善人が損をするのは世の常である。・・・①
Aさんは、儲けているので損をしていない。・・・②
②と、①の対偶から、
∴Aさんは、善人ではない。
これは論理的に正しいですか。あるいは、直感的に何か変な気がするのですが、どこか間違っていますか。ネタ・ジョーク問題ですから、肯定否定どちらにでも自由に、思いっきり屁理屈をこねて下さい。(^_^;
採点基準は文字数です。しばらく開かないので、ゆっくり考えて下さっても大丈夫です。
長すぎた・・・。
善人が損をするのは世の常である…①が、善人でない人が損をするのも世の常であるならば話は変わる。
全ての民が損をし、且つ、損をしない状況ならば
Aさんは善人であるか善人ではないか①と②だけでは答えが出ない。
というのも、儲けていることは損をしないことの十分条件であったわけであるが、損をすることの十分条件でもあるからだ
本来、「儲けていない」人は②から「損をしている」か「損をしていない」ということになるわけだが、
儲けていないで損をしない人もいるということは、人の損益には金銭以外のプラスマイナスの何らかの作用があると考えられる。
しかし、おそらく「儲ける」という状態は他の要素のはたらきに関わらず「必ず損をしない」となるという。
つまり、「儲ける」という要素自体が負の要素を排除する効果がある様である。
これは少しおかしい。
そうして考えていくと、「儲けていない」ということが必ず「損をする」こと…③にさえなれば
"儲けていても損をする原因が存在しないのはおかしい"と考慮にいれる必要はなくなるが
儲けていないことが必ず「損をする」と結論付けられることにも抵抗があるが…
そもそも"儲ける"とは市場に循環する資源や貨幣をより多く保有したことを指すだろう
もちろん有限の資源と貨幣であるから、誰かしらが手放さない限り"儲ける"ことはできないし、
自身が手放さない限り損をすることもできない。
要するに、儲かるためには誰かしらが結果的に損をしなければならない。
ここで善人は、①より必ず損をしなければならない。
そのために、資源や貨幣をドブに捨てることなく市場に流さなければならない
もしも善人であるために、ドブや物理的に入手できない場所に廃棄すれば社会の富が減ることを意味する
その時点で、善人ではなくなる。
善人は、より自分に見返りがないようなかたちで資源を負担するだろう
しかし、ボランティアという行為は、一見して自分に返ってくる利益との因果関係を明らかにできないだけで
社会的な生産性を底上げし、偶然に"儲ける"きっかけをつくってしまう
資源や貨幣が社会をぐるぐる回る限り、それは続く。
つまり、善人たる地位は行為と結果への期待が相反するため不確実な地位にあるという。
できれば、儲けている人がその富を社会に還元することなく
タンスの中に眠らせてくれれば、それは願ってもないことだ
儲けている人の意思にかかわらず、善人が善人たる地位を確保し維持できるのは儲けている人のおかげであるから
善人たる地位に貢献する善人がいるとするならば、それはそのようなタンス預金をしてくれる善人(偽善者)なのだろう。
もちろん、誰かしらが資源を独占する状態は悪だが、"儲けよう"と試みる行為は善であるから
Aさんは必ずしも善人ではないし、善人でなくはない。
もしも、②のAさんが善人なら。
①の法則は、当てはまらないことになります。
つまり、損をしない善人もいる、ということ。
損をしている人は、善人というよりも、お人好しなのでしょう。
(「ウミガメのスープ」とか「ナポリタン」系の回答にしようかと思いましたが、
普通に(?)回答してみました。)
回答ありがとうございました。普通じゃない方が良かったかも。(^_^;
>善人が損をするのは世の常である。・・・①
「世の常」という言葉の中には例外も含まれる。
だからAさんは、善人ではないとはいえない。
回答ありがとうございます。鋭いですね。でも、採点基準は文字数なので、不本意なポイントになるかも知れません。あしからず。
そもそも②が正しくない。
「儲けた額 - 損した額 > 0」という意味での「損をしていない」であるならば、一定程度の損はしているわけだが、あたかも「損をした額=0」であるような書きぶりである。
もし「儲けた額 = 0」でなければ善人と言えないのであれば、ニートこそが善人だと言うのでしょうか? ある意味ではそうかもね。
損をするにもいろいろあるけれど、利より義をや仁を取ったという意味に限定したとしても、やはり「儲けた額 - 損した額 > 0」であろうが「儲けた額 - 損した額 < 0」であろうが、「損をした額」の絶対値がその人の善性になるのではないでしょうか?
