?

なぜなら、治安を維持するために必要なものは、検察・警察が権力の、より適切な行使である。ここまでは同意いただけるでしょう。でも、同時に、その適切な権力の行使、それ「だけ」で維持されるものでもない。こともお解かりのはずです。

上の例でも明白ですし、((治安というのは様々な要因があります))とおっしゃっている通りです。

④さらに。

アフガニスタンと日本とを比較した場合、その治安には雲泥の差があるのだから、彼らの国の検察・警察の権力の行使の適正度において、あくまでも2国を「相対的」にみた場合、日本の方が、より「まとも」である、より「適切である」であることは、その治安の安定度からみて、また逆に「真」でありますから(③後半部より)、逮捕者・拘束者の数の変化と、その治安の変化との関係性は、アフガニスタンで行使されている権力よりも、より適正であればあるほど、その関係性が希薄であるはずだとは考えられませんか?

ましてや、それらと、冤罪の数の増減・有無との関係性は、もっともっともっと少ないと考えるのが自然であると私は思うのです。

つまり、あなたがおっしゃっている「やむをえない冤罪を許容することで、治安が一定程度、維持されている」とする根拠が、私には見つからないないのです。

そもそも、「検察や警察が、冤罪を気にして、逮捕や身柄の拘束の手をゆるめる」という話はどこから出てきたのでしょう?足利事件における、少なくても検察側の対応・考え方を見れば、「自分たちのやり方」を変える気があるとは思いませんけどね。



●私が最も言いたいことは、変わっておりません。

冤罪というものがあるのであれば、なくさなきゃならんでしょう?ってことです。

一番はじめの返信に書きましたが、間違っていたらなら、間違っていたことをできるだけ早く認めることが必要じゃないでしょうか?

「人は間違えるものである」

「その当時は万全を尽くしました」

・・・という言い訳が通ってしまうのであれば、アフガニスタンだけでなく、日本でも、検察・警察の持つ権力をバンバン使えることになります。どんどん逮捕したり拘束したり裁判ができることになるわけです。

・・・と、考えると「極端」とおっしゃるかもしれませんが、言論だって、経済活動だって、なんだって、やり方によれば、押さえ込むことができますよ。この理屈が通るのであれば。

何も、問題になるのは、今回のような殺人の罪をおっかぶせるというものだけが冤罪だけじゃありません。だって、取り締まるものは、殺人だけじゃないのですからね。

「いやいや。我が日本じゃありえませんよ。」

・・・と考えることもできますし、

「あぁこんな日本みたいな国、おそろしくてどうかしてる。」

・・・と思う人だって、きっといるはずです。

実際は、結局は、間違えてたのに、「当時は間違ってはいませんでした。」なんて開き直る検察がいる国・・・私は、正直怖いですね。

検察だから開き直っていいのか、それ以上に悪いやつをやっつけたから、1件ぐらい勘弁してくれ!といいたいのか、単純に頭がおかしいか・・・もしくは、検察とはそういう権力に自分があることに対して自意識が過剰なのか・・・そこらへんの精神構造は、庶民である私には、ぜんぜん理解できないものですが・・・。

これも、一番はじめの返信にも書きましたが、100%冤罪を防ぐことはできないでしょう。でも、間違えたのなら、間違えたことは、率直に反省しなダメでしょう。みなさんが個々別に述べられているような改善策をとっていくのが、普通じゃないでしょうか?

間違いに気がついたのなら、積極的に冤罪を晴らすことにも協力すべきです。そして、結果として罪をかぶせてしまった人間には、できるだけの謝罪、贖罪は必要じゃないでしょうかね?

治安維持のためには、冤罪は致し方ない。

と考える国よりは、そういう国のほうが、私は全くまともだと思いますよ。

冷静に書いたつもりでしたが^^; konkonTV2010/01/29 02:10:17

他のレスではちょっと熱くなったりもしてますが、ここでは冷静ですのでご安心ください。


逮捕による犯罪の増減がどれぐらいあるかは統計として表すことは不可能だと思いますが、私の理論は以下の通りです。

「冤罪をゼロにする方法は逮捕・起訴しない以外に方法が無い」

「誰のことも逮捕・起訴しなければ無法状態となり犯罪が増える」


>そもそも、「検察や警察が、冤罪を気にして、逮捕や身柄の拘束の手をゆるめる」という話はどこから出てきたのでしょう?


冤罪を100%完全に防ぐのは逮捕しない以外に方法が無いですよね(有罪のみが冤罪じゃないとして)。

となると、完全なゼロじゃなくても、要求される正確さが増えれば逮捕・起訴が減るのは当然だと思います(日本では有罪に出来ないと判断されたら起訴されないですし)。


逆に、「検察が慎重になることなく冤罪を減らす方法」があるのであればぜひ教えて頂きたいと思います。


>これも、一番はじめの返信にも書きましたが、100%冤罪を防ぐことはできないでしょう。でも、間違えたのなら、間違えたことは、率直に反省しなダメでしょう。みなさんが個々別に述べられているような改善策をとっていくのが、普通じゃないでしょうか?


そう、ですから具体的にどうするべきなのでしょうか?

質問でも書いているように、私も冤罪は防ぐべきですし、反省し改善策を考えることは当然だと思っています。

ですが、足利事件については現実的で具体的な案は今のところほとんど出てきていませんよね。

質問の本旨は「足利事件はどうするべきだったのか」なのです。


>間違いに気がついたのなら、積極的に冤罪を晴らすことにも協力すべきです。そして、結果として罪をかぶせてしまった人間には、できるだけの謝罪、贖罪は必要じゃないでしょうかね?


もちろん最低限組織の上層からの謝罪は必要だと思いますし、法律に基づいた保証金も支払われるのが当然だと思っています。

私は別に「謝るな」なんて言っていませんよ。

ただ、謝るだけなら誰にでも出来ますから、今後の対策としてどのようなことが出来るのか現実的な案を出せるのかが疑問なのです。

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