ほんの数十年前まで、日本の書籍はみな、歴史的仮名遣いで出版されていました。もちろん文体は普通の口語体です。文字で書く時も話し言葉と同じに書くという言文一致は明治時代より始まったものですから、歴史的仮名遣いといっても、表記のルールさえ飲み込んでしまえば、読むのに苦労はありません。
しかし近年、長く歴史的仮名遣いのままで重版を繰り返してきた本が改版され、現代仮名遣いに書き直されていくケースが増えています。これは望ましい発展なのでしょうか。私は「否」と言いたいのです
特に文学の世界においては、作家は言葉の一つ一つをとても大切にしていると思います。文学作品はアナウンス原稿ではないのですから、読み上げた時に同じ発音になればそれでいいというわけにはいきません。
また、歴史的仮名遣いがスタンダードだった時代に、わざとその当時の正しい仮名遣いを崩して書かれている作品も存在します。たとえば宮沢賢治の風の又三郎には、
さわ(は)やかな九月一日の朝でした。
ぶるぶるふるえ(へ)ました。
たうた(と)う泣き出してしまひました。
こういった個所が多数散りばめられています。括弧内が当時の正しい仮名遣いです。しかし童話という性格から、わざと子供が書きがちな「間違い」を織り交ぜて、独特の雰囲気を出そうとしていたのでしょう。
作品が異なる仮名遣いに乗せ替えられてしまったら、仮名遣いに込められたそうした文学的表現が台無しになってしまいます。ほんの数十年前に書かれた作品が注釈無しでは正しく読めない時代になってしまう。そんな危機感をひしひしと感じる今日このごろなのです。
そこで私は、文学を中心に、歴史的仮名遣いのままで出版されていた時代の古本を集めまくっています。歴史的仮名遣いの本にも、使われている文字が旧字体の物と新字体に改められている物が混在していますが、両方手に入れば両方集めます。
収集対象は予算の関係で主に文庫本になります。古い文庫本は新聞用紙の切り落としを流用して安く印刷していたそうで、紙質が悪く、古い本はページが変色してパリパリになっていたりしますが、とにかく数を多く集めたい私にとってはありがたい存在です。大切に保管すれば、子供の世代くらいまでは受け継いでいけるでしょう。
保管の悩みは、やはり経年変化対策です。様々な資料を参考に、古く紙質も悪い本をどうやって長持ちさせるかに努力しています。
・本の間に物を挟まないこと。しおり類も挟んだままにしておくと、その部分を黄変させてしまいます。
・本棚にギュウギュウに詰め込まないこと。圧力による影響に加えて出し入れする際の無理な力も製本を劣化させてしまいます。
・温度や湿度は高い低いよりも変動が大きな影響を与えます。できるだけ一定に保つことが大切です。寒い部屋からいきなり暖房の効いた部屋に持ち込むなども本にとってはよくありません。(本の保管に最適な環境は、日本の四季の変化を考慮すると、室温は20度前後、湿度50%前後がいいらしい)
・書棚置き場には調湿性のある木材や漆喰壁などが効果的です。ただし施工後十分な時間をおいて、水分や種々の揮発成分が抜けきってから本を運び入れます。
・天然木を用いた書棚はヤニの揮発成分が、合板などを用いた書棚は接着剤の揮発成分やホルマリンなどが紙に悪い影響を与えます。またスチールの書棚は気温の変化で結露が起こりやすい欠点があります。結局安心してそのまま使える書棚は無いので、私の場合はよく乾燥させたヤニの少ない木材で棚を組み、表面を厚手の和紙で覆って揮発成分を和紙に吸着させるという方法を採っています。本の虫干しの時はこの和紙も外して虫干しします。
最終的にはスキャナで撮って電子保存ということになるでしょうが、スキャナで撮るには本を開いた状態で押しつけなければなりません。これは本を傷めますね。軽く開いた状態でカメラで撮って紙の湾曲を補正するという方法もあるかと思いますが、何百ページもある本を千冊処理するとしたら、いったいどれだけの時間が必要でしょうか。
最終的には歴史的仮名遣いの必要性を出版社に認識してもらい、オンデマンドのデジタル出版でもいいですから、現代仮名遣いに改版する前の版を復刻してもらうのが一番ですね。出版は文化の守り手です。本当なら私の書棚ではなく、版元で現行本として維持していってほしいのです。それでも私の古本は、私の幸せコレクションとして、いつまでも大切にされていくことに変わりはありませんが。
さぁて、今日もまた古本屋さん巡りをしてこよう!結局、文化が文学がと偉そうなことを言う以前に、ただの単純な本好きなんですね。2010年は「国民読書年」です。皆さんもこれを機会に、何かテーマを持った読書をしてみてください。そのための一つとして、歴史的仮名遣いの本に触れるというのもお勧めです。