もちろん「儲ける」という言葉が「仁義に反した利得のみ」を意味するのであれば、損した額が例えどんなに大きかろうと、「儲けのある者」は善人ではないでしょう。
回答ありがとうございます。いいですね。②への論駁。逆は必ずしも真ならず。
「1.善人が損をするのは世の常である」が、善人が得する場合もまれにある
という意味で捉えれば、論理的に正しくない。
世の常というのは、100%そうだといってないので、駄目。
回答ありがとうございます。数学の世界と違って、現実の世界では、どうしても、確率を含んでしまいますからね。当たるも八卦当たらぬも八卦。
善人は損をしません。
損をするのは気の弱い人です。
強い人=善人です。
よって、Aさんは強い人です。
回答ありがとうございます。前提の否定。事の真偽はよくわかりませんが、凄い!
面白い質問ですね^^
回答は「論理的に正しいとは言えません。」です。
なぜならば、まず
①の仮定について、内容が定まったものではありません。
「世の常である」という事は「必ず~である」との
仮定ではありませんね?
従って、①の対偶では「~である」と断じる内容が
成立しない・・・という事になります。
これが、「世の常である」という文言ではなく
「世においては必ず~である」という設定ならば、
言い切る対偶が成立すると考えられる訳ですね。
回答ありがとうございます。おっしゃる通りです。でも、数学などのように理想の世界ではなく、現実の世界では、100%成り立つ法則などあるにはあるものの、どちらかというと少ないですね。
①・②ともに時間の概念が明記されていないのがミソだと思います。
また、「損」の反対が「儲け」であるという点も疑問です。
①善人が損をするのは世の常である。
私見ですが、この文言は正しいと思います。ですが、
(1)善人としても常に損をしているわけではなく、損をすることが多いという平均的な主張であると思います。この「多い」というのは、Aさんひとりに関していえば、損をする機会が多い。また、善人という枠組みでは、損をする善人が多いという、あいまいな表現でしょう。
(2)さらに、この「損」についても金銭に限りません。金額以外の損としては、権利や立場(出世)等が考えられます。特に善人はこれらの概念に興味の少ない人が多いように思います。
②Aさんは、儲けているので損をしていない。
対して、この②の意見は、
(2)損というものを金額のみに置き換えての意見であり、儲けている=金銭的にプラスである。という意味に捉えられます。そのため、金銭的にプラスであっても、損が含まれる可能性があります。
(1)また、儲けているというのが、どの時点での話か明記されていません。将来的に、善人であるがゆえに大損する可能性が残っています。
そのため、これらの対偶からの結論
Aさんは善人ではない
は、必ずしも正しいとは限りません。もちろん、正しい場合もあると思いますが。
回答ありがとうございます。「損」の定義のあいまいさへの論駁。金銭的なプラスマイナスだけが損得とは限らない。素晴らしい。
長すぎた・・・。
善人が損をするのは世の常である…①が、善人でない人が損をするのも世の常であるならば話は変わる。
全ての民が損をし、且つ、損をしない状況ならば
Aさんは善人であるか善人ではないか①と②だけでは答えが出ない。
というのも、儲けていることは損をしないことの十分条件であったわけであるが、損をすることの十分条件でもあるからだ
本来、「儲けていない」人は②から「損をしている」か「損をしていない」ということになるわけだが、
