長谷川等伯の「松林図」観てきました。人生のうちで一度は観るべき作品、まさしく日本、いや、世界の「至宝」だと思います。いっさいの権威、制約、呪縛から解き放たれた「等伯」の「気」が伝わってきます。東京国立博物館で全国から等伯の八十余作品が集められたというが、わたしは「松林図」とあと数点しか観られませんでした。 開館から閉館少し前までいたのですが、「松林図」を計四回、およそ2時間はこの作品の前に釘付けでした。 作品の紙質など不思議な作品と云われますが、この作品を書き上げるまでに等伯は一体どの程度の日数を要したのだろうかという素朴な疑問です。また、四場面の松の群を描いてますが、右より「起承転結」そのままに感じるのは当方だけでしょうか? その道に詳しい方是非とも教えていただけたらと思います。 当方は、アートな感性で生きてる五十九歳の男です。よろしくお願いいたします。
「松林図」は、文禄2~4年頃、長谷川等伯50歳代の作と推定されています。
文禄元年に、等伯が祥雲寺障壁画(現・智積院襖絵)を完成させた翌年、
息子の久蔵が26歳の若さで亡くなっており、その悲しみを背負った等伯が、
人からの依頼ではなく自分自身のために描いたとも言われている作品です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E7%AD%8...
能登七尾(石川県)に生を受けた等伯は、はじめ「信春(のぶはる)」と
名乗り、主に仏画を描きました。
http://www15.ocn.ne.jp/~nanao/person/hasegawa_tohaku.html
http://www.tnm.go.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&even...
ありがとうございます。
ウィキペディアや書籍はすでに参照しております。等伯および松林図のリンクはすべて参照済み。等伯の解釈に詳しい方の「制作日数」の推測をいただきたいのです。