ほんの数十年前まで、日本の書籍はみな、歴史的仮名遣いで出版されていました。もちろん文体は普通の口語体です。文字で書く時も話し言葉と同じに書くという言文一致は明治時代より始まったものですから、歴史的仮名遣いといっても、表記のルールさえ飲み込んでしまえば、読むのに苦労はありません。
しかし近年、長く歴史的仮名遣いのままで重版を繰り返してきた本が改版され、現代仮名遣いに書き直されていくケースが増えています。これは望ましい発展なのでしょうか。私は「否」と言いたいのです
特に文学の世界においては、作家は言葉の一つ一つをとても大切にしていると思います。文学作品はアナウンス原稿ではないのですから、読み上げた時に同じ発音になればそれでいいというわけにはいきません。
また、歴史的仮名遣いがスタンダードだった時代に、わざとその当時の正しい仮名遣いを崩して書かれている作品も存在します。たとえば宮沢賢治の風の又三郎には、
こういった個所が多数散りばめられています。括弧内が当時の正しい仮名遣いです。しかし童話という性格から、わざと子供が書きがちな「間違い」を織り交ぜて、独特の雰囲気を出そうとしていたのでしょう。
作品が異なる仮名遣いに乗せ替えられてしまったら、仮名遣いに込められたそうした文学的表現が台無しになってしまいます。ほんの数十年前に書かれた作品が注釈無しでは正しく読めない時代になってしまう。そんな危機感をひしひしと感じる今日このごろなのです。
そこで私は、文学を中心に、歴史的仮名遣いのままで出版されていた時代の古本を集めまくっています。歴史的仮名遣いの本にも、使われている文字が旧字体の物と新字体に改められている物が混在していますが、両方手に入れば両方集めます。
収集対象は予算の関係で主に文庫本になります。古い文庫本は新聞用紙の切り落としを流用して安く印刷していたそうで、紙質が悪く、古い本はページが変色してパリパリになっていたりしますが、とにかく数を多く集めたい私にとってはありがたい存在です。大切に保管すれば、子供の世代くらいまでは受け継いでいけるでしょう。
保管の悩みは、やはり経年変化対策です。様々な資料を参考に、古く紙質も悪い本をどうやって長持ちさせるかに努力しています。
・本の間に物を挟まないこと。しおり類も挟んだままにしておくと、その部分を黄変させてしまいます。
・本棚にギュウギュウに詰め込まないこと。圧力による影響に加えて出し入れする際の無理な力も製本を劣化させてしまいます。
・温度や湿度は高い低いよりも変動が大きな影響を与えます。できるだけ一定に保つことが大切です。寒い部屋からいきなり暖房の効いた部屋に持ち込むなども本にとってはよくありません。(本の保管に最適な環境は、日本の四季の変化を考慮すると、室温は20度前後、湿度50%前後がいいらしい)
・書棚置き場には調湿性のある木材や漆喰壁などが効果的です。ただし施工後十分な時間をおいて、水分や種々の揮発成分が抜けきってから本を運び入れます。
・天然木を用いた書棚はヤニの揮発成分が、合板などを用いた書棚は接着剤の揮発成分やホルマリンなどが紙に悪い影響を与えます。またスチールの書棚は気温の変化で結露が起こりやすい欠点があります。結局安心してそのまま使える書棚は無いので、私の場合はよく乾燥させたヤニの少ない木材で棚を組み、表面を厚手の和紙で覆って揮発成分を和紙に吸着させるという方法を採っています。本の虫干しの時はこの和紙も外して虫干しします。
最終的にはスキャナで撮って電子保存ということになるでしょうが、スキャナで撮るには本を開いた状態で押しつけなければなりません。これは本を傷めますね。軽く開いた状態でカメラで撮って紙の湾曲を補正するという方法もあるかと思いますが、何百ページもある本を千冊処理するとしたら、いったいどれだけの時間が必要でしょうか。
最終的には歴史的仮名遣いの必要性を出版社に認識してもらい、オンデマンドのデジタル出版でもいいですから、現代仮名遣いに改版する前の版を復刻してもらうのが一番ですね。出版は文化の守り手です。本当なら私の書棚ではなく、版元で現行本として維持していってほしいのです。それでも私の古本は、私の幸せコレクションとして、いつまでも大切にされていくことに変わりはありませんが。
さぁて、今日もまた古本屋さん巡りをしてこよう!結局、文化が文学がと偉そうなことを言う以前に、ただの単純な本好きなんですね。2010年は「国民読書年」です。皆さんもこれを機会に、何かテーマを持った読書をしてみてください。そのための一つとして、歴史的仮名遣いの本に触れるというのもお勧めです。