儲けていないで損をしない人もいるということは、人の損益には金銭以外のプラスマイナスの何らかの作用があると考えられる。
しかし、おそらく「儲ける」という状態は他の要素のはたらきに関わらず「必ず損をしない」となるという。
つまり、「儲ける」という要素自体が負の要素を排除する効果がある様である。
これは少しおかしい。
そうして考えていくと、「儲けていない」ということが必ず「損をする」こと…③にさえなれば
"儲けていても損をする原因が存在しないのはおかしい"と考慮にいれる必要はなくなるが
儲けていないことが必ず「損をする」と結論付けられることにも抵抗があるが…
そもそも"儲ける"とは市場に循環する資源や貨幣をより多く保有したことを指すだろう
もちろん有限の資源と貨幣であるから、誰かしらが手放さない限り"儲ける"ことはできないし、
自身が手放さない限り損をすることもできない。
要するに、儲かるためには誰かしらが結果的に損をしなければならない。
ここで善人は、①より必ず損をしなければならない。
そのために、資源や貨幣をドブに捨てることなく市場に流さなければならない
もしも善人であるために、ドブや物理的に入手できない場所に廃棄すれば社会の富が減ることを意味する
その時点で、善人ではなくなる。
善人は、より自分に見返りがないようなかたちで資源を負担するだろう
しかし、ボランティアという行為は、一見して自分に返ってくる利益との因果関係を明らかにできないだけで
社会的な生産性を底上げし、偶然に"儲ける"きっかけをつくってしまう
資源や貨幣が社会をぐるぐる回る限り、それは続く。
つまり、善人たる地位は行為と結果への期待が相反するため不確実な地位にあるという。
できれば、儲けている人がその富を社会に還元することなく
タンスの中に眠らせてくれれば、それは願ってもないことだ
儲けている人の意思にかかわらず、善人が善人たる地位を確保し維持できるのは儲けている人のおかげであるから
善人たる地位に貢献する善人がいるとするならば、それはそのようなタンス預金をしてくれる善人(偽善者)なのだろう。
もちろん、誰かしらが資源を独占する状態は悪だが、"儲けよう"と試みる行為は善であるから
Aさんは必ずしも善人ではないし、善人でなくはない。
回答ありがとうございます。①と②への反駁。前提①が100%成り立たないこと。②は、逆は必ずしも真ならず。また、定義のあいまいさの指摘。素晴らしい。長さも今のところダントツ。
善人が損をするのは世の常である。・・・①
=(悪人が得をするのは世の常である)
Aさんは、儲けているので損をしていない。・・・②
=(Aさんは、儲けているので得をしている)
②と、①の対偶から、
∴Aさんは、善人ではない。
=(儲けて得をしているAさんは、悪人である。)
=( )に置き換えてみますと、より一層分かりやすくAさんは悪人さんだという事ですよネ^^;
【善人が損をするのは世の常である】が前提であれば、=正しいということになるのだと思うのですが...
マジメ過ぎてぜーんぜん面白い答えではないと思うのですが、
「何を」「どの様に行って」「どれ位(利率)」儲けているか 実際にはこれらがものをいうと思います。
実際には その過程において善人の仮面を被った悪人さんも大勢いらっしゃると思いますので、「ほぼ」正しいのではないかと私は思いました。
ですが
文章での根本的な、儲ける=悪い(悪人) というイメージさえなければ、=良い(善人)になることも可能ではないでしょうか??
回答ありがとうございました。今までの回答の中では唯一肯定派ですね。①の変形は、裏になっているのかな。
●逆・裏・対偶命題
善人/悪人、損をする/損をしないを絡めると、4つのグループが出来上がります;
・善人で損をしている人・・・z1
・善人で損をしていない人・・・z2
・悪人で損をしている人・・・a1
・悪人で損をしていない人・・・a2
しかし、①から善人は損をするものということになるので、z2は存在しないことになります。
つまりAさんが「儲けている」=「損をしていない」と仮定すると、Aさんはa2グループに当てはまり、悪人ということになるのは確かですね。
ですが、必ずしも「損をする」=「儲けない」、「損をしない」=「儲ける」ではないと思います。
実際、失敗は成功の母というように、儲けるためにはまず損をすることは必然、という考えもありますから。
また、儲ける額が増えれば大きな損をするリスクも付きまといますので。
ようは儲けたお金より被った損の方が(お金だけの問題ではなく)大きいのか小さいのかだと思います。
この場合、6通りのグループが存在することになります。
・善人で損だけしており、儲けていない人・・・z11
・善人で損はしているが、儲けてもいる人・・・z12
・悪人で損だけしており、儲けていない人・・・a11
・悪人で損はしているが、儲けてもいる人・・・a12
・悪人で損はしていないが、儲けてもいない人・・・a21
・悪人で損もせずに、儲けてもいる人・・・a22
これから、「儲けている」Aさんは、
・善人で損はしているが、儲けてもいる人・・・z12
・悪人で損はしているが、儲けてもいる人・・・a12
・悪人で損もせずに、儲けてもいる人・・・a22
の、いずれかになるので、Z12であれば善人だということになります。
個人的な意見を言うと、a22の部類の人はほとんど存在しないと思います。
大きく儲けられる人はそれだけ大きく人と違うところがあり、
時にあまりに異なる思想や行動は、それが長所であっても社会から疎まれます。
極端な話、儲けていることがそのまま損を呼ぶことがあるわけです。
それを考えると世の中の大半は、大多数の儲けていないグループz11、a11、a21と、
少数の儲けているz12、a12の5種類のグループの人々で構成されている気がしますね。
回答ありがとうございます。②への反駁。分類派ですね。
善人が損をするのは世の常である。・・・①
Aさんは、儲けているので損をしていない。・・・②
②と、①の対偶から、
∴Aさんは昨日まで善人ではなかった。
しかし、Aさんはこの質問で質問者に「善人ではない」とレッテルを貼られ、それを不特定多数のネット利用者に広められ、著しく損をした。・・・③
③から
∴Aさんは、本日より善人となった。
回答ありがとうございます。凄い!です。結論の否定。発想の転換ですね。こういうの好きですね。
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=210265
歎異抄の反証を試みられるのですね。
他力本願や悪人正機は現実の損得勘定からかけ離れた世界での概念ですが、現実世界では正反対です。
悪人は割に合わない。
典型的な例では暴力団や暴走族の構成員など、ヒエラルキーの世界から抜け出せないで悔やんでももう遅い。
しかし、宗教的な概念に反論するには、現実というヤツは少し弱い。
何故ならば、この概念を覆すには、信じて救われると確信している人を折伏しなければならない。
宗教は精神の麻薬だと言われています。
そういった意味での宗教は洗脳装置ですから、患者を更生させるには逆洗脳してやるしかない。
しかし、現実には不可能です。
多くの宗教が政治的な影響力を隠然として持ち続ける現実の社会では犯罪行為とされるでしょう。
回答ありがとうございます。勉強になります。
例を想像しやすいものにかえれば、しっくりどこが変なのか
わかるかもしれないです。
ブサイクがモテないのは世の常である。・・①
Aさんは、モテモテなのでブサイクではない。・・②
いや、確かに一般的にブサイクはモテないけど、
でも芸人とかお金持ちとか例外的なものもいるし
モテてる奴いるやろーってなりませんか?
なので、僕はなりたたないと思います。
もし②が
Aさんがブサイクでない可能性が高い
という文章ならなりたちますが・・・。
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また、上の回答と違いヘリクツバージョン
↓
Aさんが株で儲けていたら・・・
誰かが損したお金をもらっているから、
善人ではない。
なーんて・・。
回答ありがとうございます。そうですね。①の前提に問題がありますね。回答が開いた状態でしたので、もっと文字数を増やせは高得点だったのに。(^_^;
回答ありがとうございます。①と②への反駁。前提①が100%成り立たないこと。②は、逆は必ずしも真ならず。また、定義のあいまいさの指摘。素晴らしい。長さも今のところダントツ。